第六話 呪の魔法
セルジン王と別れて、王の部屋の隣に割り当てられた部屋へ急ぐ。エランに買ってもらった糖菓を、二人で小分けにする約束をしているのに、王との話が長引いて遅れてしまったのだ。時間を守るエランを、待たせる訳にはいかない。
僕は大慌てで部屋に戻った。霧魔に襲われてから、僕への警護はますます厳重になった。近衛騎士が四人付き添い、部屋に入るにも最初に二人の騎士が、部屋を確認してから入らなければならない。
「オーリン殿下、お入り下さい」
彼等は部屋の外で待機し、中には女騎士と侍女達が僕を迎える。割り当てられた部屋は決して広いものではない。学長の家とはいえ、城とは比べ物にならないくらいこじんまりした家だ。僕が入室して片開きの部屋の扉が閉められた時、部屋付きの女騎士の横に、妙な違和感を覚えて振り返った。
「よお、ヘタレ小竜。死んだのかと思って来てみたけど、なんだ、動けるようになったのか?」
壁にもたれてテオフィルスが、微笑みながら僕を見ていた。その瞬間に、霧魔に襲われながら、なぜ僕が助かったのかを、まざまざと思い出す。
《リンクル! 霧魔を吹き飛ばせ!》
テオフィルスに助けられたのだ。僕は真っ青になって、幽霊でも見るように彼を見詰めた。
「俺はお前にしか見えないし、声もお前にしか聞こえない。そんな顔をしていると、変に思われるだろう?」
楽しんでいるように彼は、壁から離れ僕の方へ来る。
確かに竜の指輪の約束で、不本意にも同行を許可してしまったけど、セルジン王の魔力の圏内である、エステラーン王国内部まで入り込んでしまった彼に、嫌な予感と脅威を感じる。
「お前の王は相変わらずだな。助けてやったのに、俺に霧魔を寄せ付けないように頼んでおきながら、お前のその後の状態を教える気もない。だから俺の方から来てやったぜ、ありがたく思え!」
来なくていい!
顔を引き攣らせながら、僕はなんでもない素振りで、ミアの方へ逃げる。
この男に関わると、いつもろくな事にならない!
冗談じゃない、近付くな!
侍女のミアは手にした籠を、僕に差し出しながら微笑んでいる。彼女が「オリアンナ」の名を呼ばないか、僕は緊張で冷や汗が出た。
「糖菓を包む布と飾り紐は、こちらでご用意いしました。あとはエラン様と仲良くお分け下さいね」
「う……、うん、喧嘩しないように気を付けるよ。そこに置いといてくれ」
幸い名前は呼ばないが、内容は明らかに女子向けだ。テオフィルスには、僕がオリアンナだと、絶対に知られたくない。婚約者としてアルマレーク共和国に、連れ去られる事になる。
僕はミアの横を通り過ぎ、窓の方へ向かう。
ミアが僕を見ているうちに、テオフィルスは彼女の持つ籠の糖菓を一掴み取り、布と飾り紐で繰るんだ。ミアは彼に気が付かない。
彼の大胆さに、僕の心臓は爆発寸前。
「ふふん、糖菓ね。ま、助けた礼として、一掴みもらっていくぜ」
上機嫌のテオフィルスは糖菓を一つ口に入れ、残りを懐にしまいながらゆっくり僕に近付く。
早く、出ていけ!
僕は思いっきり窓を開けた。霧に覆われた大学街から室内に、湿気が急激に流れ込む。
「霧が入ってきますわ」
「いいんだ、なんだか蒸し暑いよ」
「そうでございますか?」
ミアは不思議そうに僕を見つめている。この街に入ってから、霧の寒さに敏感になる者が多いが、暑いと窓を開けるのは僕ぐらいだろう。
「お前の部屋は女ばかりだな。年上の女が好みなのか?」
「そんな事はどうでもいい、早く出ろ!」
小声で窓に向かって、呟く。本当は叫びながら彼を叩き出したいが、僕は必死に堪えていた。騒ぎになれば警護人数が増えて、ますます自由が利かなくなる。それは嫌だった。
テオフィルスは僕の横に立ち、窓を乗り越える素振りを見せながら、挑発するように顔を近付ける。
「それとも、お前は女なのか?」
心の奥底を見透かすテオフィルスの青い瞳が、目の前にある。僕は緊張を悟られないように無表情を装いながら、彼を睨み付ける。すると僕の周りから、薄っすらと光が出ている気がした。
「ふん、〈ありえざる者〉め」
吐き捨てるように、彼が呟く。
「……え?」
〈ありえざる者〉……、彼は今そう言わなかったか?
聞き返そうとした時、いきなり部屋の扉をノックして近衛騎士が現れた。その後ろにエランの姿が見える。僕の鳩尾が、危機感に悲鳴を上げる。エランの目は、明らかに僕の横にいるテオフィルスを捉えていた。
「お前!」
近衛騎士を押し退けて、部屋に入ってきたエランの周りから、ハラルドと同じ黒い渦が強烈に吹出している。黒い渦は揺らめく炎のように、彼の身体から這い上がる。
「なんだ? あいつ……、屍食鬼か?」
テオフィルスのその言葉を、エランに聞かせたくなくて、僕は窓辺に腰掛ける彼を突き飛ばし、雨戸と窓を閉めた。エランは今にも剣を抜こうとしている。
「駄目だ、エラン!」
僕は恐怖を感じながら彼の腕を掴み、最悪の事態を回避しようと必死にしがみ付く。理由もなく剣を抜くのは、騎士としての道を閉ざす危険がある。
それ以上に、今の彼は普通ではない。突然のエランの剣幕に護衛達は警戒し、僕達を引き離そうとしたが、僕は侍女と護衛達の退出を命じた。
「陛下をお呼びしてくれ! 早く!」
侍女と護衛達は訳が解らず、戸惑いながら退出する。事情を知っている一人は、即座にセルジン王の元へと走る。
彼等には見えない。黒い渦が見えるのは《王族》とその血を引く者達だけ。エランは今にも半変化になりそうで、僕は黒い渦が纏わり付くのも構わず、必死に彼に抱き着いた。
「正気に戻れ! 僕は君の側を、離れたりしないから、エラン!」
エランはハラルドに殺されかけた時、呪の魔法を掛けられている。あれ以来、時々黒い渦を身に纏わり付かせる。ハラルドが持ち合わせ、屍食鬼が強烈に打ち出す、憎悪に満ちた黒い渦を。僕は毒気に苦しみながら、必死にしがみ付いた。
「エラン、僕が判らないのか? エラン!」
「……オリ……ア…… ンナ」
「そうだよ、僕だよ。エラン、元に戻れ」
くちづけをして、《王族》の魔法を使い彼を癒す。周りから黒い渦が消え始め、彼は徐々に正気に戻り始める。お互いの唇が離れた時、エランは僕の青ざめた顔色に気が付いた。
「オリアンナ、どうしたんだ? 真っ青だ」
「……なんでもない、少し疲れただけさ」
彼の放った毒気に当てられたとは、口が裂けても言えない。僕は疲れきって彼にもたれかかり、彼は戸惑いながらそっと抱きしめる。ハラルドの呪いを解く決意をした彼は、呪いの内容を本当には知らないのだ。黒い渦を発する前後の記憶を、エランは持ち合わせない。何が原因でそうなるのかを、彼は知る事が出来ない。
「僕は何かを見た。この部屋で……」
「何を? 別に変わった事はなかったよ」
「……そうなのか?」
テオフィルスがいた事を、悟られては駄目だ。あの竜騎士は彼の憎しみを増幅する。
エランは額に手を当て、必死に何かを思い出そうとしている。水色の瞳が、不安に揺れ動いて見える。額には銀色に輝く綺麗な額飾りがはまり、赤い髪が優しくその額飾りを覆っている。
王がなぜその額飾りを与えたか、彼は知らない。それは彼の暗黒の渦を抑え、魔を呼び寄せぬ王の魔力が込められた額飾り。それでも時々、こうして黒い渦は外に現れる。その度にエランが魔物と化していくようで、僕は悲しい。
「……王配候補になれて嬉しかったけど、それ以上に僕は自信が無いんだ。君の心が見えなくて……」
心の中を見透かされ、戸惑いながら彼の腕を掴む。
「僕はいつも、君の側にいるよ。何度も言ってるじゃないか」
エランに対する気持ちが幼馴染みに対する同情なのか、恋愛感情なのか解らなくなっている。王への想いを、彼は無意識に感じ取っているのだ。それが伝わってきて、僕を責める。
「……それじゃあ、いつか僕のために、花嫁のドレスを着てくれる?」
「うん。君は僕の王配候補だよ」
僕は微笑んで答える、彼を守る事がいつまで出来るのか、不安を押し殺しながら。彼の憎しみが、王に向くのが怖い。それ以上にセルジン王が、いつまで呪の魔法を受けたエランを、擁護してくれるのかが怖かった。
彼を王配候補に選んだのは、周りから守るためだ。
大事な幼馴染みを、屍食鬼にはしたくない。
王への気持ちを切り捨てられないまま、彼の気持ちに答えている。どちらも大事だと思い込みながら、結局、心は王を求めている。
「君のままでいてくれ、頼むから。僕は側にいるから、君の側に、ずっと……」
「何を言ってるんだ? 僕は、いつも僕だよ」
エランが微笑む。
彼に抱きつきながら、目の前が霞のかかったように見えなくなり、そのまま崩れ倒れた。
「オリアンナ? オリアンナ!」
彼は驚き、僕を抱き留めながら、外にいる護衛を大声で呼んだ。