第八章 テウトブルクの森 場面三 ゲルマニア(二)
アウグストゥスは、失われた三個軍団の補充を行わなかった。もしもアウグストゥスがティベリウスに三個軍団でも、更に増強して五個軍団をでも与え、ゲルマニア制圧を再び命じていたら、ティベリウスは彼らを率いて大々的にレーヌス河を越え、再び長い戦闘に身を投じていただろう。だが、アウグストゥスはそれをしなかった。
出来なかったのではない。三個軍団の編成は、現在のローマの国力をもってすれば決して不可能事ではなかった。だが最高司令官アウグストゥスに、それをする確固たる意志が欠けていた。七十一歳になっていたアウグストゥスに、三万五千の死が余りにも痛手だったこともあるのだろう。今から新しい軍団を組織し、恐らく数年はかかるはずのゲルマニア再制圧を試みるだけの気力は、さすがにあの「意志の人」であるアウグストゥスにも残っていなかったのかもしれない。
しかし、アウグストゥスはゲルマニアからの撤退命令も下さなかった。ゲルマニア制圧はアウグストゥスが始めたことであり、ドゥルーススによる制圧行から既に二十年という歳月を費やしている。そのドゥルーススも従軍中に命を落とした。払った犠牲は余りにも大きい。それを今になって白紙に戻すという決断も、アウグストゥスには下すことが出来なかったに違いない。
そして、ティベリウスもこの養父に、ゲルマニアの扱いに対する決断を求めることはしなかった。三年間は、レーヌス河沿いの基地を完備し、小規模な軍事行動を行って兵士たちに規律と士気とを取り戻させることに費やされた。その間、ティベリウスは考え続けていた。アウグストゥスの後継者として、ゲルマニアで戦った経験を持つ数少ない将軍として、この地のことを。