第七話 二つの魔剣
矢を番えエランに狙いを定めるロイ・ベルン指揮長官の後方に、レント騎士隊の騎士達が戸惑いと不信感を浮かべながら、剣を手に戦闘の陣形を取る。後衛部隊から逸早く駆け付けたのは、エランと親しい者達ばかり。その姿をエランは懐かしむように眺めている、死の危険が差し迫っているのに、まるで他人事であるかのように。危機感に慌てているのは、僕一人に思えた。
「待って下さい、ベルン長官。エランは騙されているだけだ、討たないで!」
僕は馬上でバランスを取りながら、必死にベルン長官に訴える。
「僕が必ず、エランを説得するから!」
ベルン長官はエランを睨み付けながら浅く頷くが、矢はエランに向けられたままだ。僕は素早く馬を下り、ベルン長官の射程を阻むように、エランの前に立つ。
「君は〈ありえざる者〉に騙されているんだよ。そのマントを渡したのは、僕じゃない」
「……あれは確かに君だ。言ってくれたじゃないか、絶対に僕を魔界域なんかへ行かせないって」
「それは……、僕の意志じゃないんだ」
〈ありえざる者〉オーリンにとっても、エランは大切な幼馴染だ、助けたいと思うのも当然だろう。
「じゃあ、誰の意志だよ?」
「天界人だ。信じないかもしれないけど……」
エランが鼻で笑った。僕の中にいる〈ありえざる者〉オーリンの事を、いくら幼馴染みに説明しても解ってはもらえないだろう。彼には僕しか映らないのだから。
オーリンはエランを、魔界域へ行かせたくないんだ。
僕だって、そう思うよ。
エランが受け継いだルディーナの魔剣は、彼を魔界域へ導く。魔界域に囚われている、魔王アドランの魂の一部を、消滅させるのが目的だ。水晶玉から僕が魔王を解放しても、魔界域に魔王の魂の一部が繋がれている限り、完全に消滅出来ないと、ルディーナは考えたのだろう。
ハラルドによって屍食鬼になる呪いを掛けられたエランは、彼女にとって目的を果たす重要な存在となった。屍食鬼になれば魔界域へ簡単に入れる、魔王アドランの完全なる消滅を、彼女は望んでいたのだ。恋人を目の前で惨殺されて、復讐を遂げたいルディーナの気持ちはよく解る。
僕がもう少し大人で、彼女のように強力な魔力を持っていたら、僕もそう考える、きっと……。
僕はエランの腰に下がるルディーナの魔剣を見つめた。魔力は感じる事が出来ず、ただのモラスの騎士が持つ剣に見える。エランは僕の視線に気付き、溜息を吐いた。
「この魔剣の魔力が、君には解るのか? 僕にとってこれは、とても重いんだ。総隊長の剣だからじゃない、魔力が絡めとるみたいに僕を引き摺る。魔界域へ連れて行こうとする」
エランの表情が暗く、苦痛に歪んでいる。
「僕を屍食鬼にして、魔界域へ行こうとするんだ!」
彼が魔剣に苦しめられている事に、初めて気が付いた。ルディーナの魔力と意志が、エランを操ろうとして、彼はその事に必死に抵抗しているのだ。僕は彼にしがみ付き、苦しみに俯く顔を覗き込む。
「エラン、エラン! そんな物、捨ててしまえ!」
エランは激しく首を横に振る。
「出来ないんだ! 何度捨てても、僕の前に戻ってくる。折ろうとしても折れない、火にくべても燃えないんだ。どうにもならない!」
こんなに苦しんでいる幼馴染みの姿を、今まで見た事がない。ルディーナの魔力が、如何に強力かが窺い知れた。
「君なら解ってくれるだろう? 君だってその宝剣の魔力に、支配されているんだから」
「え?」
「そんな事はない、宝剣の魔力は全く感じない」そう言おうとして、ある事を思い出した。レント領にある父の館で、魔王アドランと対峙した時、《ソムレキアの宝剣》を抜いた僕は、確かに何かの意志に支配されていた。自分の意志なのか分からなくなる程自然に、宝剣を抜き魔王に切り付けた。
あの時、確かに誰かの意志を感じたんだ。
オーリンなのか?
それとも天界の誰かの意志?
そう思うと急に、《ソムレキアの宝剣》が重く感じる。僕は怖い物でも見るように、ゆっくり自分の腰に下がる剣を見る。魔王アドランが以前所有者だった宝剣。宝剣の主だけが、水晶玉に囚われた《王族》を解放出来る。宝剣の主は、宝剣が選ぶ。
まるで宝剣に、意志があるみたいだ。
今までなぜ疑問に思わなかったのだろう。セルジン王に心を奪われて、宝剣を魔王から守る事ばかり考えていた。
これだって天界の魔道具に違いはないんだ、僕の腕にはまる〈抑制の腕輪〉みたいに……。
そう思うと女神に支配されているようで、拒否感が心に沸き起こる。エランはこれより、もっと強烈に支配されそうになっているのだ。
「その宝剣、凄い魔力を発しているよ。君、よく平気でいられるね」
僕には見えない魔力を、エランは見ている。
見えなくて、良かった。
見えていたらエランのように苦しむ事になる。彼の苦しみは、僕の想像を上回る。それでも、僕は天界の意志に従う事は出来ない。
「…………エラン、僕はこの王国を滅ぼしたいとは思わない。たとえ僕が《ソムレキアの宝剣》に……、天界の意志に支配されていたとしても、それだけは絶対に思わない!」
「オリアンナ?」
僕はエランにしがみ付いたまま、彼の心を突き放す。
「《王族》と王族の血を引く者だけが、天界人として迎え入れられる? それがどういう事か分かっているのか? 僕がそんな事を、天界人に願い出ると思っているのか?」
「…………」
「僕が陛下を解放した段階でエステラーン王国は滅ぼされる。おそらく二つの水晶玉の魔力の範囲内が消滅するんだ。その中にいる人間は国王軍だけだ。共に戦い守り抜いてきた人達を、君は見捨てるのか?」
僕は怒りを込めて、エランを睨み付ける。エランは無表情に僕を見つめている、まるで心を閉ざしているように。周りの兵、特に王族の血とは無縁の前衛部隊の兵達に、僕の言葉は動揺を与えた。指揮官の命令に従い行動はしていても、反乱する意志のない者達は、この争いの本当の意味を理解出来ずにいる。
「国王軍は魔王アドランを倒し、国を取り戻すために存在する。王国を滅ぼそうとする天界の意志は、国王軍にとって敵に等しい! 僕はそんな意志に、従う事は出来ない!」
エランが顔をしかめる、周りの兵達の動揺が、手に取るように分るからだ。僕は優しく彼に問い掛ける。
「《王族》とその血を引く者達以外は、どうなっても良いのか? そんなの、君らしくないよね。いくら魔剣から逃れたいからって、まるで誰かに操られているみたいだ!」
言葉と同時に、僕は彼のモラスの騎士総隊長のマントを剥ぎ取った。その時、僕達の上空に何かが舞い降りる羽ばたきの音、そして誰かが僕達の真横に降り立つ。
「いいタイミングで魔法を解いてくれた。たまにはやるじゃないか、ヘタレ小竜」
テオフィルスが僕をエランから引き剥がし、間に割り込む。先程マシーナにした名前で呼ぶ約束は、彼がいない時は有効ではないようだ。僕が手にした総隊長のマントは、突然テオフィルスが現れた事で、僕の手を離れた。エランが剥がされたマントを手に取ろうとするが、テオフィルスがそれを踏み付け阻止する。
「お前、天界人に弄ばれている暇があるのか? それを羽織れば、呪いを解く機会が遠のくぜ」
「君に何が分かる!」
エランが怒りを滲ませながら、彼に飛び掛かろうとする。テオフィルスは僕を後ろに庇いながら、それを避ける。彼なりに、エランを説得しようとしているのがよく解る。
「ああ、お前の事情は知らん。でも、お前との勝負は、まだ決着が付いていないんだ。早く呪いを解いて戻って来い! いつまでも待てないぜ。俺がこいつを奪い取る前に、早く戻れ! 遊んでいる暇はないぜ!」
僕はエランのマントを取ろうと、テオフィルスに腕を掴まれながらも必死に手を伸ばす。だが、エランの方が早かった。テオフィルスに飛び掛かった直後に、エランは素早くマントを手にする。
「エラン、それは天界人の罠だ、羽織らないで!」
「……これを身に着けている時だけ、僕は魔剣の影響を受けずにいられる」
マントを脇に抱えながら、彼はテオフィルスごと僕を捉えようと、魔法で出来た網を繰り出す。テオフィルスは僕を抱えて、その網から逃れた。次の瞬間、左手をエラン含む前衛部隊に向けて突き出し、七竜リンクルを呼び出す。
[リンクル、出でよ!]
圧倒的な破壊力を持つ竜の影の出現に、前衛部隊もモラスの騎士も成す術もなく後退する。
「退け! 《聖なる泉》まで、退却!」
アレインの呼びかけにエランも従い、マントを羽織りながら踵を返す。僕はテオフィルスに腕を掴まれながら、必死にエランの元へ行こうとした。
「元の君に戻れ、エラン! 君の苦しみを、僕は受け止めるから。お願いだから、戻ってくれ。エラン、エラン――――!」
エランは後ろを振り返る事なく、朱色のマントを翻しながら僕の前から去ってゆく。僕の声は、もう彼には届かない。
テオフィルスは無情にも僕とエランを引き離し、本隊と後衛部隊が僕達を守り、エランとの間に壁を作る。僕は幼馴染みを失った悲しみに打ちのめされ、しばらく声を出す事も出来なかった。




