04 常盤視点
「私は篝様に嫌われているのでしょうか」
帰りの車の中。ぼくの普段は優秀な執事、隼瀬雪路は至極真剣な顔で、ぼくの中では最も『ありえないこと』に分類されることを宣った。思わず「はあぁ?」と妙な声をあげてしまった。いや、あいつが雪路のことを嫌いなんてそんなことあってたまるもんか。ぼくが毎日どれだけあいつの気持ちを聞かされていると思ってるんだ。雪路の愚痴を言うたびに聞いてもいない雪路への想いを語られるんだぞ。これであいつが――ぼくの高校初めての友人、篝冬雪が――雪路のことを嫌いなら、あいつは相当な女優だ。確実にぼくは人間不信になる。
ぼくの反応が予想外だったのか、雪路は少し驚いた顔をしていた。きょとん、とその珍しい表情に、ぼくのほうも驚いてしまう。そんなに驚くような反応はしていないはずだ。
「なんだ、その間抜けな顔は。妙なことを言われて驚きたいのはこっちだ」
「い、いえ……失礼致しました。思っていた反応とあまりに違っていたものですから」
「はあ? あいつがお前のことを嫌いなんてあるもんか」
「そうでしょうか」
雪路は納得できないようで、怪訝な顔をしながら首を傾げている。なんだ、妙に疑り深いな。ぼくがありえないと言えば絶対にありえないことなのに。他でもないぼくが言っていることなのに。
だが、これはいい傾向かもしれない。今まで雪路はぼくの友人に嫌われているかどうかなんて気にしたことはなかった。だというのに、冬雪のことはこんなにも気にしている。もしや、雪路も冬雪のことを好きとはいかないまでも、少し気になり始めているのではないだろうか。
「なんだ、妙に気にするじゃないか。冬雪のことが気になるのか?」
「え……あ、いえ。とんでもございません。そういうわけではないのです」
「そ、そうか……」
冬雪がいれば思いっきり頭か心臓に刺さっていただろう完全な否定に、ぼくも思わず動揺してしまう。ぼくの読みは残念ながら完全に外れてしまったようだ。雪路の様子を見るに、気持ちを隠そうと取り繕っているわけでもなさそうだ。
……まあ、雪路と冬雪の接点なんてぼくを通じてのものしかないわけだし、当然と言えば当然かもしれない。
ぼくとしたことが結論を急ぎすぎた。こほん、とわざとらしく咳払いを一つして、再度雪路に問うた。
「じゃあなに気にしてるんだ? というかなんで『嫌われてる』なんて思ったんだ?」
「いえ……その、単純にあまり篝様と目が合いませんし、私に対する態度だけ余所余所しいようですし……それに」
「……それに?」
「先程、少し顔を近付けたら「ひっ!?」と悲鳴をあげられてしまいまして……少し、というか大分心にきたと申しますか……」
「あー……」
珍しく割と本気で落ち込んでいるらしい雪路に、全ての状況を察したぼくは軽く唸ってしまう。
目が合わないのも雪路に対する態度だけ余所余所しいのも、そして恐らく顔を近付けて悲鳴をあげられたのも、全て冬雪が雪路に恋をしているせいだ。冬雪はどうやら雪路と対峙するときだけ極度の緊張状態に陥るらしく、普段のよく回る口もとっつきやすい性格も雪路のことになるとコロコロとよく動く表情筋も、全てどこかへいってしまうようなのだ。悲鳴はまあ、恐らくだが普段からずっと言っている『ど好みの顔』が近くに来てテンパったせいで出てしまったのだろう。
だからまあ、雪路の今言った『嫌われているかもしれないと思った理由』は全て杞憂に過ぎないのだが、勿論それをぼくの口から言えるわけがない。そんなことをしたら冬雪は容赦なく、天下の海音寺家の御曹司でも関係なく、ぼくの脳天に鉄拳を入れてくるに違いない。別に怖いわけではないが、勝手に人の気持ちを本人に教えるというのもどうかと思うわけで、とにかくぼくからは雪路に何も言えない。
「……はあ」
「? 如何なされました?」
「いや……こんなやつのどこがいいんだろうなと思ってな」
「……? 本当にどうなさったのですか……? 確かにいつも無駄な自信に満ちあふれていてうざったいところはありますが、そこが常盤様のいいところでもありますよ、元気出してください」
「……言っとくが『こんなやつ』はぼくのことじゃないぞ」
「おや、違いましたか」
「『おや』じゃない! ケロッとしやがって! お前はどうしてそう余計なんだ!!」
さらっと息を吸うように毒を吐いてみせた従者に、ぼくはそっと溜息を吐いた。
まったく、本当に冬雪は、こんなやつの――雪路のどこがいいと言うんだろうか。直接聞いても当然のように『全部』だとか『強いて言うなら顔』なんて返事しか返ってこない。『顔』は実に冬雪らしい返答だと思うが、『全部』とは一体どこを見て言っているのか。この毒舌と微妙に意地の悪い性格も含めて言っているのだろうか。そもそも冬雪は雪路の前ではああだから、そんなに雪路とは絡んだことがないはずなのに、どこをどう見て雪路のことを好きだなんて思ったのか。まったくもってこれっぽっちも分からない。
「まあ……嫌われてはないから安心しろよ」
「……そうですか? イマイチ常盤様の言うことは信用ならなくて」
「どういう意味だこのクソ執事」
「クソなんて言葉を使ってはいけませんよ、常盤様」
白々しくそう返されて、ぼくはがっくりと肩を落とした。
▽
「雪路さんと付き合いたい」
雪路が教室から出て行ってすぐ、冬雪から言われたそれに驚いたぼくは、不覚にも間抜けな顔をして固まってしまった。
冬雪が、雪路と付き合いたい? いやまあ、雪路のことが好きだと言っていたんだからそりゃまあ当然の思考かもしれないが、『雪路と付き合いたいと思わないのか』と聞いただけで顔を真っ赤にしていたあの冬雪が。
「ど、どうしたんだ急に」
辛うじてそれだけ返した。冬雪は真剣な顔をして、ぼつりぽつりと話し始めた。
「……昨日、改めて思ったんだけどさ」
「おう」
「雪路さん、私とあれだけ密着しても全然全くなんともなさそうだったし、本当にまるで私のことなんて眼中にないじゃん」
「ああそうだな」
はっきり答えると、その台詞がそのままグサッと冬雪の心臓に刺さったようだった。ちょっと睨まれる。なんだよ、ぼくは正直な男なんだ。
「……とにかく! 雪路さんに本当になんとも思われてなかったことを再認識して悲しくなって、それで……その、他の人に取られちゃうのは嫌だなって……思って。その。常盤とかに」
「おいそのネタ引っ張るのやめろ」
先日から妙に引き摺られているその背筋のゾッとするネタに顔を引き攣らせる。どうしてそう冬雪はぼくと雪路をくっつけたがるのか。ぼくの恋愛対象も雪路の恋愛対象も女の子だと何度も言っているのに。
「……とにかく、冬雪は雪路と恋人になりたいんだな」
「こっっっ……!! ……はい……」
「なんで照れるんだよ」
「だっ、だってほら! 『恋人』ってちょっと恥ずかしいじゃん!! しかも私と雪路さんだよ!? てっ、照れる……」
「本当に大丈夫なのかそんなんで……少なくとも普通に話せるようにならないと恋人どころか友人にすらなれないと思うぞ」
「ぐっ……ぐぅ……」
文字通り『ぐうの音』をあげた冬雪は何も言えずに机に突っ伏した。
いやしかし、本当に当面の課題はそこだろう。つい昨日、雪路には『嫌われているのか』とすら聞かれたのだ。まずは好意を知ってもらうところからだろう。先が思いやられる。
「……でも」
――が、ふと冬雪が俯いたまま、真剣な声で呟く。
「雪路さんが、他の人と……こ、恋人……に、なっちゃうのは……絶対やだ……」
「……そっか」
じゃあ頑張れ、と頭をぽんと叩くと、冬雪は大人しくコクリと頷いた。珍しい。まあそれほど真剣なのだろう。
まあしかしぼくも、そんな頑張る友人に協力、してやらんこともない。