第九章 白鳥の歌 場面一 アウグストゥス(二)
アウグストゥスは七十五歳になっていた。身体の衰えは隠しようもなかったが、体調が許す限り元老院に顔を出し、招かれた行事にはきちんと臨席して、主催者に名誉を施した。どうしても参加できないときは、丁重な謝罪の言葉とともに代理の者―――ティベリウスやゲルマニクス、ドゥルーススなどの家族を出席させた。
大体アウグストゥスという人は、実に律儀で真面目な人だった。神君カエサルが持っていたというカリスマ性―――「鮮やかさ」といったものを、この第一人者は持っていない。若い頃から美男ではあっても、小柄な身体を質素な衣服に包んだアウグストゥスは、多くの取り巻きに囲まれるとすっかり隠れてしまう。声もあまり大きくはなく、どちらかというと物静かだった。弁舌や文筆の才も乏しく、それを自覚していたアウグストゥスは、人々の前で話さなければならないとき、可能な限り事前に原稿を作り、それを読み上げていた。それでも時々、元老院議員たちの間から遠慮のないヤジが飛んだ。
「何を言ってるのか、さっぱり判らんぞ!」
そしてこの手のヤジをうまくかわしたり、切り返したりする即興の才も、アウグストゥスは持たなかったのだ。そんなときは大抵決まり悪そうにして、少し考える時間をくれるよう願ってから、再び説明を試みたり、質問を受け付けたりするのが常だった。二十歳前に元老院入りしていたティベリウスは、一度議員たちのあまりの無礼に憤慨し、立ち上がってこう発言したことある。
「元老院議員諸兄にお願いする。第一人者の言はまだ途中だ。アウグストゥスのご説明は、わたしもここで初めて耳にするものであるが、注意深く聞いてさえいれば決して判らないものではない。まして経験豊富な諸兄にあってはなおさらであろう。この国を代表する高貴なる方々よ、どうかそれにふさわしい礼節をわきまえ、我が継父の言葉に真剣に耳を傾けていただきたい。発言の自由は、他の人々の発言を尊重し、それを聞く義務を伴ってこそ価値があるというものではないだろうか」
場内はしん、と静まり返ってしまった。
「ご静聴を感謝いたします」
ティベリウスは腰を下ろした。中央の演壇に立っていたアウグストゥスは、継子の突然の発言に驚いた様子でしばし目を瞠っていたが、やがて軽く咳払いをし、何事もなかった様子で法案の説明を続けた。
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