第十話 竜の葬列(一)
夜の帳が下りた。屍食鬼に覆われた荒廃した大地に、暗闇が訪れる。エステラーン王国の国王軍は、戦闘で崩れた行軍体制を立て直し、死者を弔いの火で見送る。
王が祈りを唱えると、死者の炎の中から小さな光が無数現れ、上空の屍食鬼の暗黒を切り裂くように、シモルグ・アンカが夕陽色の美しい翼を羽ばたかせ姿を現し、死者の魂を導く。渦を巻くように屍食鬼の空を突き破り、シモルグと共に天へ昇って行った。
僕はその光を、悲しい気持ちで見送る。母を見送った時の事を、思い出したからだ。やがて見送りの儀式が終わると、各々が持ち場へと引き上げて行く。僕は王と共に天幕へと向かった。
途中、僕の装着している竜騎士の鎧と、似た物を装着している見知らぬ人物とすれ違う。王の一行に礼を取りながらも、目は明らかに僕を見つめ何かを訴えていたが、気付かないふりをして通り過た。王の目の前でアルマレーク人と接触を取る気になれない。気になりながらも王の後姿を見つめ、アルマレーク人を心の中から追い出した。
僕は王と共に会議に出る事になっていたが、会議の場である王の天幕まで来た時、急に思い出し立ち止まる。
「どうした?」
「イリの様子を見てきても良いでしょうか? 戦闘で傷付いてないか、確認してないので」
「構わぬ、あれにはそなたしか近づけぬ。怪我が原因で暴れられても困るからな」
竜イリは僕の天幕の前で待機させてある。僕は王から離れ、王は天幕へと姿を消した。
イリは昼と違って元気そうに、松明に近寄る大きな元は虫だった魔物を、素早く長い舌で捕らえていた。竜は本来夜行性なのだ。
あれじゃ、お腹が膨れないだろうに。
イリって何を食べるんだろう?
僕は急に心配になった。イリが勝手に僕を竜騎士に選んだが、僕は竜の事を何も知らない。お腹を空かせて人間を食べたりしたら、大変な事になる。
「イリ!」
竜は僕に気づいて、翼を立てて可愛く駆けて来る。同行した近衛騎士達がその迫力に、思わず剣を抜きそうになったのを僕は止めた。彼等を後退させて、僕はイリに動かないように命じ、松明を持ちながら竜の周りを回って、怪我の確認をする。イリは僕の動きに合わせて、大きな目をクリクリ動かす。下から見上げるところにも、お腹の下の方も異常はない。
上からも確認した方がいいのかな?
でも、一人で登れる?
以前、イリに乗った時はテオフィルスの指示通りに登った。あの時は屍食鬼からレント領を守るために必死で、どう登ったかまるで覚えていない。足場になりそうな鱗を探した。
機嫌の良いイリの身体は薄茶色をしている。僕の記憶の中のイリは黒っぽい。機嫌によって身体が変色するのは、他の生き物で知っていたので驚かないが、ますます足場を判らなくさせていた。よく見ると前足付近の足の鱗上部に、青い何かが付いている。
何だ…、汚れ?
他の箇所も、点々と青が付いている。僕は思い出した。
そうだ、前足に足をかけて登ったんだ。
僕はイリの前足の、丁度青い汚れの付いた鱗に、右足をかけ体重を乗せた。イリが補助するように、ゆっくり足を上げる。すると左足のかけられる部分に、また青の印があった。僕は迷わず左足をかける。
誰が、これを付けたんだろう?
前から、付いていた?
僕の脳裏に、先程の見知らぬ竜騎士の姿が浮かんだ。
まさか、さっきの、あの男が?
イリに近づける騎士がいるんなら、僕じゃなくてもいいじゃないか!
これって、あの男の罠じゃないよね?
テオフィルスの皮肉っぽい青い目が浮かんだ。軽い憤りを感じながらも、足は自然に印を求めて動く。やがて騎乗用の鞍に辿り着いた時、イリが可愛い声を上げて僕に振り返る。まるで乗れと言っているように見えた。
「違うよ、イリ。君に怪我がないか、点検しているんだ。動くなよ」
僕はそう言って松明をイリの背に向け、怪我がないか確認する。背鰭に掴まりながら、長い身体を移動するのは危険を伴い、僕は慎重に尾の辺りまで移動し、背鰭を跨いで反対側も確認した。特に怪我はない。
「良かった、大丈夫だね」
竜騎士の鞍に手をかけてホッとした時、足に何かが触っている事に気付く。見るとイリの触手が、しっかり僕の右足に絡みついている。
「イリ、勘違いするなよ。乗る訳じゃないんだ」
竜は僕に声掛けて、ゆっくり翼を広げた。
「えっ? ちょっ……、イリ! 飛ぶな!」
僕は慌てて制止するも、竜は構わず翼をバタつかせる。振り落とされそうになった僕は、たまらず鞍に跨る。すると左足にも触手が絡みつく。これでは身動きが出来ない。
「イリ、飛ぶんじゃない!」
どんなに命じてもイリは浮き上がり、僕は慌てて腰の安全帯を鞍に取り付け、肩甲から耳栓を取り出しはめ、鞍に掛けてあった不思議な色合いの兜を被った。思い出せる範囲での安全策を取る。竜に一人で乗るのは初めてで、僕の心臓は、危機感から激しく脈打つ。鞍の前面にある取手にしがみ付いて、恐怖から自然に叫び声を上げた。
「飛ぶな――――!」
一番驚いたのは、地上にいる僕の近衛騎士達だ。点検だと聞いていたのに、飛ぶ事までは想定していなかった。飛び立つ竜の羽ばたきに吹き飛ばされないように、体勢を保ちながら呆然と見送る。
「オーリン様!」
いつの間にか竜は、あらぬ方向へ姿を消した。
「これは……、不味い!」
青ざめた顔で近衛騎士達は、慌てて王の元へと走った。
イリは僕を乗せたまま、すぐに地上に下りる。初めての単独飛行に、僕は鞍にしがみ付いたまま気を失っていた。イリが心配そうに鳴いている。誰かが肩を持ち上げ、激しく揺する。
「しっかりしろ、ヘタレ小竜! このくらいで、気を失ってどうする!」
「う……、き、気分悪……」
罵声を浴びせた人物が、僕の兜を取り払い、耳栓を取って口に何かを当てた。
「これを口に入れろ! 気分の悪さが吹き飛ぶ」
僕はおずおずと口を開けた。口に何かが入れられ、爽やかだが苦みのあるそれに、僕は現実に引き戻された。
「う……、ぐっ、苦い!」
「ふ、どうだ、目が覚めただろう。さあ、降りろ!」
僕は口に入れた物……、小さな木の葉を吐き出した。それを捨てながら、テオフィルスを睨みつける。
「どういう事だ? 僕をまた誘拐すると、どうなるか分かっているのか?」
「イリが勝手に連れてきたんだ。俺達のせいにされても困る」
言い訳するように、イリが鳴いた。テオフィルスは先に降りながら、僕に足をかける鱗の位置を指示する。言われた通りの位置に足を置き、地上に降りた時には、腰が抜けたように座り込んだ。彼は呆れながら見下ろす。
「このくらいでへこたれるとは、情けない奴! 立てよ、イリがお前を連れてきた意味を知りたくないのか?」
僕は疲れた顔で、嫌そうに彼を見上げる。青い目の竜騎士は、僕の目線の位置まで身を屈め、とある一点を指差した。
松明の薄灯りに浮かび上がるのは黒い大きな影、竜が何かを取り囲み大きな円状に集まっている。地上に降りる事の出来ない竜は、上空をゆっくり旋回し中心部へ近づこうとする。その中心に横たわる竜の姿。僕は墜落した竜がいた事を思い出した。
「あ……」
「竜の葬儀だ。お前も出席する義務がある」
「え、義務?」
意味が解らず、横にいるテオフィルスに問いかける。彼は何もかも見通す青い目で、真実を突く。
「フィンゼル家の血を引く者は、レクーマの竜の子の死を、見送る義務がある!」
僕は驚愕し、彼から遠ざかろうとした。彼は咄嗟に、僕の腕を掴む。
「放せっ! 何を言っているのか、意味が解らない!」
「ふん、だったらなぜ逃げようとする? 死にかけているのは、イリと同じレクーマの竜だ!」
「関係ない!」
テオフィルスは蔑んだ目で、怒りを露わにする。
「死にかけている竜の前で、そんな事が言えるのか? 来いっ!」
彼は僕を無理やり立たせ引きずるように、横たわる竜に向けて歩き出す。僕は恐怖を感じた。見たくないものが、目の前に横たわっている。見てしまったら引き返せない状態になるのが解るから、必死に抵抗する。
「嫌だ! 放せ、見たくない! そんなもの、見せるな!」
テオフィルスは容赦なく引きずり、暴れる僕を抱え込んで進む。抵抗が激しいため、彼は勢い余って横たわる竜の前に、僕を放り出す。地面に腹ばいになる体勢で僕は、目の前に弱い熱を放って息も絶え絶えになっている物体に、否応なく意識を向ける羽目になつた。
顔を上げた僕の前に、両目から赤い血を流す竜の顔があった。僕は恐怖に、叫び声を上げて起き上がる。死にかけている竜は僕の叫び声に気付き、ゆっくり頭を持ち上げようとする。少し持ち上がった頭は、すぐに力尽きて地面に落ちる。
僕は自分の身体が、震えている事に気付いた。弱った竜の熱は徐々に下がっていく。微かに金属的な声が聞こえる。誰かに向けて、呼びかけている。
「オーリン、その竜の名は、カイリだ! 呼んでやれ」
テオフィルスの大声が、遠くに聞こえた。僕は魅入られたように、死にかけた竜の声に意識を集中させていた。金属的な声が徐々に消えようとしている。震える手を、傷付いた竜の目蓋に置いた。竜がピクリと反応を返す。甘える声で、竜が鳴いた。僕の心に、その声が流れ込んでくる。
《……お母さ……ん……》
その声は明確なイメージを、僕の中に送り込んでくる。
銀色の美しい竜の身体に、大きな透き通る翼。
優しい金色の目は、僕を理知的に見つめる。
僕の瞳から、自然に涙が流れ落ちた。その竜こそが、七竜レクーマ。僕が受け継ぐ七竜レクーマである事を、自然と認識出来た。
会いたい……。
その想いが死にかけている竜の意識なのか、僕の意識なのか、どうでもよい事だった。僕は死にかけている竜を抱きしめ、その頭に身を預ける。
「ごめんね、カイリ。会いたいよね、お母さんに……。レクーマに会いたい……」
竜カイリは甘えるような声を発した後、息絶えた。
他の竜達が、悲しみの声を上げる。上空の竜が列を成し、カイリを中心に円を描き、悲しみに鳴く。その声を聞きながら、僕は涙を止める事が出来なかった。




