リッドの秘策
「さて、ようやく目的地の場所に辿り着いたね」
僕はそう言って、辺りをぐるりと見渡した。
空には雲一つない青空がどこまでも広がっていて、周囲には立派な木々がそびえ立ち、足下には青々とした様々な草が生い茂っている。
息をする度、草木と土の香りが鼻孔を擽って清々しい。
ここはバルディア領の山岳地帯。
以前、フェイによって牢宮【ダンジョン】に誘われた場所の麓だ。
木炭車と被牽引車を利用し、再びこの山岳地帯にやってきた。
「リッド様、ここで野営しながら訓練を行うのですか?」
「うん。まぁ、そんな感じだね」
小首を傾げて声を発したのは、隣に並び立っていたファラだ。
「山籠もりで自らを鍛えるとは。祖父上様が言っていた通り、リッド様のお考えは古風でいらっしゃいますね」
「そうかな。でも、今回は山籠もりってわけじゃないんだけどね」
彼女の側に控えていたアスナに答えつつ、僕は周囲にいる皆の顔を見やった。
ファラの護衛であるアスナとジェシカを除き、この場にいるのはカペラとティンク。
そして、カーティスと第二騎士団から選りすぐられた子達だ。
鳥人族のアリア、エリア、シリア。
熊人族のカルア。
馬人族のゲディングとアリス。
牛人族のトルーバ、ベルカラン。
猿人族のスキャラ。
猫人族のミア。
狐人族のラガードとノワール。
狼人族のシェリル。
兎人族のオヴェリアとラムル。
狸人族のダン、ザブ、ロウ。
鼠人族のアリーナ。
以上の面々になる。
彼らは父上の許可を得て、近々新設される予定の僕直属部隊に配属される予定の子達だ。
まだ、詳細は伏せられているけどね。
皆が背負っている大きい鞄の中身は、野営用の道具一式に加え、数ヶ月分の食糧や物資だ。
これだけの大荷物を持ってきたのは、勿論だけど理由がある。
皇族一同と貴族の子息令嬢達、加えてレナルーテ王国からの来賓エルティア義母様。
皆が僕達との会談、バルディア領の視察を終えて帰ったのがつい先日のこと。
獣王戦開催まで残された日数が少ない僕は、ズベーラ外遊と陛下達と行った会談の後処理を急いで終わらせた。
終わらせたと言っても、僕が関わらないといけない部分のみだけどね。
残った業務は父上、クリス、サンドラ達に引き継ぎをお願いし、今回の訓練時間を捻出したというわけだ。
バルディア辺境伯家が属する帝国の頂点に立つ皇帝、皇后の両陛下。
レナルーテ王国の王族に席を置き、ファラの実母であるエルティア義母様。
国の頂点に立つ両陛下、国は違えどそれに準ずる位置に立つ側姫。
そんな方々から直接、しかも口頭で『獣王戦の前哨戦であろうと敗北は許されない』と言われた以上、絶対に負けるわけにはいかない。
元から負けるつもりはないけどね。
ただ、万が一にでも負けてしまえば、遠い将来においてバルディア辺境伯家とズベーラの時の獣王との縁談が決まってしまう。
現獣王セクメトスが一方的に言いだしたことではあるけど、この世界で一国の王の言葉は重いため、断れば済むという簡単な問題でもない。
おまけにセクメトスは抜け目なく帝国の両陛下に親書も送っている。
帝国内における一部の高位貴族達と陛下達の間では議論が絶えないそうだ。
将来を見据えればズベーラとの親交が深まることは間違いないとし、賛成する者。
トーガとズベーラの関係性を考えれば、将来における縁談が決まるだけでも大陸全土の均衡を崩しかねないと、反対する者。
現時点で結論を急ぐべきではないと、様子見を主張する者。
様々な議論が飛び交うなか、マチルダ皇后が特に強く反対しているそうだ。
アーウィン陛下は彼女の勢いに負けて賛同している。
実際、バルディア訪問の折りに直接言われているし、マチルダ陛下は『断固反対』という立場で間違いない。
僕も将来の縁談を現時点で決めるなんて反対だ。
でも、国として見れば決して利点がない話ではないんだけどね。
マチルダ陛下があそこまで頑なに反対の意思を示しているのは少し気になるけど、今はそこをゆっくり考える時間はない。
敗北した場合、マチルダ陛下からはバルディア辺境伯家を冷遇することを仄めかされているし、エルティア義母様はファラをレナルーテ王国にどんな手を使っても帰郷させると言われているからだ。
皇族の後ろ盾を失えば大陸全土におけるバルディアの信用は瞬く間に地に落ちるし、レナルーテ王国との関係が悪化すれば魔力枯渇症の治療薬の研究にも影響がでることは想像に難くない。
そんなことになれば、僕がこれまで断罪回避のため築き上げたものが全て水泡に帰してしまう……絶対に負けることは許されない。
「……リッド様。怖い顔をされておりますが、どうかされましたか?」
「え、いやいや。何でもないよ」
小首を傾げるファラに顔を覗かれ、僕は慌てて頭を振って笑みを浮かべて取り繕った。
考えるうちに顔が険しくなっていたみたいだ。
「と、ところでファラ」
誤魔化しを兼ねて、僕は話頭を転じた。
「本当に君も訓練に参加するつもりなの? 今からでも屋敷に戻って大丈夫なんだよ?」
今回の訓練は過酷になるだろうから、ファラは参加させたくない……というのが僕の本音だ。
「はい、もう決めたことです」
彼女はにこりと目を細め、僕の目を真っ直ぐに見据えてきた。
「それに私だけで戻ることはあり得ません。リッド様は無茶ばかりしますからね」
「う……」
ファラの指先で胸をつんと突かれ、僕は何も言えずにたじろいだ。
ズベーラ外遊から戻って早々、意図せずとはいえ僕はフェイに誘われて牢宮【ダンジョン】に迷い込んでしまった。
これまで見守っていてくれていたファラだけど、これがきっかけで彼女の中で溜まっていたものが爆発したらしい。
今回の件を相談したら、『わかりました。でも、私も連れていってください。そうでなければ……協力も許可もいたしません』と迫られてしまった。
『私はリッド様の隣に並び立つ存在でありたい。心配してお待ちするだけなのは、もう嫌なんです』
ファラは、抱えていた心の内を語ってくれた。
第二騎士団の業務を肩代わりしてくれている日々の中、僕の身をずっと案じてくれていたこと。
牢宮に誘われた話を聞いた時は、心配で胸が張り裂けそうになったらしい。
父上から第二騎士団を任されている僕が、比較的自由に身動きができている理由の一つは間違いなく彼女の支えがあってこそだ。
ファラの言葉をないがしろにできるわけもなく、僕は父上や周囲に相談した。
その結果、第二騎士団の事務処理はメルやキールが行い、最終確認は父上、ガルン、ルーベンスが連携を取ってくれることになったのだ。
ちなみにファラが訓練に参加するという話になった時、父上はすぐに首を縦には振らなかったけどね。
『お義父様。護衛のアスナに加え、侍女のジェシカも連れて参ります。決して足手まといにはなりません。どうかお許しください』
父上はファラの熱意に根負けし、渋々ながら訓練同行を了承してくれた。
後で聞いた話だと、母上から『認めてあげましょう。ファラはもうバルディア家の一員。リッドの妻となったのですから。もし、私がファラでも同じ事を言ったはずです』という後押しもあったみたい。
「リッド様、姫様と歓談中に申し訳ありません。そろそろ皆と野営の準備に取り掛かろうと思いますが、どの辺りに設営しましょうかの」
カーティスが周囲を見渡しながらこちらにやってきた。
「あ、設営はしなくていいよ。ここで訓練するわけじゃないから」
「……ここで訓練は行わない?」
彼が首を捻ると、周囲の皆も顔を合わせて困惑した様子を見せた。
「うん。ただし、これから起こること、話すことは、この場にいる皆で当分は秘密にしてほしい」
「ほう、秘密ですか」
「強い言い方をするなら『命令』だね。皆、大丈夫かな?」
彼の問いかけに少し声を低くして答え、ぐるりと見渡せば皆はこくりと頷いてくれた。
「よし。じゃあ、特別な訓練場に案内してくれる頼れる相棒を皆に紹介するね」
そう告げた瞬間、僕の足下に黒い渦が現れて蝶の羽を持つ妖精が飛び出してきた。
皆はぎょっとして構えるも、その妖精は僕達の頭上でにやりと口角を上げ、不敵に微笑んだ。
「リッドに呼ばれて、こんにちは。皆の友達、牢宮【ダンジョン】に咲き乱れる花と蝶の妖精、フェイ・バルディアだよ。これからよろしくね」
皆は天を見上げ、彼の口上に唖然としていた。




