第九章 白鳥の歌 場面一 アウグストゥス(六)
国勢調査が無事に終了したことを軍神マルスに感謝する修祓式は、初夏の風が薫る五月の、よく晴れた日に行われた。感謝する神がマルス神であるのは、この「国勢調査」が元々兵役に就ける男の数を確認するものであったからだ。この神に捧げられた祭壇は、ローマ半島を斜めに横切ってアドリア海へと伸びるフラミニア街道沿い、マルスの野の一画にある。ティベリウスはアウグストゥスと共に祭壇から少し離れた場所に立ち、儀式の開始を待っていた。
そこからは故アグリッパ将軍が建てた壮麗な建築物の数々―――神君カエサルを祀るパンテオン、列柱に囲まれたウィプサーニウス回廊、首都に大量の水を供給するウィルゴ水道の巨大なアーチ、ユリウス投票所などが望める。以前は草原であったという、マルスの野の発展は目覚しかった。それも、アウグストゥスの功績の一つだ。大理石の建物の美しさもさることながら、ティベリス河に向かってなだらかな傾斜を描く小さな丘の緑が、人々の目を楽しませている。アグリッパ浴場もこの一画にある。人々はここで球技や乗馬に興じ、ちょっとしたピクニックを楽しむことができるのだ。
「ティベリウス」
長衣の端で頭を覆い、大神祇官長の正装をしたアウグストゥスが囁いた。
「はい」
「パンテオンの屋根を見てみろ」
ティベリウスは、青空によく映える白い大理石の建造物を見た。一羽の立派な鷲が、黒々とした翼を広げ、アグリッパのパンテオンの神殿の屋根に舞い降りた。
「先刻まで、わたしの頭上をグルグルと舞っていた」
「―――」
ティベリウスには、アウグストゥスが何を言おうとしているのか判らなかった。アウグストゥスはそのことに気づいたのか、ちょっと苦笑いする。
「神々への誓いの言葉はそなたが読み上げてくれ、ティベリウス。わたしにはもう、新たな誓約を実行するほどの時間はないようだからな」
アウグストゥスが、一羽の鷲からどんな予兆を読み取ったのか。それは、少ししてようやく推察できた。アウグストゥスは鷲が彼の魂を、神君同様の神々の列に加えると告げたと思ったのだ。しかも鷲が舞い降りたのは、「ルキウスの息子、マルクス・アグリッパが、第三回執政官のときに建造」という碑文の、アグリッパの「A」の文字の上だった。これは当然、アウグストゥスの「A」でもある。それもダメ押しと思ったのかもしれない。ティベリウスはこうした「予兆」はほとんど信じない性分だったが、アウグストゥスは案外縁起を担ぐようなところがあった。