表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
烙禍ノ彗星  作者: 雨宮麗
エデン追放 編

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

14/28

14 『正しい世界だと思っていた』

 

 シュカは、レイドに話をしたことで、少しだけだが落ち着きを取り戻していた。

 初めて食べたポテトの味も、シュカの心をあたためていた。


 油と鉄の匂いが混じった空気。

 遠くで誰かの笑い声と、金属音が響いている。

 これがゲヘナで、今のシュカの居場所。


「じゃ、帰るか」


 レイドがそう言って歩き出し、シュカもそれに並んだ。

 そのまま西三区を抜けて、来た時と同じように仲間の特殊能力を用いて基地へ向かう――はずだったが。


「お、シュカ。レイド」


 路地の角から現れたのは、ルーガンだった。

 その後ろに、シンディとシェリンの姿もある。


「丁度いいところで会ったな」


「ルーガンさん!」


 どうやら、さきほどまでの騒ぎの後始末をしてきたらしい。


「二人は何やってたんだ?」


「きっちり巡回して、その後は俺の秘密の場所でポテト食ってました!」


「はは、これでその『秘密の場所』を知ってるのはアステリアの全員になったな」


「う、美味いのは皆に教えたいんだよ……」


「オイオイ、ウチの狂犬くんは可愛いねェ」


 そう笑うルーガンに続いて、シンディとシェリンも頷く。

 他愛もないやり取りをしながら、五人は並んで歩き出した。


 その時だった。


 ――ざわ。


 遠くから、異様な気配が流れてくる。

 人の声。怒号とも、ざわめきともつかない音。


「なんだ?騒がしいな」


 ルーガンが足を止める。


「嫌な感じがするよ」


 シンディが眉をひそめた。


 自然と、全員の足がそちらへ向く。


 やがて、大きな壁が見えてきた。

 エデンとゲヘナを隔てる、あの巨大な空まで覆う壁だ。


 そして――

 そこに、人間の体が吊るされていた。


「………………あ」


 シュカは、言葉を失った。


 壁の中央。

 見せしめのように掲げられた、それ。


 首と胴体は、切り離されている。

 血はすでに乾き、布のように冷たく張り付いていた。切り離された体には霜が降り、所々が凍りついている。


 無惨な死体だ。だが――


 分かった。

 分かってしまった。


 それが一体誰なのかを。


「……カ、イン……?」


 声にならない声が、シュカの喉から零れる。


 ついさっきまで。

 必死に縋りついてきた、あの顔。


 シュカが名前を呼んだのに気付いたルーガンが表情を強張らせた。

 シュカの視界が、歪んだ。


「……っ」


 レイドが、即座にシュカの前に立つ。


「見るな」


 だが、遅かった。


 シュカは、ただ呆然と立ち尽くしていた。

 目の前の現実を、理解できずに。


(……エデン……?)


 胸の奥が、ぎり、と音を立てて締め付けられる。


 正しい世界。

 清らかな場所。

 守られている理想郷。


 ――違う。


「……こんなの……」


 震える声で、シュカは呟いた。


「……こんなの、正義じゃない……」


 怒りが、遅れて込み上げてくる。


 ただエデンの人間がゲヘナに入っただけだ。

 それだけで、ここまでして殺す世界。


「……腐ってる……」


 ぽつりと零れた言葉は、あまりにも静かだった。

 ルーガンが、低く舌打ちをする。


「やりやがったな……王国騎士団」


「見せしめ、か」


 シェリンの声は冷たい。


「これが、エデンのゲヘナに対する対応よ」


 シンディは、目を逸らしたまま言った。


 レイドは、拳を握り締めていた。

 だが、何も言わない。


 シュカの肩が、小さく震える。


「……僕が……」


 僕が突き放したから。

 それを言葉にする前に、「……帰ろう」とレイドが、静かに言った。


 その声に、反論する者はいない。


 シュカは最後に一度だけ、壁を見た。

 何も言えなかった。

 祈る言葉すら、出てこなかった。


 ただ、胸の奥に、

 二度と消えない怒りが残った。


 ✼✼✼


 基地へ戻る転移能力の光は、前に見た時よりも暗く感じられた。


 足元の感覚が戻った瞬間、シュカは小さく息を吐く。

 見慣れたはずのアステリア旅団の本拠。

 無骨な石壁と、魔導灯の淡い光。


 なのに胸の奥が、ひどく重かった。


「……」


 誰も、すぐには口を開かなかった。


 レイドはシュカのすぐ隣に立ち、目を離さない。

 シンディは腕を組み、シェリンは表情を強張らせたまま。

 ルーガンが振り返ってシュカを見た。


「シュカ。今日は、もう休め」


 低い声だった。


「お前は俺たちとは違う。誰かの死に敏感でいる」


 シュカは、ゆっくりと頷く。


「……はい」


 それ以上、何も言えなかった。


 基地の中は、いつも通りだった。

 誰かが武器の整備をしていて、別の誰かが軽口を叩き合っている。


 その“いつも”が、ひどく遠いものに感じられる。


(……さっきまで、あそこに……)


 思考が、勝手に壁の方へ戻ろうとする。


 吊るされた身体。

 切り離された首。

 凍りついた血。


「――っ」


 シュカは、ぎゅっと拳を握った。


「シュカ」


 レイドの声が、すぐ近くから聞こえる。


「今日はもう、考えなくていい」


「……でも」


「“今”は、だ」


 レイドは、強くも優しくもない声で言った。


「今は、生きてるやつが壊れない方が大事だ」


 その言葉に、シュカは何も返せなかった。


 ✼✼✼


 シュカは、レイドと同じ二人の部屋へと戻る。

 簡素な室内の壁際に置かれた二段ベッド。

 上段がシュカ、下段がレイド。


 扉を閉めると、外の音が遠ざかる。


「……レイド」


「ん?」


「……ありがとう」


 理由は、言えなかった。

 けれど、レイドはそれで十分だと言うように、短く頷いた。


「おう。もう寝ろ」


 シュカは上段に上がり、横になる。


 ――だが。


 目を閉じても、眠れなかった。

 闇の中で、思考だけが鮮明になる。


(……エデンは、正しい世界だと思ってた)


 守られていて。

 清らかで。

 間違いのない場所。


「……違った……」


 誰に聞かせるでもなく、呟く。


 ただ“知らなかった”だけ。

 見せられていなかっただけ。


 正義という言葉で、都合よく切り捨てられる命がある。


「……カイン……」


 呼んでも、返事はない。

 胸が、苦しくなる。


 その時。


「……降りてくるか?」


 下から、レイドの声がした。


「どうせ眠れてねぇだろ」


 シュカは、少し迷ってから、はしごを降りた。


 下段のベッド。

 レイドはすでに横になっていて、壁側を空けている。


「……いいの?」


「バディだからな!特別だ」


 それだけ言う。

 シュカは、そっと隣に横になった。


 しばらく、無言。

 天井の影が、ランプに照らされてゆっくり揺れている。


「なあ」


 レイドが、ぽつりと言った。


「アステリア旅団で一番しょうもない事件、教えてやろうか」


「……え?」


「シンディがな、酔っ払って酒瓶でルーガンさんぶん殴って、危うく事件になりかけたこととか」


「……えっ!?大丈夫なの!?」


 思わず声が出る。


「本人は記憶ぶっ飛んで覚えてないけど、ルーガンさんはハゲてないかを気にしすぎて三日寝込んだ」


「な、なにそれ……」


「あと、特攻部隊の隊長でラグナロクさんって人がいるんだけど、ラグナロクさんを笑わせようとしたルーガンさんがダダ滑りして五日寝込んだこと」


「……そ、それは!ふふっ」


 シュカは、堪えきれず小さく吹き出した。


「あとルーガンさんはな、寝言がひでぇ。戦場でも寝言で正体バレるぞ、あの人」


「……それは……危ない……」


 笑い声が、少しだけ零れる。

 胸の重さが、ほんのわずか、和らいだ。


「……こんな時に、笑っていいのかな」


 シュカが、ぽつりと呟く。

 レイドは、少し間を置いて答えた。


「いいんだよ」


「こんな時だからこそだ」


「笑って誤魔化すのも、生きる技術だ」


 シュカは、静かに息を吐いた。


(……そうか)


 全部を、今すぐ受け止めなくてもいい。

 壊れないために、逃げる時間があってもいい。


 レイドの体温が、隣にある。


 それが、ひどく現実的で、あたたかかった。


「……レイド」


「ん?」


「……バディで、よかった」


 レイドは、少しだけ笑った。


「今さら何言ってんだ」


 その声を聞きながら、シュカの意識は、ゆっくりと沈んでいった。


 眠りの淵で、思う。


 ――もう、戻れない。


 けれど。


 ――ここは、僕の居場所だ。


 そう思えたことが、今夜、シュカを救っていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ