10 私も修行が足りません…
忠実な尊の片腕、吉岡と西院七条家の思い
瀬戸屋花菱のその後
西院七条家は執事の吉岡もそうだが、先祖代々…もう何千年も変わらずに西院七条家に仕えている使用人が多い。
皆それぞれに誇りを持って仕事に励み、屋敷の中はいつも明るく活気にあふれていた。
しかし、主人の尊が病に臥せっている今、西院七条家は寂しいほどに静まり返っている。
それでも、大勢いる使用人達の暮らしはいつもと変わらない。淡々と広大な屋敷の掃除や庭の手入れ、台所仕事などをしているのだけれど、主人夫妻の姿が見えないだけで使用人達の気持ちまで沈んでしまう。
亡くなった前公爵夫妻と同じく、尊は優しい人柄だ。使用人達にもいつも気さくに声をかけ、ちょっとした事にも必ずお礼の言葉を忘れない。いつも笑顔を絶やさない尊の事を使用人達は尊敬している。
急な事ではあったが、尊が長年婚約していた鬼頭美夜と結婚した時も使用人達は心から喜んだ。本当に可愛らしい美夜とそんな美夜を慈しんでいる尊の幸せな姿は、使用人達も見ているだけで幸せを感じていたのだ。
なのに…。
なぜ、こんな事になったのか。
屋敷で働いている者達には分からない事が多いが、あれこれと噂をするなど不敬な事は許されない。その上、尊が屋敷に戻ってきてからは、尊の部屋には美夜と吉岡、竹野しか入れないから、尊の様子も判らない。
尊様のご様子は?
良くなっておられるのだろうか?
美夜様もどの様にお過ごしなのだろう…。
使用人達の気持ちは、どんよりと沈んでいた。
そんな中、吉岡は爵位を形ばかり継いだ尊の代わりもこなしていて、時々疲れた表情を見せて周りの皆を心配させていた。
「吉岡さん、少し休まれた方がよろしいのでは?」
声をかけると、吉岡は疲れた顔に張り付けたような微笑みを浮かべてこう答えるのだった。
「いやいや、これしきで疲れていては尊様に笑われますね。私も修行が足りません…」
その言葉で返って周りの者は心配した。
ところが最近、本人は気づいていないようだが、吉岡は明るい顔を見せる事が増えてきた。
(きっと尊様の病状が良くなっているからに違いない)
使用人達は言葉には出して吉岡に聞いたりはしないが、そう感じて心密かに喜んでいるのだった。
*** *** ***
午後の日差しがカーテン越し差し込む部屋で、尊と美夜はベッドで仲良く午睡をする事があった。
そんな時、美夜は尊の胸に顔を寄せ、尊の鼓動を聞きながら眠っている事が多い。尊の鼓動は美夜にとって、子守唄のようだった。
とくん…とくん…とくん…
規則正しい尊の拍動が美夜を安心させ、眠りへと導いていくようだった。
すでに3回珠を受けた尊は少しづつ回復し、今では時々瞼を開けるようになっていた。
尊が瞼を開けている時によく見ると、尊の心がわかる。美夜が側にいると感じる時、尊は安心するのか、またゆっくりと瞼を閉じて眠りにつく。
けれど美夜がいないと感じる時には、美夜を案じているかのように瞳が揺れ続ける。
田中志寿古と定行が巫女の手で地獄へと落ちていったその日、西院七条家の尊の部屋は静かだった。
そして、1人ベッドに横たわる尊の瞳は揺れていた。
尊の部屋に、ほんの少し風が舞った。鈴の音が聞こえ、風の中から白衣、緋袴、千早を纏った巫女が現れた。
その気配を察したのか、尊がゆっくりと瞼を閉じた。
鈴を捧げ持った巫女は頭を下げながらゆっくりと尊に近づき、神楽を小さな声で歌いながら鈴を振った。
しゃん、しゃん、しゃん!
祓いたまえ…
参らせたまえ…
御力を参らせたまえ…
祓いたまえ…参らせたまえ…
御力を参らせたまえ…
しゃらしゃらしゃら、しゃん!
激しく鈴を振る巫女は懐から2つの珠を取り出してそっと尊の方へ差し出した。
「供物でございます。
お受け取りくださいませ」
珠は光り輝きながらゆっくりと尊の体の中に入って行った。瞼を閉じていた尊の体に2つの珠が完全に入った瞬間、尊の身体も光り輝いた。
巫女はそれを見てにっこりと微笑んで言った。
「終わりましてございます」
そう言い終わると巫女の姿は美夜に変わり、尊の横に潜り込んだ。そして尊の胸に顔を寄せて目を閉じた。
尊はゆっくりと瞼を開け、自分のそばにいる美夜を見るかのように瞳を動かした。そして、安心したのか、またゆっくりと瞼を閉じ眠りについた。
部屋の片隅でそれを見守っていた竹野は2人の穏やかな呼吸を確認すると、次の間へと入って行った。
竹野が待っていると、流れ者の医者が部屋の空気を揺らして現れ、急かすように聞いた。
「美夜は?美夜は戻ったか?」
「大丈夫でございますよ、夏夜坊ちゃん」
竹野が微笑むと夏夜はほっとした表情をして、医者の姿から本来の近衛隊の制服を身に纏った姿へと戻った。
「尊は?」
「はい。尊様も眠っておられます。
今回は珠が2つでございますから、明日には今よりもっと良くなっていらっしゃいますよ。吉岡様には私から伝えておきましょう。
さあ、夏夜坊ちゃんは鬼頭の旦那様に報告に行ってくださいな。
坊ちゃんは近衛のお仕事もありますからね!」
「うん、わかってる。でも、ちょっとだけ顔を見て行く。いいだろう?」
竹野が頷くと、夏夜は静かにドアを開けてベッドサイドに行った。尊と美夜は仲良く眠っていて、その姿を確認した夏夜は美夜の額にかかる髪をそっと払い、尊の手を軽く握った。
「2人とも、もう少しだ。
辛いだろうが頑張ってくれ」
夏夜はそう声をかけるとふわりと姿を消した。
入れ替わるよう部屋を訪れた吉岡は竹野の話を聞き、尊と美夜の姿を見てほっとした表情を見せた。
(尊様、美夜様…。ご無事でよかった。
我等がお側におりますから、ゆっくりとお休みください。尊様の身体が戻られたら我等は…必ず、必ず…!)
吉岡は口には出せない言葉を胸の奥深くに仕舞い込み、2人に深く頭を下げた。
この後、屋敷の中を歩く吉岡の足取りがわずかに軽く見える事に屋敷の皆は気がついた。
良い知らせをもう直ぐ聞けるのではないか…
屋敷の使用人達の心も明るくなっていた。
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翌日、瀬戸屋花菱では志寿古の姿が見えないと、正行の妻、円が心配していた。
「大丈夫だよ。きっといつもの様に、小汚い格好でどこかを彷徨いているんだろう」
正行はそう言って笑った。
その日の新聞には小さな記事が載っていた。
*** *** ***
−人体自然発火か? 空き地に炭化した人型−
昨日、人みたいな物が燃えているとの通報があり警察が駆けつけた所、既に炭化した人型の物が転がっていた。目撃者達は口を揃えて、気がついた時には人らしき物が燃えていた、と言う。
最近、近くの空き地を彷徨く輩がいたと近隣の住民は話しており、それが今回の燃えた人物ではないか、と警察は言っている。
所持品なども全て炭化していたため、身元は全くわからない。
往来の妨げになるため炭化したその物体を警察が動かそうとした所、粉々に砕けて周りの野次馬達に降り掛かり、大騒ぎになった。
用もないのに辺りを彷徨いた挙句、死んで炭になり、砕けて住民に降りかかるなど迷惑千万な話であった。
*** *** ***
午後になって、都のはずれの沼地で一つの遺体が見つかった。その遺体は全裸で手と足が1つずつもげていて腐敗も激しく、顔の判別もつかない状態だった。
所持品もなく、身元を調べようにもなんの手がかりもない。
「これじゃあ、どうしようもないな」
立ち会った警官は眉を顰めてそう言った。
*** *** ***
瀬戸屋花菱では志寿古と次男の定行の行方がわからなくなっていたが、実の所、皆は面倒な2人が消えてホッとしていた。
勝手にいなくなったのなら、このまま静かにしておこう…。誰もがそう思った。そして、誰も2人を探すことも無く、時間が流れていった。
後日談ではあるが、しばらくして都の片隅で老舗茶舗 'よし邑' が営業を再開した。
噂によると瀬戸屋花菱がその資金を提供したとか…。
その真偽は本人達にしか分からない。




