第九章 白鳥の歌 場面三 最後の旅(二)
船はゆっくりと航海を続けてネアポリス湾に入り、アウグストゥスがネアポリス市から譲り受けたカプリ島―――近くのイスキア島と交換したのだ―――に停泊した。島全体がアウグストゥスの私有地ということになるが、当然、アウグストゥスは島民を島から追い出したわけではないから、相当数の人々が島に住んでいた。
絶壁に囲まれたこの島は、船をつけられる港は一箇所しかない。アウグストゥスの別荘は、港から程近い高台にあった。アウグストゥスが船を降り、輿に乗り換えて坂道を登る途中、多くの島民が網を手繰る手を止め、年老いた第一人者に挨拶をした。アウグストゥスがそれに応えて機嫌よく手を振ると、第一人者の気さくさに感動したものか、漁師たちが次々に魚を手に集まってきた。
「どうか召しあがらっせ」
「獲れたばかりっし、うめっしか」
島民たちは訛りもあらわに口々に言いながら、カニや海老、魚を差し出してくる。アウグストゥスはティベリウスに、彼らに金貨を一枚ずつ配るように言った。それから、夕方には宴を開くから、来たいものは誰でも来て、共に食事を楽しんでもらいたい、諸君が提供してくれた新鮮な海の幸が、きっと宴を華やかに彩ってくれるだろう、と、これもティベリウスの口から皆に告げさせた。そのときの島民たちの喜びようときたら、まさに狂喜乱舞といって差し支えのないものだった。
随人たちはピチピチと動く魚の入った桶や網をおっかなびっくり掴みながら、別荘への道を歩んだ。誰かがカニに挟まれて悲鳴を上げ、アウグストゥスは輿の中、腹を抱えて大笑いした。
カプリ島の景観は素晴らしいものだった。決して大きくはない。アウグストゥスがこの島と交換したイスキア島に比べて四分の一の広さしかないのだ。それでもティベリウスとて、イスキア島かカプリ島かと問われれば、迷うことなくカプリ島を取るだろう。その美しさは、古来「ネアポリス湾の真珠」と称えられた。
アウグストゥスがこの島に滞在した四日の間に、ティベリウスは二度ほど皆から離れ、一度はトラシュッルスを、あとの一度は従者を数人連れただけで断崖を登り、眼下に広がるネアポリス湾の美しさを堪能した。青々とした海の向こうに、遠くスレントゥムの半島がなだらかな曲線を描いている。内海の波は穏やかに凪いでいて、漁師たちの船が一つ二つと浮かんでいるのがよく見えた。
現在はアウグストゥスのものであるこのカプリ島は、いずれティベリウスが受け継ぐことになるはずだ。他の様々な地位や財産の大部分は、ティベリウスにとってそれほど魅力のあるものではなかったが―――むしろ気の重いもの方が多かったかもしれない―――、この美しい島が自分の所有になるというのは、中々悪くない想像だった。