第九章 白鳥の歌 場面四 永遠の都(六)
ティベリウスは養父の衰えた身体に手をかけ、慎重に半身を起こさせた。軽い身体だ。
「抱擁を」
アウグストゥスは静かに言った。ティベリウスは養父を抱く。身体が辛いのだろう。アウグストゥスが大きく息を吐き出したのが判る。細い腕をティベリウスの背に手を回し、軽く叩いた。
「息子よ」
優しい声が言う。
「もうよい。これ以上、そなたを困らせるのはよそう。そなたはこの養父に十二分に尽くしてきた。ではこれでお別れだ。そなたの健康と幸福とを願い、ローマの栄光と繁栄とを信じて、わたしは安心して神々の許へゆくことにしよう」
アウグストゥス………!
胸が震えた。
「アウグストゥス」
「ん」
ようやく口をついて出たのは、その言葉だけだった。「アウグストゥス」―――と。それ以上、何も浮かばなかった。
「アウグストゥス………」
しばらくの間、アウグストゥスは黙っていた。やがて、身体を預けたまま呟く。
「熱烈だな」
柔らかな響きだった。柔らかく、甘い声。もう、この声を聞くことも出来なくなる。
「よくやってくれた。そなたを誇りに思う。ティベリウスよ、そなたの養父は果報者だった」
それが、アウグストゥスと会話らしい会話を交わした最後になった。
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