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第七章 イムペラトル 場面七 イムペラトル(一)
建国暦七六〇年(紀元八年)一杯をかけて、パンノニア地域はほぼ平定された。反乱勃発から、三年近くが過ぎている。国土は焦土と化し、現地の人々は疫病と飢餓に苦しめられるようになっていた。膝元の支持を失った反乱軍の指導者たちも分裂した。首謀者の一人、ブルシ族のピノは、同族のバトによって殺害された。バトはブルシ族を束ね、ローマとの講和を目論んだが、その彼も別の一族のバトによって殺される。こうなっては、反乱勃発当初に展開されていたような、統一された作戦行動など取れるはずもない。散発的な反乱は各地で起こったが、既に残党といっていい彼らの抵抗は、ティベリウスの指示を待つまでもなく、シルウァヌスを始めとする各軍団の活躍で迅速に鎮圧されていった。多くの部族が抵抗を諦め、再びローマの覇権下に入ることを選んだ。
ティベリウスはシルミウムをシルウァヌスに、本営シスキアを二年前に執政官を務めたアエミリウス・レピドゥスに任せ、冬が来る前にローマに帰還した。
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