番外編 残念な男
これは第三章四話「イリの竜騎士」の冒頭、テオフィルスがルギーに別れを告げた後に続くちょっとした勘違いコメディの小話です。主人公は、ほのぼのマシーナさんです(笑)
[お前は、本当に残念な男だな、マシーナ]
〈七竜の王〉テオフィルスの天幕で、若君が低い声でボソッと呟いた。落ち込むルギーを出入り口から追い出し、私は怪訝な顔で振り向く。
[はい? 今なんておっしゃいました?]
[残念な男だ!]
[って……、私の事ですか?]
[お前以外、いないだろ]
思い当たる節がない。顔はまあまあ良い方だと思っている。スタイルも人気の竜騎士体型で、そこそこ女にモテてきた。性格だって、かなり良いと自負している。その上、長年の努力の結果、竜騎士隊の精鋭とまで言われ、もはや非の打ちどころがない!
それなのに、……残念な男?
私より四歳年下の〈七竜の王〉に仕えるようになってから、こんな事ばかりだ。早いうちに口の悪さにも慣れ、腹も立たなくなった。
[私のどこが残念なのでしょうか、若君?]
若君はいつもの無表情で、懐からサッと手紙を取り出した。
[リーサからの、手紙だ。出立前に、預かった]
私の心に突然、花火が打ち上がった。
リーサ!
愛しのリーサ!
喜びながら若君に詰め寄る。
[下さい!]
[ほらね、そこだよ。まるで懐いたばかりの竜だ]
[いいから、下さい!]
[そんなにリーサが大事なら、お前も帰ればいいじゃないか!]
[…………いいんですか?]
[ああ、いいよ!]
そんな事を言われると、すべて放り出して帰りたくなる。若君から手紙を奪い取り、わくわくしながら開けてみる。
『お仕事、頑張ってね! リーサより』
それだけ…………。
それだけ~っ?
……これじゃあ、帰れないじゃないですか!
泣きたくなってきた。横から若君が覗き込み呆れる。
[はっ、相変わらず淡泊だな。愛妻家の旦那に、仕事に集中しろって言っているんだ]
[私はいつも……、仕事に集中しております!]
[ふふん。それじゃあ、帰らないのか?]
[帰りません!]
[あ、そ。じゃあ、ついて来い!]
がっかりしながら、天幕を出た。それでも、手紙は大切に懐に入れる。
リーサは〈七竜の王〉テオフィルス・ルーザ・アルレイドの元「親衛隊」隊長……いや、会長だった。親衛隊と言っても、身近にいて警護する親衛隊ではない、いわゆる〈七竜の王〉ファンクラブ「親衛隊」の会長だったのだ。
「親衛隊」は領主家血縁のご令嬢ばかりが集う、我々竜騎士隊にとってそれは恐ろしい集団だ。若君が少しでも怪我しようものなら、竜騎士隊は責任を糾弾され、倍返しの目に遭う。反撃しようものなら、共和国議会に裏で手を回し、竜騎士の資格を一時的に剥奪される。当時の若君は今と同じ、無表情で無関心。
[放っておけ!]
まったく気にもしない。部下達が何人か被害に遭い、堪り兼ねて会長リーサの屋敷に直談判するべく忍び込み……、ミイラ取りが完全にミイラになった。
《テオフィルス様を、お守りする気はおありですか?》
出会って一目惚れして、口説いて、口説いて、口説き落とした。親が決めたお互いの婚約者も、身分も、家も……、何もかも捨てて駆け落ち同然の結婚をした。
結局、若君に連れ戻されたけどね。
あれから三年、いろいろな事が……。
[なにボーっとしている! イリを見張るぞ]
[はい!]
王太子の天幕の前に、大きな塊が蜷局を巻いて寝ている。イリはオーリン王太子の指示以外、受け付ける気はないようだ。数人の竜騎士がイリを取り囲んで見張っていたが、若君が来ると頷き交代した。彼等も急ぎ出立の準備をしなければならない。
イリは石のように固まって、動く気配がまるでない。若君と場所を離れて見張る事になっていたが、気になる事があった。少しぐらいの会話なら、出来そうな間がある。リーサは以前、若君と結婚の口約束をしていたらしい。本当に幼い頃の話で、当の若君はすっかり忘れていたが……。いや、忘れたふりをしているだけかもしれない、だから聴いてみた。
[若君は、どんな女性がお好みですか?]
[なんだ、それ?]
[いえいえ、残念な男ついでに、聴いてみました]
若君は無表情に、私をチラ見した。
[……短い金髪で目は大きくて灰色、細くて折れそうなのに、ヘタレ小竜のように、クソ生意気な子供]
なんとなく、顔が笑っている。リーサとは、かなりタイプが違う令嬢だ。
[子供ですか……? 短い金髪……? どこの、ご令嬢ですか?]
その時、イリが動いた。二人は咄嗟に緊張し、制御不能の竜が周りに危害を加えないように気を配った。イリは天幕の出入り口に向かって、甘えた声を出す。竜の身体が邪魔で見えないが、オーリン王太子が出てきたのだろう。
若君は出入り口を確認するために移動したが、私は彼が見える範囲での移動に留めた。竜の動きを周りに警告するためだ。若君が立ち止まり、不意に極上の笑顔を見せた。
珍しい!
若君も、あんな顔するんですねぇ。
何を見ているのか気になり、イリがそれ以上動く様子がないのを見極め、彼の元に移動する。
「前に言ったはずだ、顔に触るな、ヘタレ小竜! 大火傷をしたいのか」
真顔に戻った若君は、大きな声で警告する。入り口にオーリン王太子が立っていた。フィンゼル家の竜騎士の正装をしたオーリン王太子は、それは初々しいアルマレークの領主家の子息に見えた。
レクーマの残した竜の抜け殻から作った銀色の鎧に、彼の金髪が映え、神々しくさえ見える。灰色の大きな瞳が、若君に向けて見開かれていた。ヘタレ小竜のように、クソ生意気な子供には見えない。
え?
私は今、なんて思いました?
唖然としながら、若君とオーリン王太子を交互に何度も見た。
若君……、王太子は男子ですよぉ。
男好き……だったんですかぁ?
思い当たる節がないではない。リンクルクランの竜騎士隊には、他の領地の竜騎士隊に比べ、女子の数が少ない。人選は領主と若君が受け持っている。
…………だから私は、残念な男なのですかぁ?
リーサに夢中な男だから?
若君は私の様子に、不思議そうな顔をしながら呟いた。
[なに一人で、百面相しているんだ?]
私は顔色を青くしたり赤くしたりしながら、激しく首を振った。
[な……、何でもありません!]
それからしばらく、私の若君を見る目が、変わったのは言うまでもない。
マシーナ・ルーザ ―――精鋭と言われるこの男は、弱腰でよく喋り、変なところ鈍感な良い男である。