5, 守護
「チェナ…!」
聞き慣れたその声の方向に顔を動かしたシャルは、目に飛び込んで来た光景に、驚きから小さく息を飲んだ。それは彼女が、既に固まりかけている返り血に全身を汚しながら何処かに行ってしまっていたソラの背に乗っていたから…ではない。彼女の横に、巨大な槍を握った巨漢が立っていたからだ。
「シユウ殿…」
若い帝の腕二人は、巨漢を一目見るとすっと身を引き、その後ろで倒れているソウシの亡骸を彼に見せた。
「灰の風に、か」
シユウが低い声で彼を殺した者を言い当てた。その貫禄たるや、同じ帝の腕である二人すら思わず怯んでしまうほどだった。
「…!その通りです。恐らく辺りに倒れている賊どもを率いていたのでしょう。私達が奴らを倒し、油断していたところで鼠色の外套を纏った男が草陰から飛び出し、そしてソウシ殿の不意を…」
「大変申し訳ありませぬ…!我々が未熟なばかりにソウシ殿を救うことが出来ず…。帝の腕としてこれ以上の痴態はありませぬ…!」
二人はそこで、シユウの前に跪き深く頭を垂れた。
「詫びはこの任が終わった後に、我らが手綱を握るトルク殿とケルレン帝にしろ。それに俺も商隊を守り切れず帝の腕としての責務を全う出来なかった男だ、お前達を咎める資格などない。さあ、面を上げろ」
『はっ!』
それを聞いた二人は後ろめたさを残しつつも、短く返事をした後に、膝立ちの体勢を崩さぬまま頭を上げた。
「しかしシユウ殿。何故ソウシ殿が灰の風に倒されたと見抜いたのですか?」
「俺達も灰の風に出会ったからだ」
シユウはそこで、鎧の隙間に手を入れて折り畳まれた灰色の布を取り出すと、二人の前に広げて見せる。
「この外套は…」
「では、シユウ殿達も灰の風と会敵した、ということですか?」
シユウは首を横に振る。
「いや。俺達がこれを纏った者を見た時、そいつは既に意識を奪われていた。俺の隣にいる彼女によってな」
シユウはちらりとチェナに視線を送る。二人はシユウの発言に、驚きを隠せないでいた。
「それは真ですか…!?」
「そうだ」
二人は目をぱちくりさせた。
「にわかには信じられません。不意打ちとはいえ、歴戦のソウシ殿を瞬く間に殺した者を…」
色々な感情が入り混じった二人の視線を受け、ソラに跨るチェナは少し気まずそうに視線を落とす。
「ところでチェナ、どうやらお前は無事なようだが、俺の仲間達はどうなんだ!?あいつに襲われていないのか!?」
「大丈夫です。今ムツイさん達は帝の腕達によって守られています。私なんかよりずっと頼りになりますよ」
「帝の腕が俺達を…?それに、そもそも何故ここに帝の腕がいるんだ?あの灰の風達と何か関わりがあるっていうのか…?」
この短時間で起きた様々な出来事を整理出来ず、ゴウは混乱する。それを見たシユウが右手に持つ槍をゆっくりと足元に置くとゴウに歩み寄る。
「面倒事に巻き込んでしまい、大変申し訳ない。お詫びも兼ねて我々がここにいる故をお話しします。さぁ、こちらへ…」
そしてシユウはゴウを連れてシャル達から少し距離を置いた。
「さて、ゴウさん。あなたは我が国からとある書簡を預かっているでしょう?」
「それは…」
書簡のことを言及されたゴウは怪訝そうな顔をする。シユウがシャル達と離れたのは、書簡についての話を聞かれることを避ける為でもあった。
「隠す必要はありません。何故ならあの書簡を持つ行商を秘密裏に守護すること。それこそが我々がここにいる故なのですから」
「…あいつらは、あの灰の風は一体何だ?」
シユウは残念そうに首を振った。
「彼らが何故今ここにいるかは我々にも分かりません。しかし我ら帝の腕を指揮するトルク軍部重臣は、商隊の襲撃は彼らが画策したものと予測し、西ノ国に荷を送るあなた方を彼らの脅威から守るべく我々を放ちました」
「秘密裏に俺達を守るなら、こうして話しているのは不味いんじゃないか?」
シユウは今度は首を縦に振った。
「仰る通り、本来なら我々はあなた方と接触するべきではありません。しかしトルク軍部重臣の予測通り、真に灰の風が現れ、あなた方を襲おうとした。それが分かった以上、距離を置いてあなた方を守護することは得策とは言えません」
「灰の風についてはチェナが話したのか?」
「そうです。我々が彼女と出会った時、彼女は既に灰の風を打ち倒していました。彼女が倒した者は灰の風の薬により操られた、所謂“傀儡”であった為に実力は低かったものの、それでも並の武人なら易々と屠れる程の力があります。それをあの若さで倒してしまうとは、あなたはどうやら相当な“目利き”のようですな」
「……そうだな」
ゴウはそこでシャルと話すチェナを見た。眼前の巨漢は、東ノ国に絶対の忠義を誓う武人。それは分かり切ったことであるが、ゴウは何故か、この男が胡散臭く見えてならなかった。
「だが、あんた達がこれから守ってくれるっていうんなら、あの子達はもう俺達についてくる必要はないな。それにあんな若い者をこんな危険な目にこれ以上合わせる訳には…」
「いえ、彼女には依然として用心棒として働いてもらわなければなりません」
「何だと…!?」
ギョッとした顔で、ゴウはシユウの顔を見た。
「我々があなた方を守れるのは山に入るまでです。ご存知の通り、我ら帝の腕は東ノ国における最強の兵。そんな者が行商の護衛として山越えをし西ノ国に入れば、西ノ国からの信頼を著しく損ねることになりかねません」
「しかし…」
「ご安心ください。山に入れば数を用いた襲撃を行うことは出来ません。それに彼女の力があれば我々の守護が無くとも問題なく西ノ国の都に辿り着けるはずです」
そこでシユウは何故か、何処か含みのある微笑を浮かべた。
やがて再会を喜ぶシャル達のもとにゴウとシユウが戻ってきた。ゴウは戻ってくるなり、鬼のような形相で、ヤイノに強烈な平手打ちを入れた。
「一体お前は何を考えているんだ!!お前が勝手な行動をしたおかげでシャルまで危ない目にあったんだぞ!!おまけに帝の腕にまで迷惑をかけやがって、本当なら打ち首をになってもおかしくはないんだ!!」
「はい…本当に申し訳ありません…」
平手打ちの痛みと、自分がしたことに対する罪悪感から目に涙をたっぷりと浮かべながら、鼻声でヤイノはゴウに謝罪の言葉を述べる。
「次俺の言う事を聞かずに勝手に跳び出したらただじゃおかないからな!!肝に銘じておけ!!」
ゴウはヤイノへの叱責をそこで止め、彼の剣幕に少し引き気味になっていたシャルとチェナに、これから山に入るまで帝の腕が護衛を行うこと、彼らは元々自分達を見守る為に尾行をしていたこと、そして理由は分からないが、灰の風が復活し自分達を狙っていることを告げた。
ゴウが灰の風の復活について言及した時、深緑のチェナの瞳の奥に一瞬だけ力強い、だがどこか暗い光が灯ったが、ゴウとシャルがそれに気付くことは無かった。
「…そういうわけでチェナ、引き続き俺達の用心棒をよろしく頼む。すまないな、まさかこんなことになるなんて」
そうして頭を下げるゴウの罪悪感に満ちた表情は、自分達のせいで若い人間を危険に巻き込んでしまったせいだろう。普通なら金で雇われているだけの用心棒にこんな態度を示す行商などまずいないが、ゴウはどこまでも情に厚い男であった。
「いいえ、気にしないで下さい。これも仕事ですから」
「すまない。代わりといっちゃなんだが、都へ無事ついたら報酬は必ず弾むからな」
「嬉しいお言葉ですが、私達は山を越えられればそれで構わないんです」
そんな彼を諭すかのようにチェナは割り切った声で答える。金で雇われているだけの用心棒に頭を下げるゴウもだが、危険を承知の上で報酬すら断るチェナも用心棒としてはあり得ない応対だ。
「そのかわり…」
やや遠慮気味に言葉を紡ぎつつ、チェナは横に立つシャルに視線を向けた。
「どうかこのまま私の弟も雇い続けてはもらえませんか?私達、どうしても西ノ国に行かなくてはならないんです。お願いします!」
「お願いします!」
チェナに頼まれた訳ではないが、シャルもまたゴウに頭を下げる。自分がこのままいれば確実に足手まといになることは、他でも無いシャル自身が重々承知していた。先程もシャルが行くのではなくゴウがヤイノを追い、彼の耳を引っ張ってでも連れ帰っていれば、帝の腕達の仕事を妨害することもなく、あのソウシという者が死ぬことは無かったかもしれない。それが彼にとっては堪らなく申し訳なかった。
「う、う~ん。そこまでいうのなら仕方がない。それにここまで来て都に戻れというのもかえって危険だからな。シャルも引き続きよろしく頼む」
相変わらず渋い顔をするゴウだったが、結局は二人の要求を受け入れてくれた。
「ありがとうございます!」
再度頭を下げるシャル。だがその喜びもつかの間
「しかし、本当に首は大丈夫なのか?ヤイノの言う通り、俺にも確かに喉を切られたようにみえたのだが…。それに灰の風みたいな連中が殺し損ねるなんてのも妙なことだ」
ゴウの言葉を聞いた途端、眉間に皺を寄せたチェナが勢いよくシャルに顔を向ける。彼らの秘密を何も知らないゴウは、その行動が灰の風に襲われたと知ったチェナが弟を心配したせいだと思うだろう。しかしシャルはそのようには捉えなかった。
(やっぱり人前で地導を使うのは不味いことだったみたいだ…)
シャルは彼女の里における教えで地導を邪なことに使ってはいけないということは知ってはいたが、それ以外に例えば人前で使ってはいけないとか、他にどのような決まり事があるかについては知らない。だが恐らくチェナの表情から察するに人前でこの力を使ってはいけなかったのだろう。自分の行いのせいでチェナにまで迷惑をかけてしまった。それを悟ったシャルは殊更に罪悪感を募らせる。
「話はあとで弟から直接聞きます。ムツイさん達も心配しているはずです、戻りましょう」
その夜シャルは一睡もすることが出来なかった。理由は主に二つ。一つは周囲を帝の腕達に守られていたからだ。荷車に戻った後にシユウとゴウが話し合った結果、明日に備えてこの場で夜を超すことにし、夜間は帝の腕達が護衛を行うことにした。
戦に関する技術の粋を鍛え抜いた帝の腕達は自らの気配を消す能力も見事なもので、時たま鎧や武器が擦れた際の僅かな金属音が聞こえる他は、彼らを認識するようなものをシャルの五感は感じ取ることが出来なかった。しかし、その静寂が逆にシャルの居心地を悪くし、彼の睡眠を妨害してしまっていた。
二つ目はようやく眠りにつけると思ったその時、横で寝ていたチェナが彼の寝具に突然潜り込んできたからだ。有無を言わさず寝具の中に顔を引きずり込まれ、気づいたら目の前にチェナの顔があった。吐息がすぐかかる程の距離にチェナの顔が迫り、シャルはまた、頬が熱を帯びるのを感じる。
「勘違いするんじゃないわよ。シャル、外に声が漏れないように、さっきあの場で何があったのか教えなさい」
小声で釘を刺し、チェナは手短に要件を伝える。シャルの寝具に潜り込んで来たのも、彼らの周囲を見張る帝の腕達に話の内容を聞かれない為であった。
「ん…分かった…」
息苦しい中でシャルは、チェナに自身が灰の風に襲われた事、そして人質に取られ、それを脱するためにゴウ達の前で地導を使ったことをチェナに伝えた。
「ごめんなさい。何も知らないのに勝手に地導を使ってしまって」
シャルは素直に謝罪を述べた。先程のチェナの表情に加え、彼の寝具に強行突入してきたところを見ても、やはり自身の行いは掟か何かに反するものだとシャルは確信していた。だが意外なことにチェナは
「あら、別に謝る必要なんてないわよ」
と、特段彼を責めるようなことは言わなかった。
「確かにこの力はむやみやたらに使ってはいけないっていう掟はある。でも、話を聞く限りじゃ地導を使わなきゃどうにもならないような状況だったみたいだし、むしろそういう時に使わなきゃ意味がないわ。私も地導の力がなければきっとあの灰の風に殺されていた。幸いゴウさん達も不思議がってはいるけど深く詮索はしてないみたいだし、だからそんなに気に病む必要はないわ」
そこでチェナは一呼吸置く。
「まぁでも、あの場にわざわざあんたが行かなければ良かっただけの話だけどね。ゴウさん達の役に立ちたかったのは分かるけど、無茶な行動は止めなさい。あんたはまだ戦えない人間だってことを忘れないように」
痛いところをしっかりと突かれ、シャルは肩を竦める。こういうところも含めてチェナは本当に抜け目がない。
「でもそれじゃ、なんでさっきあんな顔で俺を睨んだりしたのさ。てっきりあとでこっぴどく叱られるものだとばかり…」
先程のチェナの表情はシャルにそう思わせるだけの迫力があった。
「それはまぁ、あんたをちょっと驚かしてやりたかったって気持ちが半分ね。だって理由はどうあれ、私の目の届かないところで地導を使ったって事実は変わらないんだから?」
いたずらっぽく笑うチェナを見て、シャルは先程罪悪感を募らせたことを少しだけ後悔したが、チェナがそんな冗談をかましてくるほど自分に心を許し始めていることに気付き、内心嬉しくもなる。
「それじゃ、もう半分はなんなのさ」
「もう半分は私自身の驚きよ。もう咄嗟に特定の部位を硬化出来る程、地導を使いこなせていることにね」
思い返せば男の動揺を誘う為に首を硬化する前、ソラから落馬する際もシャルは自分の意志で素早く背を硬化することが出来ていた。
「シャル、試しに額に地導を纏ってみて」
シャルは軽く目をつむり額に意識を向ける。するとすぐに、彼の額が揺らぎに包まれる。
「…本当驚きだわ。ここまで早く使いこなせている人間を見るのは初めてよ」
「そんなに凄いことなの?」
チェナは小さく頷いた。
「せっかく地導使いに選ばれても、体の奥から地導を引き出す感覚とか、それを体の一部分に纏う感覚とかに慣れることが出来ずに終わる人も珍しくないわ。それなのによりにもよってケハノ村の人間がこんな風に…」
そこまで言いかけたチェナだったが、おもむろに体制を変えてシャルに背を向ける。
「村については里についてからだったわね。邪魔して悪かったわ、おやすみなさい」
それだけ言い残し、チェナはそそくさと這い出ていった。それを見届けたシャルは息苦しさに我慢の限界を感じ、自身も新鮮な空気を吸おうと寝具を大きく引っぺがした。その音に合わせるように、チェナも自身の寝具を体にかける。
(一瞬だけど、外から気配を感じた…。まさか帝の腕の誰かが盗み聞きを…?)
先程体勢を変えたのは、獣のように研ぎ澄まされた彼女の感覚が、微かな気配を感じ取っていた為であった。それは、ただ、そこに佇んでいるのではない、明らかにこちらを意識したものだった。しかし彼女がシャルの寝具から出た途端、その気配はぴたりと消えた。
それでも暫くの間、周囲に気を配っていたチェナだったが、戦闘での疲れもあって、やがて静かに眠りに落ちていった。
時折周囲を取り囲むように歩みを進める自分達の姿をちらちらと見る行商達を後ろで見ながら、シギは悶々としていた。だが未熟であることに加え、帝の腕に選ばれて初の任で自分達の仲間が殺されたとあっては、彼がシユウの判断に異議を唱えるような余地は無いに等しい。
「おいユタ」
他の者に聞こえぬよう、シギは小声で、隣で馬に跨る長髪のユタに話しかける。
「なんだシギ。私語は厳禁だぞ」
怪訝そうな顔でユタはシギを睨む。
「そんなことは分かっている。だが、俺達のしていることは明らかに軍部重臣の意に背くのではないか?」
トルクからセシムとシユウに伝えられた命は当然、同じ任に当たる他の帝の腕達にも共有されている。
「だが行商が俺達の存在を知った以上わざわざこそこそとする必要もない。例えトルク殿の意に反するとしても、シユウ殿の判断は妥当だと思うが」
淡々としているユタにシギはつい苛立ちを覚えてしまう。こいつは昨日のことがあって何も思う事はないのか。
「お前…」
シギは苦し紛れにそう言った。行商達の守護という任を帯びていることを忘れた訳ではないが、シギの心は目の前でソウシを殺された挙句、敵を逃がしてしまったことへの不甲斐なさに支配されていた。
「止めろシギ。お前が抱く気持ちは俺も同じだ。だが弁えろ、俺達はもうただ刀を振るっていればいい人間じゃないんだぞ」
横を向くとユタもまたシギと同じように複雑な表情を浮かべている。
二人は去年の選抜試験を突破し、帝の腕として選ばれたばかりの新米であった。自分達はこれから東ノ国の為ならば一切の私情や迷いを捨て、国を守る矛として生きてゆく。それを二人は十分に解しているつもりであったが、その覚悟は、昨晩の出来事で揺らいでしまっていた。
いや、仲間の一人が目の前で死んだ程度で心が揺らぐのでは、所詮はその程度の覚悟であったのだ。ユタもシギもそのことを心の奥底では理解していた。仲間の仇討ちがしたい。そう思ってしまうことが、帝の腕として相応しくないことも。
「シギ、ユタ」
急に名指しで呼ばれ、二人はビクッと体を震わせる。振り向くと、最後尾を進んでいたシユウがいつの間にか彼らのすぐ後ろにまで来ていた。
「…申し訳ありませぬ」
ばつの悪い顔でシギは詫びを入れる。
「俺のような図体のでかい者の気配すら感じ取れぬようではまだまだだな。任の最中に喋りたければ、せめてもう少し神経を尖らせろ。これではあの女用心棒未満だぞ」
注意を促しつつ、シユウは二人の間に馬を入れる。
「だが昨日のようなことがあったとなれば、お前らのような新米が動揺するのも無理はない。…ソウシ殿の死は真に残念だった。あの人には俺も数え切れん程世話になったからな」
シユウは僅かに肩を落とす。ソウシの亡骸を見た昨晩、シユウは表情こそ変えなかったが流石に帝の腕として共に生きて来た者の死を何も思わない訳ではないようだ。
「はい。トルク殿も悲しまれるかと思います」
「あぁ。ソウシ殿はかつて風狩りでトルク殿に負けずとも劣らずの戦果を上げた人物だ。トルク殿が帝からの願いを断っていれば、今の軍部重臣はソウシ殿であったろうな。それ程までに有能な人だった」
あぁ、やはり俺達のせいで貴重な人を失ったのだな、とユタとシギは改めて痛感する。
「しかし、それでも行商達が無事であったことは幸運だった。それに、一時の感情に任せて敵を深追いしなかった判断も良いものであったと言える。歴戦のソウシ殿を一撃で葬った者だ、あのまま追ったとしたら暗闇の中、二人纏めて殺されていただろう」
二人は複雑な顔をしたままシユウの言葉を聞く。自分達を気遣ってこのような発言をしたのだろうか。そんな邪推をすらしてしまう。それを悟ったのか、シユウは表情を少し和らげた。
「俺はただ事実を述べているだけだ。昨日も言ったが、己の失態は帝とオウロ殿に詫び、そして己自身で糧としろ。それが、帝の腕としての心構えだ。それが出来なければ、次に奪われるのはお前達と守るべき行商達の命だ」
次に奪われるのは守るべき行商達の命だ。シユウのその言葉で、二人は自分達の立場を再認識した。そうだ、このまま不明瞭な心構えで任に当たれば今度は守らなければならない行商達が殺されるかもしれない。今注意を払うべきは既にこの世に無い命ではない。それを正す為にシユウはわざわざ自分達に話しかけたのだ。そう思った二人は表情を改め、気を引き締める。
「そうだ、それでいい。…俺のような過ちは犯すなよ」
二人の気が整ったことを確かめたシユウはそのまま隊の最後尾に戻ろうとする。その時である。
ヒュッ!
どこからか乾いた音と共に一本の矢が飛来し、シイの太ももに突き刺さった。
「キャーッ!!」
シイの悲鳴が辺りに木霊する。それを聞いた瞬間、先頭を進むゴウがバッと振り返った。
「シイッ!?」
シイの腿に刺さったものを見た途端、ゴウは真っ青な顔で彼女の乗る荷車に乗り移ろうとする。しかしその前に彼の横にいた帝の腕の一人が
「動くなっ!!」
と、凄まじい怒号でゴウを止めた。その剣幕にゴウが思わず足を止めた瞬間、矢が更にもう一本、今度は彼の眼前を掠めて飛んできた。もしこのまま進んでいればゴウも餌食になっていただろう。
「囲めっ!!襲撃だ!!」
シユウの号令で帝の腕達は武器を抜き、荷車の周囲を瞬く間に囲む。こちらに背を向ける黒い鎧の中で、ゴウ達は苦しそうに太ももを抑えるシイの周りに集まった。
「うぅ…」
シイに刺さった矢は幸いなことに腿を貫くまではいかなかったものの、矢尻が深く食い込んでしまっている。
「無理に抜いてはダメです!かえって傷口を広げます!」
「そんなこと分かっている!急いで止血だ!」
「先ずは荷車から降ろそう!高い位置じゃ的になる!」
ゴウとムツイが、シイを慎重に荷車から下ろす。その間、ヤイノは患部を布で強く押さえ、滴る血を少しでも抑えようとしていた。彼らを手伝おうと、シャルは急いでソラから降りる。しかし彼らに駆け寄ろうとした瞬間
「シャルは伏せてなさい!!」
という声と共に、短弓を握るチェナによって地面に押さえつけられてしまった。すると、ドッ…ドッ…ドッ…と、地面が揺れる感覚が体に伝わってきた。
「『穿鎧火槍』だ!火力で敵を押し返す!」
シユウの命令で帝の腕の半数が背負った青銅の筒を降ろすと、腰に付けた金属製の火種入れを開け、同じく腰に取り付けた、火縄が巻き付いた棒に火を移した。筒の後方には小さい正方形の穴が空いており、帝の腕達はその穴に火縄を直ぐ差し込めるようにして筒を進行方向に向けて構えた。残りの者達は自身の背負う筒を足元に降ろし、馬に括り付けていた盾を持ちだすと進行方向に向けてこれを構えた。また、全員が松脂で出来た栓を急いで耳の穴にねじ込んでいた。
迎撃の準備が終わったとほぼ同時に前方から土煙が立ち昇り始めた。土煙は次第に大きくなり、やがて汚れた服を着た盗賊達が馬に乗り、群れを成してこちらに向かって来るのが分かった。
シャルは逃げ出したい気持ちを必死に堪え、その場に伏せ続ける。その体勢は他の者達も同じで、行商達はシイを囲むようにして姿勢を低くし、チェナも何時でも弓を引けるようにしつつも身を屈めている。
「撃てーっ!!」
盗賊達の群れがいよいよ迫る…その刹那、シユウの号令が轟き、そして青銅の筒から勢いよく橙色の火が噴き出した。




