第九章 白鳥の歌 場面四 永遠の都(二)
アウグストゥスはしばらく黙っていた。ティベリウスも急かさなかった。アウグストゥスの手が探るように動き、ティベリウスは両手でそれを握った。アウグストゥスの手のひらはさらさらと乾いていて、少しひんやりとしていた。ティベリウスは、何となく―――ほとんど無意識に、軽く手でそれを擦った。体温の低さが、少しティベリウスを落ち着かない気持ちにさせたのだった。アウグストゥスはかすかに頬笑んだ。
「ありがとう」
吐息のように言った。最初、何の礼かすらティベリウスには判らなかった。それほど無意識の行動だったのだ。
「温かいな」
アウグストゥスは呟く。それで初めて、自分の行動に気づいた。
「………父はここで亡くなったそうだ、ティベリウス。この邸の、まさにこの部屋で。マケドニアからローマに戻る途中、病を得て死んだ」
独り言のように続ける。アウグストゥスの実父オクタウィウスは、アウグストゥスが五歳のときに病没している。ローマ近郊の小都市、ウェリトラエ出身の一人の裕福な騎士階級の男が、ローマで成功して元老院議員身分に昇格し、財産はないが由緒正しい貴族であるユリウス・カエサル家から妻を迎えた。神君カエサルの姪アティアと結婚したオクタウィウス―――それがアウグストゥスの運命を決めた。
「子煩悩な父だったらしい。生まれた子をどうしても見たくて、元老院に遅参したそうだ。だが、わたしはほとんど覚えていない。父は、総督としてマケドニアに赴任する際にもわたしを伴わなかった。息子はローマに留めておきたかったのだそうだ。だが、三歳の時の別れが、結局永の別れになると知っていれば、それも違っていたかもしれぬ」
アウグストゥスは、そこで少し間をおいた。
「母と姉は、神君カエサルの庇護の下、わたしを慈しみ育てた………」
しばらく室内に沈黙がおりる。ティベリウスは養父の手をただ握っていた。思えば、気軽にこの養父と会話や遊びを楽しんでいた弟とは違い、ティベリウスはアウグストゥスとこうした「無為の時間」を過ごす事はほとんどなかった。
「退屈か? 小さなクラウディウス」
ティベリウスは苦笑する。最初にティベリウスを「小さなクラウディウス」と呼んだのは、この養父だ。
「いえ」