6 『彗星の誓い』
「あの時、俺、もう終わったと思ったんだよ」
ナヴァルの手から湯気の立つスープ皿を受け取りながら、レイドがぽつりと口を開いた。
焚き火のような光が、食堂の中央でゆらゆらと揺れている。
「薬物漬けになった烙禍の対処してたら、チョーカーの爆発に巻き込まれて動けなくなってな。そこに、シュカが現れたんだ。シュカ自身、宵闇の連中に追われてたのに、俺を助けたんだ」
「えっ、僕はそんな大したことしてないですよ!」
「謙遜すんな。お前はすげーバカで、良い奴だ」
シュカが照れくさそうに笑うと、周囲から「おぉ〜」「やるじゃねぇか!」と歓声が上がった。
「ほんとに助かったんだって」
レイドが笑うと、シンディがすかさず肘でつついた。
「レイドが誰かに礼を言うなんて……!」
「俺だって礼くらい言うわ」
「ふーん、珍しい」
「お前な……」
そんな掛け合いに笑いが起こる。
ルーガンはその輪の向こうで腕を組み、静かに一同を見渡していた。
ナヴァルが大鍋の蓋を開け、香ばしい匂いが一気に広がる。
「よし、出来たぞ!本日のナヴァル特製・スタミナ煮込みだ!」
「うわー、いい匂い!」
アステリア旅団の本拠地は、地獄にあるはずなのに、不思議なほど心地よかった。
スプーンを口に運びながら、シュカは久しぶりに「食事をしている」という実感を噛みしめていた。
エデンでは、食事すら儀式のようだった。
笑いながら食べるなんて――いつ以来だろう。
「……どうした?口に合わなかったか?」
隣のルーガンが声をかける。
「いえ、とても美味しいです。ただ……」
「ただ?」
「こんなふうに食べるの、久しぶりで」
ルーガンは少しだけ笑みを浮かべ、グラスを持ち上げた。
「そうか。なら、これからはもっと騒がしくなるぞ。アステリアのメンバーが全員揃った日にゃ、大宴会だな」
「えっ」
「シュカが仲間になったこと。そして“生きてる”ことに乾杯だ」
ルーガンの言葉に、皆がグラスや皿を掲げた。
「かんぱーい!」
温かい笑い声が、地底のホールに響く。
しばらくして、賑やかな食事が一段落したころ。
ルーガンがふと、グラスを回しながら言った。
「ところでシュカ。お前、どこの区にいたんだ?ゲヘナの第三区か?第六区か?お前みたいな擦れてない奴がまだいたとはな」
「……僕ですか?」
「そうだ。ゲヘナでお前みたいな真っ直ぐな奴は目を引くもんだが、俺は今日までお前を見つけられなかった」
その視線が静かに向けられる。
「……僕、皆さんに、言わなきゃいけないことがあります……」
笑い声が一瞬、止んだ。
シュカは少しだけ唇を噛み、意を決して言った。
「……僕は……ゲヘナの出身じゃないんです」
「……は?」
「今日、エデンからゲヘナに連れてこられたんです」
テーブルの空気が、凍った。
「……シュカ……?アンタ今なんて言った?」
シンディが箸を止める。
ナヴァルが鍋をかき混ぜる手を止め、ルーシルが眉をひそめた。
“エデン”という名は、この地で最も忌むべき響きを持つ。
全ての支配の象徴であり、ゲヘナとは正反対の光の世界。
「エデンから、連れてこられた?」
ルーガンの声が低くなる。
「……僕は、前例のない“突然変異体”だと」
シュカの拳が震える。
「僕が何をしたのかも、わからない。自分が自分じゃないみたいで……。全て理解しきる前には、もうゲヘナにいました」
沈黙が落ちる。
アステリア旅団の面々が互いに視線を交わした。
その瞳には――疑念、恐れ、そして警戒。
「まさか、スパイじゃ……」
誰かが小さく呟いた。シェリンも眉を顰めたままシュカから視線を外さない。
だが、ルーガンは片手を上げて制した。
「やめろ」
その声には静かな威圧があった。
「シュカの目を見ろ。嘘をついてるやつの目じゃねぇ」
シュカは俯いていた顔を上げる。
その瞳は――まっすぐで、曇りがなかった。
「俺はシュカを信じる」
ルーガンはそう言い、グラスをもう一度持ち上げた。
「こいつがエデンから来たってんなら、なおさら気に入った。まだエデンにも、本当の光が残ってるってことだろ。俺はシュカも含めて、お前らと彗星を目指す」
しばらくの沈黙の後、シェリンが笑った。
「出たよ、ルーガンしか見たことない彗星の話」
「ルーガンさん、“彗星を目指す”って……どういう意味なんですか?」
焚き火のように揺れる光の中で、シュカが静かに尋ねた。
その声には、純粋な好奇心があった。
ルーガンは少し眉を上げ、すぐに柔らかく笑う。
「……じゃあ、改めて話しておくか。お前には、聞く権利がある」
その言葉に、周りのメンバーたちは顔を見合わせる。
シンディが「またその話?」と苦笑し、ナヴァルが肘をついて言った。
「おいおい、リーダーの“彗星の誓い”が始まるぞ。新入り恒例だ」
ルーガンは軽く咳払いをして、静かに語り始めた。
「俺は生まれてすぐにゲヘナ送りにされたところを、マザーに拾われてゲヘナの第九教会で育ったんだ」
「マザーって、修道女みたいな人ですか?」とシュカが首を傾げる。
「ああ。今は数も減っちまったが、ゲヘナに落とされた孤児を育ててくれる教会があるんだ。マザーは女神みたいな人だ。……両親がエデンの住民だった俺にとっては、マザーが本当の母親だった」
ルーガンは少し目を細め、遠くを見るような表情を浮かべた。
焔が彼の頬を照らし、影を揺らす。
「ある夜、マザーが俺をこっそり街の外れの黒壁のところまで連れ出したんだ。……お前も知ってるだろ、エデンとの境界の壁だ」
「はい、近づくなって言われてました」
「ああ。でもその夜は、壁の一部が崩れててな。そこから“空”が見えたんだ」
静かな息を呑む音。
シュカが目を見開く。
「俺は、その時初めて空を見た。絵本でしか知らなかった“空”をな。真っ黒な夜の中で、ひとすじの光が走った。……それが、アステリア彗星だ。本の中の知識だがな」
ナヴァルが懐かしそうに笑う。
「おう、出た出た。リーダーの原点の話」
「でも何回聞いても、悪くないんだよな」
シェリンが腕を組んでうなずき、シンディが「うん。そんなものがあるのなら、見てみたいよね」と小さく言った。
ルーガンは続けた。
「マザーが言ったんだ――『あれは希望の星。暗闇を切り裂いて進む光』だって。だから俺は決めた。いつか、このゲヘナの誰もが空を見上げられるようにしてやるってな。……それが、“アステリア旅団”の始まりだ」
焔がゆらめく。
誰も口を開かないまま、ルーガンの声だけが響いていた。
「どんな暗闇の中でも、必ずひと筋の光はある。俺たちはその光になりてぇんだ。彗星のように」
静かな余韻の中で、シュカがぽつりと呟いた。
「僕、エデンで見た空は……青かったです。でも、自由じゃなかった。幸せだったし、楽しい思い出ばかり、だけど……それでも、どこかで違和感を感じてた」
ルーガンが目を細める。
「そうか」
「だから、僕も本当の“空”を見たいです。皆さんと一緒に」
シンディが「いいこと言うじゃん」と笑い、ナヴァルが「こりゃ祝杯だな」と鍋を持ち上げた。
「また食う気かよ」とレイドが突っ込み、シェリンが「リーダー、締めてやれ」と促す。
ルーガンは少しだけ笑って、グラスを掲げた。
「……よし。じゃあ改めて乾杯だ。シュカ」
「はい!」
「俺たちと一緒に、空を取り戻しに行こうぜ」
「かんぱーい!!」
笑い声と、グラスのぶつかる音が響いた。
焔が高くはぜ、天井に小さな光の粒が踊る。
シュカは胸の奥にそっと手を当てた。
そこにはまだ、冷たい風の記憶が残っていた。
けれど――今は、それを包み込むような温もりがあった。
(この人たちとなら……きっと、本当の空に届く)
焔のゆらめく食堂で、シュカの瞳にも小さな光が宿った。
それは――遠い夜空に流れるアステリア彗星のように、確かな希望の輝きだった。




