第七章 イムペラトル 場面七 イムペラトル(三)
ティベリウスはローマにいるアウグストゥスとイリュリクム属州の扱いについて書簡で意見を交わしながら、静かな戦いを続けた。二人の間での主たる関心は、既に戦いそのものよりも戦後処理に移っていた。イリュリクム属州はパンノニアとダルマティアの二つに解体すべきだ、という点で、アウグストゥスとは意見の一致を見た。そしてそれぞれに二個軍団を配置する。ダーウィヌス側沿いに二個軍団、パンノニアの中心部、ドラーヴァ河沿いに一個軍団、アドリア海沿いに一個軍団。新パンノニア属州では既に被害状況の確認を兼ねた国力調査が始まっており、混乱から立ち直るまでの暫定措置を含め、委員会での検討が進められている。
その間、ゲルマニクスには残党の鎮圧を命じた。ゲルマニクスは率直に言って、特に優れた戦略の冴えや洞察力を持っているわけではなかった。平凡とまでは言わないし、開放的な性格からくる軍団兵たちの間での人気の高さは、配下の士気を維持する役に立っていた。それはティベリウスにはないものであることも判っている。だが、行動がどうしても単眼的・短期的なものになってしまう嫌いがある。二十二歳にそこまで期待するのは酷というものかもしれないが、かつてアグリッパ将軍の下、ラエティア族の制圧を命じられた時、ティベリウスは二十六歳、ドゥルーススは二十二歳だったのだ。その当時でさえ、ティベリウスにせよドゥルーススにせよ、もう少しものが見えていたように思う。無論、趨勢は既にローマのものになっていたから、大敗を喫したりするようなことはなかったし、万が一そんなことになれば、ティベリウスとていつまでもこの甥―――現在は養子に、一隊を任せ続けはしなかっただろうが。
そしてそのまま、八月も半ばを過ぎた。
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