ファラとラファ
『リッド、よく戻ってきたな。待っていたぞ』
『久しぶりだね、アモン』
狐人族領の部族長屋敷に到着したその日。
皆揃って木炭車を降りて間もなく、出迎えてくれたアモンが飛びつくように抱きついてきた。
一ヶ月ぶりぐらいなのに大袈裟だなぁ……なんて思いつつ、僕が彼の背中をぽんぽんと叩いていると『アモン様』と並び立っていたファラが畏まった。
『初めてお目に掛かります。私は……』
彼女が挨拶をしようとしたその時、部族長屋敷側から手を振る小さな人影が『リッド、出迎えが遅くなってすまない』とこちらに走ってきたのだ。
目を凝らしてみれば、それは間違いなくアモンだった。
『え、じゃあ、彼はもしかして……⁉』
心の中でハッとして僕が青ざめるも、彼は、いや彼女は『あら、もう来ちゃったのね。残念だわ』と口元をにやりと緩め、次いで魔波が吹き荒れた。
何事かと、周囲が騒然となるなか、彼女は僕を胸の中に埋めるように抱きしめて正体を露わにしたのだ。
『狐人族領にようこそ、皆さん。改めてご挨拶を申し上げるわ、グランドーク家が長女ラファ・グランドークよ』
『むぐぐぐ、むぐぐぐ、むぐむぐむぐぐ⁉ 【離して⁉ 誤解を招くでしょ⁉】』
必死に声を出そうとするも、彼女に強く抱きしめられて声がうまく出せない。
『え……えぇ……⁉』
ファラをはじめ、その場でラファと初対面の誰もがきょとんとして目を瞬いていた。
ラファはその状況を楽しむように怪しく目を細め、ファラの前に立った。
それも僕を抱きしめたまま。
『ふふ、貴女がリッドの妻ファラ・バルディアね。会えて光栄だわ』
『えっと、はい。こちらこそ……』
事態に混乱していたファラは笑みを浮かべるも、すぐにハッとして鬼の形相を浮かべ『……って、そういうことじゃありません。何をされていらっしゃるんですか⁉』と雷鳴の如き怒号を発し、彼女を中心に冷気を纏った魔波が吹き荒れる。
ファラが放つ零下の怒りを背後に感じて背筋がゾッとし、冷気によって物理的に凍り付いた。
しかし、ラファは涼しい顔で『何をって、ちょっとした挨拶よ。挨拶』と微笑んだ。
『国によって文化は違うものでしょ。リッドは外交で帝国外に行くことも多いのよ。まさかこの程度の挨拶を本気で怒るなんて。貴女は、そんな心の狭い奥様なのかしら』
『……なるほど。それは失礼いたしました』
ファラの声は落ち着きを取り戻すも、発せられる気配は更に冷たくなっていく。
彼女達の間に挟まれる僕だけ、まるで氷点下の中に立たされているみたいだった。
『仰るとおり国によって文化は違うものでしょう。しかしながら私を初め、この場にいる方々は初めて狐人族領に訪れる者も多く、何よりもラファ殿とは私達は初対面なのです。唐突にそのような挨拶をされては困惑するというものでしょう。それとも……』
その時、彼女の声が全てを凍てつかせるかのように更に冷たくなった。
『部族長を輩出しているグランドーク家に名を連ねているにもかかわらず、貴女は来賓の出迎えに心遣い一つできない莫連女なのでしょうか。だとすれば家名もとい狐人族の名を貶めてしまう……かもしれませんね』
『へぇ、可愛い顔して言うじゃないの』
ラファが楽しそうに目を細めると、ファラの『もちろん……』という掌を返したようなあざとい声が聞こえた。
『今のはあくまでも仮定の話です。ラファ殿がそのような人であるなんて、私は微塵も思っておりません。さぁ、リッド様を離してください。これ以上は要らぬ誤解を招きますし、ひいては両家両国の関係悪化にも繋がりましょう』
『ふふ、そうね。私の配慮が足りなかったみたいだわ。ごめんなさい』
二人の会話が終わると僕は解放され、同時に『姉上、何をやっているんですか⁉』とアモンが声を荒らげてやってきた。
『来賓の出迎えに決まっているじゃないの』
『出迎えって、何をどうしたらこんな空気になるんですか⁉』
あっけらかんと答えるラファ。
でも、アモンが周囲を見渡した彼の顔は真っ青だった。
ラファの胸から解放され、空気を求めて咳き込む僕。
肩を竦めるカペラとティンク。
笑顔だけど、とんでもない冷気を発しているファラ。
実力を察知したのか、観察するような視線をラファに送るアスナ。
額に手を添えてやれやれと頭を振っている父上。
目を細めているけど、黒いオーラを発している母上。
他人事だと思ってにやにやと笑っているメルとキール。
メルの足下で興味なさそうに欠伸しているクッキーに寄り添うビスケット。
唖然として顔を赤らめているティス。
呆れ果てた様子で深いため息を吐くシトリー。
開いた口が塞がらない様子で目を丸くしているレイシス。
顔を背けて肩を震わせているエリアス陛下。
刀のように鋭く、刺すような眼差しを僕に向けているエルティア義母様。
またか、と言わんばかりに苦笑しているクリスとエマ。
などなど、僕達一行が呆気に取られているなか、アモンは『今思えば……』と深いため息を吐いた。
『ピアニー達が至急の要件で呼んでいる、その間の対応は私がしておく……そう姉上に言われた時点で察するべきだった』
『あら、まるで私が意図的に行ったみたいに言わないでくれるかしら』
『いや、絶対に……』
僕がじろりと怨めしく睨み付けたその時、ぐいっと腕を引っ張られる。
え……⁉ と驚くのも束の間、僕はファラの胸の中に抱きしめられていた。
『リッド様は隙が多いので、暫くこのままにさせてもらいます』
『え、えぇ……?』
僕が困惑するなか、ラファは『そう言えば……』とファラを見てにやりと笑った。
『私の弟アモンとリッドの義妹であるティスが婚約した以上、ファラお義姉様と呼ぶべきかしら』
『ファラお義姉様でも、ファラでもお好きに呼んでください。その代わり、私もラファと呼ばせてもらいますね』
彼女の挑発するような物言いに、ファラは満面の笑みで答えた。
ただし、目の奥は笑っていない。
視線を交わす彼女達の間には、氷河がぶつかり合うような衝撃に加え、氷がぎりぎりときしみ、崩落していくような音が響きわたっているように思えた。
『えぇ、構わないわ』
『では、改めてよろしくお願いします。ラファ』
『もちろんよ、ファラ』
二人が握手を交わしたその瞬間、辺りに凍てつく風が吹き荒れたことは言うまでもない。
それから狐人族領の部族長屋敷で過ごした一晩から王都ベスティアに到着するまでの道中、二人はずっと冷たい火花を散らしていた。
とは言っても、ほとんどはラファが僕達にちょっかいを出して、ファラが笑顔でいなすという感じだったんだけどね……。
獣王戦を行う闘技場の来賓用観覧席。
笑顔のファラと不敵に笑うラファが僕を挟んで視線を交わすなか、僕が最近の出来事に思いを馳せていると「おい、見ろよ。またやっているぜ」という茶化すような小声が聞こえてくる。
この声は……。
ちらりと横目で見やれば、観客席の壁際で整列して控えるオヴェリアをはじめとする『ブレイド・ベル』の面々がこちらを楽しそうに見つめていた。




