リッド不在のバルディア
「はぁ、兄様も姫姉様もいないと退屈だなぁ」
バルディア第二騎士団宿舎の執務室。
任されている第二騎士団に関連する書類仕事を粗方終わらせた私は、机に突っ伏してため息を吐いた。
私の名はメルディ・バルディア。
マグノリア帝国に属するバルディア辺境伯家の第二子の長女だ。
兄様こと、私のお兄ちゃんは二歳年上で、バルディア家第一子の嫡男リッド・バルディア。
常識にとらわれない型破りで破天荒な活躍から、国内外で『型破りな風雲児』や『愛妻家の風雲児』なんて呼ばれている自慢のお兄ちゃんだ。
姫姉様はレナルーテ王国の元王女で、お兄ちゃんと結婚したファラ・バルディア義姉様のこと。
世間には知られておらず、バルディア家でもごく一部しか知らないけど、姫姉様はお兄ちゃんに勝るとも劣らない才能の持ち主で、縁の下の力持ち的な存在になっている。
お兄ちゃんと姫姉様は国同士の政から幼くして政略結婚を果たし、今では帝国一の『おしどり夫婦』なんて呼ばれているそうだ。
私からすれば帝国一のおしどり夫婦は父上と母上で、そんな二人を見ているからこそお兄ちゃんは姫姉様をとても大切にしていると思っているんだけどね。
だけど今、そのお兄ちゃんと姫姉様はバルディアの屋敷にはいない。
もうすぐ隣国のズベーラで開催される獣王戦の大舞台で、本戦前に行われる前哨戦にお兄ちゃんが招待されて参戦することになったからだ。
私は詳しいことを聞かされていないけど、どうやらズベーラの思惑が絡んでいるらしく、お兄ちゃんは絶対に負けることができないらしい。
そのため、約一か月前から修練のため、姫姉様と第二騎士団で選りすぐりの子達と一緒に山岳地帯へ出掛けてしまった。
そして私は、二人から不在中の第二騎士団に関連する事務仕事を任され、ここにいるというわけだ。
最初はすることやること目新しくて楽しかったんだけど、今では同じ作業の繰り返しが多くてちょっと物足りない。
それにお兄ちゃんと姫姉様がいない屋敷と宿舎は明るさが一つ落ちて静かだし、むしろ寂しさを感じるぐらいだ。
お兄ちゃんと姫姉様、早く帰ってこないかなぁ。
「良いじゃないですか、メルちゃん。退屈なのは平和な証拠ですよ」
執務を手伝ってくれているメイドの少女ティアこと、スライムのビスケットがそう切り出した。
彼女はお兄ちゃんが姫姉様との顔合わせでレナルーテを訪れた際、バルディアに連れ帰ってきた『魔物』だ。
メイドの少女に姿を変えた時は『ティア』で通っている。
どこかで見たような雰囲気なんだけど、ビスケット曰くレナルーテでお世話になった美少女の姿を模しているらしい。
それにしても、レナルーテに何で帝国のメイド姿の女の子がいたんだろうか。
今でも謎に包まれている。
「ティアの言うとおりです、メルディ様。それにリッド様とファラ様から任された仕事はまだまだ沢山ありますよ」
「うにゃうにゃ」
ビスケットのティアに続き、専属メイドのダナエが抱えていた書類の山をどさっと私の目の前に置いた。
なお、可愛らしい声で相槌を打ったのは棚の上から私を見下ろしているシャドウクーガーのクッキーだ。
彼もまた、レナルーテからお兄ちゃんが連れ帰ってきた魔物で、ビスケットとは番だそうだ。
「えぇ、もう飽きたよぉ」
頬を膨らませて頭を振ると、「じゃあ、私達がやりましょうか」とソファーに腰掛けて事務仕事を手伝ってくれていた義妹のティスとシトリーがこちらに振り向いた。
「メル姉様、そちらの書類をこちらにください」
「そうですね。私とティスでやっておきますから、メルお姉様は一息入れてください」
二人はにこりと微笑んでくれるも、側に控えていたティアがやれやれと頭を振った。
「……だそうですよ、メルちゃん。でも、妹達に任せてお姉ちゃんであるメルちゃんが休んでいたら、リッド様とファラ様はどう思われますかねぇ」
「お二人だけじゃありませんよ。ライナー様とナナリー様もどう思われるでしょうか」
「う……」
ティアとダナエの指摘に、私は決まりが悪くなってたじろいだ。
お兄ちゃん、姫姉様、父上、母上。
皆揃って優しいけど、仕事や責務については身内であっても厳しいところがある。
ましてや任された仕事なのに『飽きた』なんて言ったら、大目玉どころじゃすまない。
仮に父上とお兄ちゃんは許してくれても、母上と姫姉様は絶対に許してくれないはずだ。
私は知っている、母上と姫姉様が実はとても厳しくて、怖い人でもあるということを。
「い、言われなくてもわかってるよ。軽い冗談よ、冗談。さぁ、早く片付けて皆で一息入れようよ」
「そうです、その調子です」
「うにゃうにゃ」
「ふふ、メルディ様。ご立派です」
ビスケットのティア、クッキーが何度も頷く姿と声にダナエが噴き出し、ティスとシトリーも笑みを溢した。
最近、私に対する皆の反応が『お兄ちゃん』みたくなっている気がするんだけど。
まぁ、気にしてもしょうがないか。
気を取り直して執務を再開したその時、「メル、お義父様から良い知らせが届いたよ」と部屋の扉が叩かれる。
その声で私の婚約者であるキール・マグノリアだとすぐにわかった。
彼はマグノリア帝国の頂点に立つ皇族の第二子という立場だけど、帝都の権力闘争から遠ざけるため、そして、発展著しいバルディアと皇族の繋がりを強化するために私と婚約することになったそうだ。
ただ、父上とお兄ちゃん曰く、表向きには『仮婚約』となっているらしい。
「その声はキールね。どうしたの?」
返事をして間もなく、扉が開かれてキールと彼の護衛であるネルスが入室する。
「メルだけじゃない。ここにいる皆に朗報だよ」
キールはそう言って室内の皆を見渡すも、私は眉をぴくりとさせて訝しんだ。
「だから、どうしたのよ。朗報だって言うなら、早く教えて。まさか、また仕事を増やしてきたんじゃないでしょうね?」
お兄ちゃんと姫姉様が出かけて間もなくのこと。任された執務が楽しいと、私がはしゃいでいた時、キールは彼なりに気を利かして『父上から仕事』を沢山もらってきたのだ。
執務が楽しかったのは、あくまで自分が処理できる許容範囲での話。
それを越えてしまい、私は自分の不甲斐なさを目の当たりにし、悔しさに泣きじゃくったことがある。
「そ、それはもう二度としないと約束しただろ」
「じゃあ、朗報って何なの?」
私が目付きを細め、ジトッと見つめたところキールはにこりと微笑んだ。
「決まっているじゃないか。帰って来るんだよ」
「帰って来る……? あ、まさか……⁉」
「そう、そのまさかさ。リッド義兄さんとファラ姉さん達が修練を終えたらしくてね。明日、帰って来るそうなんだ」
「本当⁉ 本当に兄様と姫姉様が帰って来るの⁉ 貴方も聞いたんでしょ? 本当なの?」
私は勢いよく立ち上がり、キールの側に控えていたネルスに問いかけた。キールはたまに変な気を利かすことがあるからだ。すると、ネルスは苦笑しながらこくりと頷いた。
「はい。私もこの耳で直に聞きました。間違いございません」
「そう、じゃあ間違いないのね」
「……メル、それはいくら何でも失礼じゃないかな?」
キールは笑みを浮かべるも、その目は笑っていない。でも、私は動じずに肩を竦めた。
「しょうがないじゃない。私、貴方の言葉を信じて何度か痛い目にあっているんだから」
「う……⁉ でも、それはメルがリッド義兄さんみたいな人に憧れているっていうから……」
たじろぐ彼に向け、私は深いため息を吐いた。
「兄様の良い方面の意外性だけど、キールは気を遣いすぎて悪い方面の意外性になってるの。普通にしてくれればいいのよ。貴方は兄様に負けず劣らず、とっても優秀なんだから」
「え……?」
「あ……⁉」
キールがきょとんと小首を傾げるも、私は自分の発した言葉に気付いて顔が一気に火照る。
対して彼は、にんまりと口元を緩めた。
「ねぇ、メル。今、なんて言ってくれたの」
「し、知らないわよ」
「そう言わずに、もう一度お願い」
満面の笑みでにこにこするキールに迫られるも、私は勢いよく頭を振った。
「もう、そんなことよりも兄様と姫姉様が帰ってくるなら明日の夜は盛大な食事会よ。さぁ、その準備に取り掛かりましょう」
「えぇ? メル、誤魔化さないでよ」
「誤魔化してない!」
私が怒号を発しても、キールは嬉しそうな笑顔を崩さない。
「ふふ。メルディ様とキール様、少しずつリッド様とファラ様に似てきましたね」
「そうですね。見ているだけで胸焼けがしてきます。あ、私はスライムなんで胃もたれすることないんですけどね」
ダナエとビスケットのティアが何か言っていた気がするけど、怒号を発していた私にはよく聞こえなかった。
◇
そして翌日、修練から帰ってきたお兄ちゃんと姫姉様を屋敷の玄関で出迎えた私は、お兄ちゃんの姿を目の当たりにして言葉を失ってしまった。
「ただいま、メル」
お兄ちゃんに声を掛けられ、私は我に返って恐る恐る「えっと……」と切り出した。
「本当に、本当に兄様なの?」
「うん、そうだよ」
お兄ちゃんはさも当然のようにこくりと頷くも、私は得心がいかなかった。
「だ、だけど、その長い髪はどうしたの?」
「あぁ、これは父上の髪形を真似てみたんだ。どう、似合うかな?」
お兄ちゃんは気恥ずかしそうに頬を掻いた。
そう、言葉通りにお兄ちゃんの銀髪は後ろでまとめられて腰下まで伸びていたのだ。
「それは似合っているけど。でも、そうじゃなくって、どうして一か月でそこまで髪が伸びたの? それに心なしか身長も少し大きくなっているような……」
「えっと、それはその……」
私の問いかけにお兄ちゃんは決まりが悪そうにたじろいだ。
でも、すぐにハッとして「あ、これはあれだよ」とお兄ちゃんは微笑んだ。
「ほら、僕は成長期だから」
「え……?」
私を始め、お兄ちゃん達を出迎えた皆はその言葉にきょとんとしてしまった。




