第九章 白鳥の歌 場面三 最後の旅(三)
カプリ島を出て本土に渡った一行は、旅の一応の目的だったネアポリス市の体育競技会を観戦した。アウグストゥスは相変わらず機嫌はよかったが、ただ胃の不調がずっと続いており、辛そうにしていた。リウィアは夫に忠告した。
「一応開会式には参加した上で、後は適当なところで退出なさった方がいいわ」
ティベリウスも同意見だった。競技会は、炎天下半日をかけて行われるのだ。だが、アウグストゥスは聞きいれようとせず、結局最初から最後まで、相変わらず真面目に観戦した。更にその後に行われた市長の宴にまで顔を出し、だが料理には全く手をつけずに、憔悴しきって宿に戻った。ほとんど昏睡といってもいい状態で、丸一日をベッドで過ごした。だが身体が動くようになると、地元の人々との交流を再開しては、疲れて床に就くということを繰り返した。
ティベリウスはここで一行と別れる予定にしていた。アウグストゥスはローマへ戻り、そしてティベリウスはここからブルンディシウムへ行き、海路でパンノニアとダルマティアの視察に向かうことになっていたのだ。だが、アウグストゥスは体調が回復するまで、あと一日待ってくれと言って、ティベリウスを引き止めた。
「途中まで見送らせてくれ」
アウグストゥスは言った。ティベリウスは正直、少し困惑した。
「お気遣いは無用です。それよりも、早くローマにお戻りになったほうがいい。皆待ちかねているでしょう」
アウグストゥスはベッドに横たわったまま、皺だらけの手を伸ばして傍らに掛けたティベリウスの肩を軽く叩いた。それはこの旅で、一層細くなったようだった。
「まあ、そう邪険にするな。わたしは老い先短い老人だぞ」
「そんなつもりでは―――」
抗弁しようとすると、アウグストゥスは老人特有の、引きつったような笑い声をたてた。
「真面目に取るな。とにかく、一日待て」
「はい」
それ以上固執も出来ず、ティベリウスは従った。
アウグストゥスとは、それから更に数日後、アッピア街道沿いの古都、ベネヴェントゥムで別れた。二五〇年の昔、ローマ軍が侵略者、エフェイロスの王ピュロスを打ち破った町だ。アウグストゥスの抱擁を受け、ティベリウスはそのままアッピア街道をブルンディシウムへと南下した。
だが、港に着くか着かないかのうちに、リウィアからの急使がティベリウスの元に駆けつけた。
アウグストゥスが、ノラの町で倒れたという。ティベリウスはすぐに馬に鞭を当て、アッピア街道を駆け戻った。