第七章 イムペラトル 場面七 イムペラトル(二)
それでもダルマティア地域での反乱が完全に終息するまでには、それから更に半年以上を要した。パンノニアからダルマティアへと移ったバトが、各地を移動しながらしぶとく抵抗を続けたからだった。ティベリウスはシルウァヌス、レピドゥスにそれぞれ一軍を与え、そして自らはゲルマニクスと共に一軍を率い、この男を追い詰めることに全精力を傾けた。ようやくアドリア海東岸、イリュリクム属州の州都、サロナエ近くのアンデトリウムの要塞に封じ込めた頃には、既に夏に入っていた。
※
バトは敵ながら凄まじい忍耐力で篭城に耐えた。救援など来る見込みもなく、食糧も底をつく中、奇跡を待っていたのか、それとも誇りゆえか、絶望的な抵抗をなおも続けた。ティベリウスもまた、じっと耐えた。血気に逸る兵たちの不平不満、優柔不断を詰るお定まりの批判、それらを聞きながら、時に小競り合いを挟みつつも徹底して自制を命じた。もうこれ以上、どんな小さな犠牲も出すつもりはなかった。敵の力は既に尽きようとしており、時間はローマの味方だった。ただ待つだけでいい。いかなる危険も冒す必要はないのだ。「最小の危険が栄光への道」―――たとえ臆病と謗られようと、それが常にティベリウスの信念であり、全ての行動を貫く基本方針だった。最小の危険―――戦場における徹底した調査、それに基づいた慎重な判断は当然のこととして、ローマのために戦う兵士たちが、飢えや一切の欠乏、暑さ寒さ、病や負傷といった危険にさらされることのないよう守り抜くこと。それこそが総司令官たるティベリウスに課された最も重要な責任なのだ。最善を求め、最悪に備える。必要なことは古来より変わらない。焦りこそ最大の敵だった。