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烙禍ノ彗星  作者: 雨宮麗
エデン追放編

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6/10

6 『彗星の誓い』

 

「あの時、俺、もう終わったと思ったんだよ」


 ナヴァルの手から湯気の立つスープ皿を受け取りながら、レイドがぽつりと口を開いた。

 焚き火のような光が、食堂の中央でゆらゆらと揺れている。


「薬物漬けになった烙禍(らっか)の対処してたら、チョーカーの爆発に巻き込まれて動けなくなってな。そこに、シュカが現れたんだ。シュカ自身、宵闇(よいやみ)の連中に追われてたのに、俺を助けたんだ」


「えっ、僕はそんな大したことしてないですよ!」


謙遜(けんそん)すんな。お前はすげーバカで、良い奴だ」


 シュカが照れくさそうに笑うと、周囲から「おぉ〜」「やるじゃねぇか!」と歓声が上がった。


「ほんとに助かったんだって」


 レイドが笑うと、シンディがすかさず肘でつついた。


「レイドが誰かに礼を言うなんて……!」


「俺だって礼くらい言うわ」


「ふーん、珍しい」


「お前な……」


 そんな掛け合いに笑いが起こる。

 ルーガンはその輪の向こうで腕を組み、静かに一同を見渡していた。

 ナヴァルが大鍋の蓋を開け、香ばしい匂いが一気に広がる。


「よし、出来たぞ!本日のナヴァル特製・スタミナ煮込みだ!」


「うわー、いい匂い!」


 アステリア旅団の本拠地は、地獄にあるはずなのに、不思議なほど心地よかった。


 スプーンを口に運びながら、シュカは久しぶりに「食事をしている」という実感を噛みしめていた。

 エデンでは、食事すら儀式のようだった。

 笑いながら食べるなんて――いつ以来だろう。


「……どうした?口に合わなかったか?」


 隣のルーガンが声をかける。


「いえ、とても美味しいです。ただ……」


「ただ?」


「こんなふうに食べるの、久しぶりで」


 ルーガンは少しだけ笑みを浮かべ、グラスを持ち上げた。


「そうか。なら、これからはもっと騒がしくなるぞ。アステリアのメンバーが全員揃った日にゃ、大宴会だな」


「えっ」


「シュカが仲間になったこと。そして“生きてる”ことに乾杯だ」


 ルーガンの言葉に、皆がグラスや皿を掲げた。


「かんぱーい!」


 温かい笑い声が、地底のホールに響く。


 しばらくして、賑やかな食事が一段落したころ。

 ルーガンがふと、グラスを回しながら言った。


「ところでシュカ。お前、どこの区にいたんだ?ゲヘナの第三区か?第六区か?お前みたいな擦れてない奴がまだいたとはな」


「……僕ですか?」


「そうだ。ゲヘナでお前みたいな真っ直ぐな奴は目を引くもんだが、俺は今日までお前を見つけられなかった」


 その視線が静かに向けられる。


「……僕、皆さんに、言わなきゃいけないことがあります……」


 笑い声が一瞬、止んだ。

 シュカは少しだけ唇を噛み、意を決して言った。


「……僕は……ゲヘナの出身じゃないんです」


「……は?」


「今日、エデンからゲヘナに連れてこられたんです」


 テーブルの空気が、凍った。


「……シュカ……?アンタ今なんて言った?」


 シンディが箸を止める。

 ナヴァルが鍋をかき混ぜる手を止め、ルーシルが眉をひそめた。


 “エデン”という名は、この地で最も忌むべき響きを持つ。

 全ての支配の象徴であり、ゲヘナとは正反対の光の世界。


「エデンから、連れてこられた?」


 ルーガンの声が低くなる。


「……僕は、前例のない“突然変異体”だと」


 シュカの拳が震える。


「僕が何をしたのかも、わからない。自分が自分じゃないみたいで……。全て理解しきる前には、もうゲヘナにいました」


 沈黙が落ちる。

 アステリア旅団の面々が互いに視線を交わした。

 その瞳には――疑念、恐れ、そして警戒。


「まさか、スパイじゃ……」


 誰かが小さく呟いた。シェリンも眉を顰めたままシュカから視線を外さない。

 だが、ルーガンは片手を上げて制した。


「やめろ」


 その声には静かな威圧があった。


「シュカの目を見ろ。嘘をついてるやつの目じゃねぇ」


 シュカは俯いていた顔を上げる。

 その瞳は――まっすぐで、曇りがなかった。


「俺はシュカを信じる」


 ルーガンはそう言い、グラスをもう一度持ち上げた。


「こいつがエデンから来たってんなら、なおさら気に入った。まだエデンにも、本当の光が残ってるってことだろ。俺はシュカも含めて、お前らと彗星(アステリア)を目指す」


 しばらくの沈黙の後、シェリンが笑った。


「出たよ、ルーガンしか見たことない彗星(すいせい)の話」


「ルーガンさん、“彗星(アステリア)を目指す”って……どういう意味なんですか?」


 焚き火のように揺れる光の中で、シュカが静かに尋ねた。

 その声には、純粋な好奇心があった。


 ルーガンは少し眉を上げ、すぐに柔らかく笑う。


「……じゃあ、改めて話しておくか。お前には、聞く権利がある」


 その言葉に、周りのメンバーたちは顔を見合わせる。

 シンディが「またその話?」と苦笑し、ナヴァルが肘をついて言った。


「おいおい、リーダーの“彗星(アステリア)の誓い”が始まるぞ。新入り恒例だ」


 ルーガンは軽く咳払いをして、静かに語り始めた。


「俺は生まれてすぐにゲヘナ送りにされたところを、マザーに拾われてゲヘナの第九教会で育ったんだ」


「マザーって、修道女みたいな人ですか?」とシュカが首を傾げる。


「ああ。今は数も減っちまったが、ゲヘナに落とされた孤児を育ててくれる教会があるんだ。マザーは女神みたいな人だ。……両親がエデンの住民だった俺にとっては、マザーが本当の母親だった」


 ルーガンは少し目を細め、遠くを見るような表情を浮かべた。

 焔が彼の頬を照らし、影を揺らす。


「ある夜、マザーが俺をこっそり街の外れの黒壁のところまで連れ出したんだ。……お前も知ってるだろ、エデンとの境界の壁だ」


「はい、近づくなって言われてました」


「ああ。でもその夜は、壁の一部が崩れててな。そこから“空”が見えたんだ」


 静かな息を呑む音。

 シュカが目を見開く。


「俺は、その時初めて空を見た。絵本でしか知らなかった“空”をな。真っ黒な夜の中で、ひとすじの光が走った。……それが、アステリア彗星(すいせい)だ。本の中の知識だがな」


 ナヴァルが懐かしそうに笑う。


「おう、出た出た。リーダーの原点の話」


「でも何回聞いても、悪くないんだよな」


 シェリンが腕を組んでうなずき、シンディが「うん。そんなものがあるのなら、見てみたいよね」と小さく言った。


 ルーガンは続けた。


「マザーが言ったんだ――『あれは希望の星。暗闇を切り裂いて進む光』だって。だから俺は決めた。いつか、このゲヘナの誰もが空を見上げられるようにしてやるってな。……それが、“アステリア旅団”の始まりだ」


 焔がゆらめく。

 誰も口を開かないまま、ルーガンの声だけが響いていた。


「どんな暗闇の中でも、必ずひと筋の光はある。俺たちはその光になりてぇんだ。彗星のように」


 静かな余韻の中で、シュカがぽつりと呟いた。


「僕、エデンで見た空は……青かったです。でも、自由じゃなかった。幸せだったし、楽しい思い出ばかり、だけど……それでも、どこかで違和感を感じてた」


 ルーガンが目を細める。


「そうか」


「だから、僕も本当の“空”を見たいです。皆さんと一緒に」


 シンディが「いいこと言うじゃん」と笑い、ナヴァルが「こりゃ祝杯だな」と鍋を持ち上げた。


「また食う気かよ」とレイドが突っ込み、シェリンが「リーダー、締めてやれ」と促す。


 ルーガンは少しだけ笑って、グラスを掲げた。


「……よし。じゃあ改めて乾杯だ。シュカ」


「はい!」


「俺たちと一緒に、空を取り戻しに行こうぜ」


「かんぱーい!!」


 笑い声と、グラスのぶつかる音が響いた。

 焔が高くはぜ、天井に小さな光の粒が踊る。


 シュカは胸の奥にそっと手を当てた。

 そこにはまだ、冷たい風の記憶が残っていた。

 けれど――今は、それを包み込むような温もりがあった。


(この人たちとなら……きっと、本当の空に届く)


 焔のゆらめく食堂で、シュカの瞳にも小さな光が宿った。

 それは――遠い夜空に流れるアステリア彗星のように、確かな希望の輝きだった。


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