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地導の使者 覚醒編  作者: 空を飛ぶジンベエザメ
第五章 襲撃の真相
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4, シャルの勇気

「旦那、一度止まろう。牛達がもう限界だ。休ませなければ山に入った時大変なことになる」


暗闇に包まれた街道を進んでいた一行を、ムツイが止めた。


「あ、あぁそうだな。ここまでくればとりあえずは大丈夫だろう」


ムツイ達のもとに戻ったシャルとゴウは直ちに野宿を中止し、山に向かって荷車を走らせていた。夜間の移動は、盗賊は勿論のこと狼にも襲われる可能性もある危険な行為だ。だが、そのことを十分解った上でもゴウ達はあの場から直ぐにでも離れる必要があった。荷車を止めたゴウはその上で大きくうなだれると、疲れの混じった大きなため息をつく。


「いい加減何があったのか教えてよ!あの丘の向こうで何を見たの!?血相を変えて戻ってきた上にチェナを置いて出発するなんて、一体どうしちゃったの!?」


そんなゴウにシイが怒りを露わにして問い詰める。


「…盗賊がいたんだ。どうやら俺達を狙ってずっと付けていたみたいだ。だからチェナに殿を務めてもらった…」


苦し紛れの嘘をゴウは吐く。


「嘘よ!ただの盗賊なら親分があんな顔で戻って来たりなんて絶対にしない。むしろ剣を抜いてチェナと一緒に戦うでしょ!?お願い、本当のことを言って!」


だがゴウは頑なにあの場で見たことを話そうとしなかった。当然だ。あの場でチェナが対峙した者は、彼とシイの人生を破壊し、そして二年間という期間憎しみに囚われながらも戦い、滅ぼしたはずの存在だ。そんなものが自身の目の前に現れたなどと言えるはずがない。ゴウが一向に口を割らないことに嫌気が差したシイは、一瞬シャルのほうをチラッと見たが、流石に彼から聞き出すのは失礼が過ぎると思ったのか直ぐにゴウに向き直り


「…分かったわよ。でも、チェナが帰って来たら絶対に話してもらうからね!」


と、ぶっきら棒に言ったきり顔をそむける。


「だけど、これからどうするんですか…?山ももうすぐですし…」


ゴウに腹を立てるシイとは違い、ヤイノの声は弱弱しい。


「あぁ。とりあえずはここでチェナが戻るまで牛達を休ませる。スイがチェナを見つけてくれていたら直ぐに合流出来るだろう。そうしたらまた進むぞ。明朝までに山に入れれば賊たちは追っては来ないはずだ」


「でももし…」


ヤイノの次の言葉が出る前にムツイが強い口調でそれを止める。


「よせヤイノ。シャルがいるんだぞ」


「は、はい。すみません…」


しかしヤイノは募る不安をぬぐえていないのか、おろおろと、闇に包まれた周囲を何度も見渡す。ただでさえ信頼しているゴウがここまで焦り、取り乱しているのだから無理もない。


暗闇の中、お互いの顔が見えない状況で嫌な沈黙が続く。ゴウとシャルは皆を混乱させまいと真実を伝えることを避けていたが、それがかえって皆を不安にさせてしまっていた。もっとも、真実を伝えたところでより大きな混乱を招いてしまうことは自明の理であったが。


シャルは様々な憶測を頭の中で巡らせ、そこから来る不安と、最悪の想定を出来るだけ考えないようにするため、跨るソラの鬣をひたすらに撫でていた。


(チェナが死ぬわけがない。チェナに刀なんて効かないし、それに俺に見せていないだけで武術だって抜群の腕なはずだ。そうだ、チェナが殺されるわけがない。でも、もしも体の硬化が遅れたりしたら…あぁ!変なことを考えるな!ゴウさんの言う通り、今はただ待つんだ。今にスイに乗ったチェナが現れてくれるはず…)


そうしてしばらくの間沈黙が続いたある時、ヤイノがゴウに小さな声で話しかけた。


「旦那…。あそこ見てください。あれって焚火の火、ですよね…?」


おずおずとヤイノが指す先には、彼の言う通り街道から少し離れた位置に仄かな橙色の光が浮かんでいた。今まで気づかなかったその光に全員が一斉に目を向ける。


「そう、みたいだな。多分、俺達と同じでこれから山に登る行商か何かだろう。ケハノが封鎖されているってのに、物好きなやつもいるもんだ」


「だったら危険すぎますよ!俺達が盗賊に狙われていたように、あの人達もつけられているかもしれません。なのにあんな風に火を焚いていたら自分がここに居ることを教えているようなものです!旦那、自分、あの人達のところにちょっと行ってきます!」


ぴょんと荷車から飛び降りるヤイノ。


「おい待て!ヤイノ!!おい!!」


しかしヤイノはゴウの制止を聞かずに明かりの方に走って行ってしまった。暗闇から盗賊や獣にいつ襲われるかも分からない中、帰って来るかも分からないチェナを待ち続けるという事は、未熟なヤイノにとっては耐えられないものであったようだ。だが、それを加味したとしても愚かな行為であることには変わりない。


「あの馬鹿…!ムツイ、すまんがまた荷と皆を頼む。俺はヤイノを連れて帰ってくる!」

ゴウは傍に置いてあった剣を再び握ると荷車から降りようとする。しかし


「いや、僕に行かせてください」


荷車を降りようとしたゴウを、なんと荷車の最後尾にいるシャルが止めた。


「ど、どういうことだ!?」


思わぬ人物からの思わぬ発言に、ゴウは鳩が豆鉄砲を食ったような顔をする。


「姉さんが言っていたように、もしヤイノを追いかけてゴウさんに何かあったらこの荷は誰が動かすんですか?それに、僕にはソラがいます。ソラの足なら直ぐにヤイノに追いつけるはずです」


今すぐにでもこの場所から離れたい。その気持ちはシャルもヤイノと一緒であった。しかしそれと同時にシャルはゴウとシイの過去やヤイノの夢を聞き、この行商達を守りたいという思いが強くなっていた。自分もまだ守られる立場である、という認識を置き去りにした考えではあるが。


「それはダメだ!危険すぎる!」


ゴウは直ぐに険しい顔になり、その提案を否定する。しかしムツイがそんなゴウを諭しつつ


「シャルの言っていることも一理ある。旦那がシャルと一緒に何を見てきたのかは知らないが、チェナがいない以上、俺達の誰かが荷から今離れるのは得策じゃない。ここはシャルに任せてもいいんじゃないか?」


冷静な声でその意見を肯定してくれた。


「だが…」


ムツイに諭され、ゴウは後ろめたそうな表情を崩さなかったが


「分かった。頼んだぞ」


と、結局はシャルに任せてくれた。

「はい!」


そしてシャルはソラの腹を蹴り、光のほうに駆け出していった。


シャルがヤイノの姿を見つけた時、ヤイノは火の傍でじっとうずくまる三つの人影の内の一つに話しかけようとしていた。どうやら荷車から見た光が焚火であったことは間違いなかったようだ。


しかしその火を起こしたであろう人間達は行商などでは決してなかった。その人影達は眠りに落ちているのか、ヤイノが火の照らす範囲に入っても一向に気付く素振りを見せず、皆、等間隔で地べたに座りながら只々頭をだらりと垂れている。おまけに全員が、丁度チェナが持っている白い羊毛製の外套を全身に纏っているせいで、誰がどのような人物かも判別がつかなかった。


「あの…、すみません。どこか具合でも悪いんですか…?」


ヤイノが恐る恐る話しかける。しかしヤイノが話しかけてもその人物は尚も微動だにしない。そこにシャルが背後からソラに乗って静かに近づく。背後に巨大な気配を感じたヤイノはビクッと大きく飛び跳ねた。


「な、ななな何だシャルさんかぁ…。お、驚かさないで下さいよ…」


「びっくりしたのは俺達のほうだよ…!早く戻ろう…ほら、乗って」


火の前でうずくまる者達があまりにも不気味な為、先程の心意気はどこへやら、シャルは消え入りそうな程の小声でヤイノに話しかけていた。


「で、でもこの人達が…」


しかし、ヤイノはそれでもその人物達を気にかける。


「え、えっと。じ、自分は行商の見習いなんですけど、ついさっき自分の師匠に当たる人が盗賊に襲われて、ここまで逃げてきたんです。もしかしたらこの近くにも仲間がいるかもしれません。だからこんなところで火を焚いていたら危ないですよ…」


(頼むから早く乗ってくれヤイノ…!絶対に関わったら不味い人間だよ、その人達…!)


ヤイノは全く反応を示さないそいつに更なる恐怖を感じつつも、懸命に話しかける。一方シャルはそれがいつ自分達に襲い掛かってくるか、気が気ではなかった。その時である。


「あぁそうみたいだな。伝えてくれてありがとうよ。お陰で仕事が少々増えたようだ」


その人物が突然低い声で話し始めた。ただでさえおっかなびっくりだった二人は、心臓が飛び出しそうになる。


「おい小僧共、耳を塞げ」


二人に短くそう告げるとそいつは素早く立ち上がり、外套を勢いよく脱ぎ捨てる。そこから露わになったのは鋭い目つきにごつごつとした顔付き、渋い顎髭をたくわえた強面の男であった。更にその体には黒い鎧を纏い、左手には自身の半身程の長さをした、上下に縄を巻き付けた青銅製の筒を抱え、右手には火縄を巻き付けた細い棒を持っていた。そして男は焚火に火縄を近づけ火を移すと、細い煙を立てる火縄を棒ごと抱えていた筒の中に放り込む。その瞬間、


バチバチバチバチバチッ!!


という凄まじい破裂音と共にその筒先から大量の火花が噴き出る。それに驚いたソラが大きく嘶きながら後ろ足で立ちあがってしまった。


「うわあぁ!!」


耳を塞いでいた為に手綱から両手を放していたシャルはソラの背中から滑り落ちそうになる。慌てて手綱を掴もうとするも、ソラが勢いよく立ち上がったせいで既に後ろ大きくにのけぞっていたシャルは虚しく手で空を切るだけだった。ソラの背から落ちたシャルに、固く、暗い地面が迫り来る。


(クソッ、間に合えっ…!)


シャルはだめもとで、背中に力を入れて硬化を試みる。すると急に力を入れた部位が温かくなり、それとともに地導の揺らぎが背を包んだのが分かった。そしてそのまま地面に叩きつけられる。


「ぐっ…!」


だが背に強い衝撃を感じたものの、痛みなどは全くない。以前落馬した時とは違い、シャルは自身の意思で体を瞬時に硬化することに成功したようだ。だが、そんなことを喜ぶ余裕など無く、急いで身を起こす。ソラはシャルを落とした後、そのままどこかへ走り去ってしまっていた。筒から噴き出続ける火花が相変わらず辺り一帯を明るく照らしている。


「あれは、『火雨走り』…!?」


貿易によりテルー帝国の様々な技術を取り込んだ東ノ国は兵器の開発も飛躍的に進んだ。火雨走り(ひあめばしり)はその象徴とも言える武器だ。特殊な配合で作られた火薬を詰め込んだ青銅の筒に火種を放り込むことで、大量の火花を文字通り雨のように噴き出す。


火花そのものを吹き付ける他、火花が放つ閃光と爆音により人間や騎馬を大きく怯ませることも出来、特に暗所や夜ではその効果がより高まる。


「おいおい何だ一体!?」


「まさか俺達に気付いてたってのかよ!?」


破裂音に混じって、周囲から動揺の声が聞こえる。急いで周りを見ると、火花に照らされ、かなりの数の人影が三人を囲んでいることが分かった。その人影はチェナが相対した者達と同じように皆手に刀や弓を持っている。そう、シャル達は焚火の前でうずくまる男達を襲おうと忍び寄っていた盗賊達の中に紛れ込んでしまったのだ。だが、標的が急に凄まじい火を放ったことで、盗賊は慌てふためいている。


「さあ、クズ共を斬って来な」


その掛け声に応じて、顔を伏せていた残りの二人もばさりと外套を外し、立ち上がる。そんな彼らもまたヤイノが話しかけた者と同じく黒い鎖帷子を装備した男達であった。しかし筒を持つ壮年の男とは違い、一人は短髪、もう一人は長い髪を後ろで一纏めにした若者であった。二人は立ち上がるやいなや両腰に差した二本の刀を抜くと、おろおろしている盗賊達に向かって斬りかかってゆく。


「逃げろ!こいつら帝の腕だ!」


四本の刀から繰り出される斬撃に、盗賊達は成す術なく倒されていった。


(凄い…!)


火花に驚いたことで逃げ腰になっているとはいえ、それでも二人でその十倍はいるであろう人数を容易く斬り伏せてゆくその様を、シャルとヤイノは呆気に取られた顔で眺めていた。そして男が掲げる筒から出る火花が次第に細く小さくなり、やがて辺りを照らすものが焚火のみに戻った時、仕事を終えた二人が帰ってきた。


「終わりました」


その声は淡々としてはいたが、その若さゆえに人斬りには慣れていないのかほんの僅かに震えが混じっていた。


「おう、お疲れさん。初めての仕事にしては上出来だ」


ソウシと呼ばれた壮年の男は帰ってきた二人を一瞥すると、火を噴いていた青銅の筒を逆さにし、中に残った灰や煤を取り除き始める。


「全く、こいつらが本当に商隊を壊滅させたとはにわかには信じられません。注意を我々に向ける為とはいえ、こんなあからさまな罠にかかるとは…」


短髪の男がぶつぶつ言いながら額に付いた返り血を拭いとる。


「同感だな。やはり今回の襲撃は妙なところが多い。この程度の実力で我が国の大商隊を襲うなどと、隊に内通者でもいない限り不可能だろう」


短髪の男の言葉に対し、横に立つ長髪の男も首を縦に振る。


「まぁそう言うな。数は減っているとはいえ、盗賊や野盗なぞこの草原にまだまだ蔓延っている。こいつらが襲撃を行ったとは限らんだろう。それよりも…」


筒を何度か上下に振り、溜まっていた汚れを大方除いたソウシは筒を軽々と背負うと、二人で肩を寄せ合っているキシャルとヤイノに歩み寄る。


「お前さん達の顔には見覚えがある。関所で行商と共にいた坊主共だな。親切心で俺達に警告してくれたのだろうが、さて、面倒なことになったな…」


ソウシは厄介そうな面持ちで頭を掻く。


「ソウシ殿。ここは正直に話してもよいかと思います。もう一日も経てば彼らは山に入ります。我々の任はあくまで山に入るまで彼らを見守ること。山に入ってしまえば賊たちも簡単に手出しは出来ないでしょう」


「それは勿論分かっている。だが、う~ん…」


短髪の男の意見に対しソウシは納得のいかない表情をしていたが、遂に何かを諦めたかのように小さく息を漏らすと、その強面を二人に近づけた。


「おいお前さん達。俺達が何者か、分かっているだろう?」


「は、はい。その黒い鎧は『帝の腕』の証です…。お、お仕事の邪魔をして大変申し訳ございませんでした…」


(帝の腕…!この人たちが…)


シャルは改めて眼前の男達を見る。帝の腕。それは東ノ国の軍における最高戦力である。類まれなる武術や剣術の才を持つ者だけで構成された帝の腕は皇帝直属の兵として、要人の護衛や、国の脅威となる存在を拘束・排除する任に当たる。このことから帝の足に並んで名誉ある職であるとされているが、戦で高い戦果を上げた者か、年に一度開かれる試験を突破し、己の才を皇帝と軍部重臣に認められた、ごく限られた者しかなることは出来ない。風狩り以降大規模な軍事活動を行っていない現在の東ノ国では実質的に後者の方法でしか帝の腕になることは出来ず、故にその道のりは極めて厳しい。


「その通りだ。俺達は今お前達行商を影から見守るよう皇帝と軍部重臣から命を受けている…」


ガサッ!!


しかしソウシはそこまでしか話すことが出来なかった。賊たちが倒れる草の影の一角から、突如人影が彼の背に跳びかかってきたからだ。


「なにっ…!?」


『ソウシ殿…!?』


ソウシに跳びかかったその影に対し、彼の背後に控えていた二人は慌てて刀を抜こうと鞘に手をかける。だが、鼠色の外套をその身に纏ったその人物は、枝にとまる鳥のように、ソウシの肩に乗ると、その体勢のまま、刺青が彫られた腕に握った短刀で、素早く彼の喉を切り裂いた。


「がっ…!」


苦しそうな声と共に、ソウシは首から大量の鮮血を吹き出す。ソウシの喉を裂いたその人物は続いて、彼の肩を踏み台にして、今度はなんとシャルに向かって跳びかかってきた。


「え…」


自分の背後に勢いよく降り立ったそれに対し、シャルは一瞬にして頭が真っ白になる。そして、気づいた時にはソウシの血がべっとりとついた短刀が、今度は彼の喉に当てられていた。


「動くな」


頭巾の下から発せられた男の低い声で、地面に勢いよく倒れこんだソウシを除いた全員がその場で石のように固まる。


「おい貴様ら、直ぐに刀をしまえ。さもなくば、こいつも貴様らの仲間と同じ場所に送ってやる」


短刀をシャルの喉元でちらつかせながら、男は残った二人に刀を収めるよう促す。若い二人はシャルとソウシを何度か交互に睨み、そして悔しそうな表情でゆっくりと刀を収めた。


「そうだ。下手なことを考えないほうがいい。この小僧の命はないぞ」


二人が刀を収めたことを確かめた男は、彼らへの警告と共に、刀身をより強くシャルの喉元に押し当てる。その感触で、シャルはようやく自分が置かれた状況を理解し、それと同時に強い恐怖心があふれ出してきた。


(お、俺…ひ、人質に……?こ、殺される…?)


そんな彼を尻目に男は続ける。


「それと俺の背後に立つお前。あと一歩でも前に動いたらこいつを殺す。分かったらお前も武器を捨てろ」


恐怖のあまり、男のすぐそばで動けずにいたヤイノは恐る恐る男の背後を見る。


「だ、旦那…」


そこには剣を両手で構えながら、険しい表情を浮かべるゴウがいた。先程の閃光を見て、急いでヤイノとシャルのもとに駆け付けたゴウはそこでシャルが男に拘束されたのを目撃した。それが、先程チェナが対峙した存在と同じものであると理解しつつもゴウは二人を助けようと男の不意を突こうとしていたのだ。だが、男はそのことにとっくに気づいていた。


「何故、今、お前たちがいる…?お前たちは既に滅ぼされたはずだ…。それなのに、何故…?」


冷や汗を流しながら、ゴウは忌々しい灰色の背に問いかける。


「早く武器を捨てろ」


男は問には答えず、声に一段と圧力を増してゴウに剣を捨てるよう脅す。ゴウは更に顔を険しくしつつ、男の命令通り、握っていた剣を地面に捨てた。


「さて、俺の要求は二つ。背後の行商が運ぶ荷を俺に明け渡すこと。そしてそれを護衛する帝の腕を撤退させることだ。そうすればこいつの命は助けてやる」


男の要求を聞いた帝の腕の二人はやはりか…といった表情を見せる。だが、人質に取られている以上、彼らが出来ることはもはや何もない。


「早く決めろ。荷を渡すか、小僧が死ぬかだ。言っておくが、要求が飲めないのなら俺の傍で腰を抜かしているこいつも殺す」


それを聞いたヤイノの顔がたちまちに真っ青になる。


「…分かった。お前の言う通りにしよう。だから頼む、二人を放してくれ」


ヤイノのその顔を見て、すぐさま背後のゴウがそう告げる。荷物を諦めるなんてそんな、とシャルは思ったが、今まで彼と過ごしてきて、人の命よりも荷を選ぶような選択が出来るような、そんな人物ではないということはシャルも既に分かっていた。


「行商は物分かりが良いようだな。さぁ若い帝の腕よ、お前達はどうする…?」


ゴウが要求を飲んだせいか、僅かに高揚した声で男は二人に詰め寄る。


「くそっ…」


「ぬぅ…」


しかしゴウとは違い、二人は決断を出来ずにいた。彼らの任は行商を守ることではあるが、それと同時に商隊を襲った者の正体を暴くことも目的としているのだ。そしてトルクが予見していた通り、かつて滅ぼされたはずの灰の風が再び立ち上がり、何かを画策している。目の前の男がそれのなによりの証左だ。にもかかわらずこのまま男の要求を受け入れることは、敵の尻尾を掴む絶好の機会を逃すことになる。だが帝の腕とはいえ東ノ国の国益の為に簡単に人質を見捨てられる程、彼らは冷酷にはなれなかった。


(俺のせいでゴウさん達の荷が奪われてしまう…な、何とかしなくちゃ…)


命の危機に瀕したことでシャルは恐怖が心の大部分を支配しつつも、この状況を何とか打開しようとこれまで経験したことが無い程に様々な思案をしていた。


(地導の力があっても今の俺にこいつを倒すことなんて出来やしない…。それにゴウさんが背後にいるみたいだけど、兵士を辞めたゴウさんがどれだけ戦えるかなんて分からない。何とか出来るとしたらあの帝の腕の二人だけだ。もし一瞬でもこいつの気を逸らすことが出来れば…よ、よしっ、こうなったら一か八かだ…)


一つの策を思いついたシャルは


「み、皆っ!俺達のことは気にしないでくれ!こいつのいう事なんか聞いちゃダメだ!」


と、突然大きな声を出した。それを聞いた男は更に強く短刀を押し当てる。


「誰が喋っていいと言った?」


「ぐっ…」


喉に受ける圧力と痛みに怯みつつも、シャルは抵抗を続ける。


「う、うるさいな…!黙らせたかったらこのまま喉を切ってみろよ…!」


シャルは男を挑発しつつ、拘束から抜け出そうと体をもぞもぞと激しく動かし始めた。


「君っ!馬鹿なことは止めるんだ!」


「止めろシャルっ!!」


それを見た長髪の男と、背後のゴウがシャルを止めるために声を荒げる。だが、既に手遅れだった。


「そうか。ならば望みどおりにしてやる」


「むぐっ…」


男は左手でシャルの口を強く覆う。動けないヤイノがいたせいもあるだろう。抵抗するシャルを人質としては使えないと、男は判断した。


(狙い通り…!)


しかしシャルは口を押えられたその瞬間、首に力を入れ意識を集中させる。するとソラから落馬した時と同じように、首全体が柔らかな温もりと揺らぎに包まれる。


「シャルさんっ…!」


男の持つ短刀がシャルの首を勢いよく滑ろうとしたその刹那、横にいるヤイノの悲痛な声が響く―


シーッ!


(何だ…?)


人間の皮膚を裂いたとは思えない音と感触に、男はシャルを見下ろす。確実に首の太い血管を切ったはずだ。しかし、まるで岩に刀身を擦りつけたかのように刃が入った感触がまるでないばかりか、殺した帝の腕の血で濡れただけで、シャルの首からは血の一滴も出ていない。


(こいつ、まさか…!)


男は動揺のせいでシャルの口を覆う力を緩めてしまっていた。その隙を見てシャルは首を左右に大きく振って男の手を払うと、そのまま左手の親指に思い切り噛みついた。


「ぬぅっ…!」


噛みつかれたことで男は怯み、意識が更にシャルに集中する。それを、帝の腕たる兵達が見逃すはずが無かった。


男が噛みつかれたその瞬間、長髪の男は目にも止まらぬ速さで刀を一本引き抜くと男めがけて投げつけた。それと同時に短髪の男が鞘に手をかけつつ男に向かって駆け出す。自身に刃が向かって来ることに気付いた男は短刀をシャルから離し、飛んできた刀を弾く。その隙を狙って短髪の男が追撃を叩き込む。しかし男は空いている左手の手首を内側に曲げ、ゆとりのある袖から斧を素早く抜き取ると、それを用いて一撃を見事に防いだ。


「短刀と戦斧の使い手…。どうやら本当に『灰の風』のようだな」


しかし二対一の戦闘は流石に不利と判断したのか、男は受け止めた刀を弾くと、そのまま踵を返し、二人の追撃を許さぬ脱兎の如き速さで暗闇の中に姿を消してしまった。


「待てっ!」


慌てて追いかけようとするも


「よせっ!深追いはするな!」


と長髪の男が止める。暗殺と不意打ちをも得意とする灰の風に対してこの暗闇の中に突っ込んでいくのは悪手どころか、みすみす命を捨てに行くようなものだ。それにいち早く気づいた短髪の男は直ぐに足を止める。男の姿が完全に見えなくなると、帝の腕達はそれぞれ刀を収め、重い足取りで、凶刃に倒れたソウシの傍に膝を着いた。


「…手遅れだ」


赤く染まったソウシの首筋にそっと手を当てた長髪の男がやりきれない様子で呟く。


「くそっ…!俺達が未熟なばかりに…!」


それを聞いた短髪の男が悔しさのあまりに地面を強く殴った。その背後ではヤイノとゴウがシャルに駆け寄る。


「シャル…お前、本当に何ともないのか…?」


「そ、そうですよ…!あんなにしっかり刃を当てられたのに傷一つないなんて…それに、切られた時の音も、まるで砥石で刃物を研ぐときの音みたいで…」


ゴウとヤイノに詰め寄られ、シャルは内心かなり焦っていた。地導を使ったことで思惑通りにあの切羽詰まった状況を何とか切り抜けはしたが、首を刃物で切られたにもかかわらず、何食わぬ顔でいれば疑問に思わないはずがない。しかしとにかく助かることに夢中になっていた先程のシャルの頭には、そんなことまで考えている余裕は無かった。


「本当に大丈夫です…!えっと、そうだ…!きっとあいつは本当に僕を殺す気は無かったんだと思います。ゴウさん達を脅す為に僕の首を切るふりをしただけですよ…!」


「で、でも…」


「それよりもゴウさん!あいつは僕達の命と引き換えにゴウさん達の荷を要求してきました。あいつ、もしかして逃げた振りをして荷を狙いに行ったんじゃ…!」


それを聞き、二人の行商の顔色が変わる。互いの身を案じるあまり、残してきた荷とシイとムツイの二人のことをすっかり忘れてしまっていた。


「そうだ…!急いで戻らないと…!」


ゴウは慌てて、少し離れた場所に捨てた剣を拾いに行こうと立ち上がる。しかし、


「その必要はありません」


暗闇の中から当然響いた、若い女の声が、それを止めた。


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