第九章 白鳥の歌 場面一 アウグストゥス(三)
邸に戻ってから、ティベリウスはアウグストゥスに注意を受けた。ティベリウスを私室に呼んで掛けるように言い、「今日は済まなかったな」と苦笑しながらまず謝った。
「そなたの言葉は、まるで硬く鋭い剣のようだ。居並ぶ元老院議員たちを一瞬で凍りつかせてしまった。そなたの言うことは正しい。発言の自由は、聞く義務を伴ってこそ意味がある。確かにその通りだ」
アウグストゥスはじっとティベリウスを見つめる。灰色の眸は穏やかだったが、ティベリウスは継父のこの眸で見つめられるのは少し苦手だった。あまりにも澄んだその眼差しは、さざなみ一つない深い湖にも似て、どこか底知れぬ、触れてはならぬ清虚さを感じさせる。
「だがな、あまり彼らに腹を立ててはいけない。野次の一つも発言は発言だし、大体咳き一つない静まり返った堂内というのは、発言者にとっても意外にやりにくいものでな。まだ若いそなたには、我々のぬらりくらりとしたやり取りは生温く映るかもしれない。だが言葉の剣で傷つけられた者は、いつか本物の刀剣を向けることがあるかもしれぬ。それよりは、野次のボールぐらいいくらでも投げさせておこう」
「………はい」
ティベリウスは居心地の悪い思いで、継父の視線から目を逸らしながら言った。アウグストゥスは頬笑み、自らも立ち上がりながらティベリウスを手で促した。ティベリウスは椅子から立ち上がる。
「まあ、しばらく見ておいで。少々無駄な議論に時間を費やそうと、法案の言葉ががらりと変わろうと、要は意図したところさえ実現できておればいい。わたしにもそなたにも、まだまだ時間はたっぷりある。彼らが剣を向けぬ限りはな。それだけで満足しておこう」
あの頃、アウグストゥスは何歳ぐらいだったろう。四十代そこそこといったところだっただろうか。だとすると、既に三十年は昔のことになる。その間、命に関わる陰謀は確かにいくつもあったのだ。暗殺に対して無防備すぎると友人から注意されたこともあるアウグストゥスだったが、結果として陰謀は全て芽のうちに摘み取られ、首謀者は迅速に処刑されて、大事に至ることはなかった。アウグストゥスは友人の忠告には感謝の言葉を述べたというが、実のところ、無防備とは程遠かった。アウグストゥスは一人になることを極力避ける人だったが、それは彼本来の人好きの性向に加えて、暗殺を警戒する意味もあったに違いない。
またアウグストゥスやリウィアがもつ情報網の広範さ、きめの細かさは驚嘆に値した。彼らの「目」と「耳」はどこにでもいた。それらからの情報は正面からの忠告や、時に密告という形をとり、刻々と彼らのもとに集められていたのだ。そうでなければ、どうして数々の危機を潜り抜け、四十年もの間この国を実質的に統治することなど出来ただろう。
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