番外編 初体験?(一)
番外編の二本目は前後編になります。
主人公はエラン・クリスベインで、本編の始まる二か月前の話です。
意味深なサブタイトルですが、R18やBLではありません(笑)
ちょっと笑って頂けると幸いです。
トルエルド公爵家のオリアンナの部屋で、僕は盛大な溜息を吐いた。今年になってオリアンナの、ここを訪れる回数が格段に減っていたのだ。何か隠し事がある時はいつもそう、そのくせ困った事になると僕を頼る。今日の久しぶりの訪問は、予測通り呆れかえる内容だった。
相談しろよ、こうなる前に!
頭を掻きながら、そう思う。
「それで、君は? ベラ・ゼノスになんて答えた?」
尋問のように怖い顔で睨みつけると、彼女は視線を逸らしながら木馬を手で揺らす。小さい時から僕が怒ると、木馬に乗って拗ねた。成長して乗る事が出来なくなっても、木馬は精神的な逃げ場だから片づけられない。
いっそ片づけてしまえば、厄介事に首を突っ込まなくなれるか?
だいたい僕と領主とで甘やかしすぎなんだ。
少しは痛い目に遭ってみろ!
そう思いつつも悩んでいる彼女を見ると胸が痛み、苦しむのは僕だと思えるから始末に負えない。
なんで女が好きなんだ?
自分は女だって、もっと自覚しろよ!
女と付き合うな!
半ば嫉妬混じりにそう思う。
このところ倒錯傾向にあるオリアンナは、今年四人目の女と付き合っていた。世の中的には男子で、領主の養子で、婚約者が決まってない美男、女にとってはまさに理想の王子様だ。本物の《王族》だって知ったら簡単には近寄れないだろうが、それは秘密。もちろん女である事も。彼女は引く手数多を良い事に、言い寄る女と拒否する事なく付き合う。「君は、何なんだ?」と、時々言ってやりたくなる。
レント領の若者たちは、皆早熟だ。幼いうちから結婚相手を親に決められているが、自分の意志は持っている。その意志を満足させるために、余計に早熟になる。僕にも領主が何度も結婚話を持ってきたが、公爵家を盾に幼い頃から散々跳ね除けてきた。もし領主の話を受け入れていたら、僕も形振り構わず誰かを求めただろうか?
例えば目の前にいる、この相手を……。
「今夜……、行くって」
「…………あ、そっ。ま、頑張れよ」
彼女は男だ、少なくとも精神的には。無性に腹が立ち、部屋を出ようとすると慌てて縋り付く。
「見捨てないでくれよ、エラン! 僕に初体験の相手なんて、務まる訳ないんだから!」
「だろうな、君の股袋の中身は空っぽなんだから! あんなイケイケのベラなんかと付き合うから、そんな目に遭うんだ! オーリンでいられなくなってもいいのか!!」
オリアンナは、真っ赤になった。
「だって、彼女……、可愛いんだもん」
「ああ、確かに可愛い。それに騙されて泣いた従騎士が何人いると思う? 彼女が初体験? は! 君、騙されてるよ。もう少し見る目を養うんだな! ふんっ」
吐き捨てるように言ってやった。ベラの噂は、従騎士の間では有名だ。自分より遥か年上の婚約者が嫌いで、男漁りをしているって噂。それが真実かは知らないが、派手な外見に惑わされる男は多い。
「騙されてるって……、ひどい事言うなよ。彼女泣くんだよ、僕に会えて嬉しいって。僕、彼女を抱きしめたくなるんだ。こんな気持ち、初めてなんだ」
「ああっ、じゃあ、行けばいいよ。好きなんだろ、思う存分抱いてくれば?」
睨み合う。
「………………ばれる」
「……」
イライラは、頂点に達した。
「そう思うなら、すっぽかせっ!! 二度とベラに近づくな!」
「クリスベイン。これを第二城門守備隊隊長に渡してきてくれ」
第一城門内にある騎士隊本部で、ロイ・ベルン指揮長官が僕に指令書を指し出した。第二城門守備隊隊長と聞いて、背中に痛みの記憶が甦る。キース・オルトスに十一回鞭打たれたのは、つい四か月前の事だ。以来、彼を避けてきた。もちろん痛みの記憶も鮮明だがそれ以上に、オーリンへの取り次ぎを要求する彼に、押し切られる事を恐れたからだ。
絶対、取り次がない!
冗談じゃない!
危険人物には、近づかないのが一番だ。ベルン長官は察したように苦笑いした。
「キースも悪い奴じゃないんだ、ただ自分の嗜好に正直すぎるだけでね。俺の同期で友達だ、許してやってくれ」
ベルン長官、許すも何も彼の狙いはオーリンなんです!
……って言っても、事態の深刻さは判らないよなぁ。
オーリンがオリアンナ姫である事を知るのは、領主とその妻、側近、そして僕と極一部の身近な接触を取る者だけだ。キースはオーリンを女と知らずに、男色嗜好の対象としようとしている。領主の怒りを買うのも承知の上で。
「それから、この指令書はクリスベインに持たせるよう、お館様の命令でね。行ってくれ」
お館様と聞いて、これ以上無い程眉が吊り上った。お館様――――領主ハルビィンの罠にはめられて、鞭打たれたのだ。領主の僕に対する風当たりは、最近かなり酷くなってきている。反抗期のオリアンナを持て余し、そのストレスを僕にぶつけている。
また、陥れる気だ!
今度は何を企んでる?
顔を引き攣らせながら、指令書を渋々受け取った。いくら公爵家の嫡男でもレント領騎士隊の従騎士でいる限り、領主ハルビィンの命令は絶対だ。騎士隊の最高司令官なのだから。嫌でもキースに、会いに行くしかない。僕は肩を落としながら、騎士隊本部を出た。
冬の冷たい風が、僕の頬と頭を冷やす。長い防寒用のマントを体に巻き付け、深くフードを被る。こんな寒い日は、外出は短くしたい。表通りから行くと遠回りになるので、裏道から第二城門に向う事にした。狭い道だが、人通りは少ない。派手な建物も無いし繁華な商店も無い。全く面白味のない通りを足早に進むと、不意に二人の若者の横を通り過ぎる。明らかに恋人同士が、熱い口づけを交わしていた。
邪魔だ、他へ行ってやれ!
不機嫌にそう思う。彼等から少し離れた時、声が聞こえた。
「助けて、エラン!」
聞き覚えのある声に立ち止り、ゆっくり振り返る。ベラに抱き付かれているオリアンナが、顔を引き攣らせてジタバタもがき助けを求めていた。両者とも服は乱れ、明らかにどちらかが襲われている。
だから、近づくなと言ったのに!
オーリンの護衛は、何をしているんだ?
二人を引き剥がすと、ベラが怒りに睨みつけてくる。
「何するの? 邪魔しないで!」
「オーリンに付きまとうのは止めろ! 迷惑がっているのが、判らないのか?」
「迷惑がってる? 彼が求めてきたのよ!」
問質すようにオリアンナを見ると、恐怖の表情を浮かべながら激しく首を横に振っていた。
「嘘を吐くな! 彼はそんな事はしないよ。どう見ても、君が無理強いしたんだ」
「違うわ!」
「領主家に仲間入りしたいんだろうけど、どんな事があってもお館様は君なんか絶対に認めない! あきらめるんだな」
嘲るように言うと、ベラの平手が頬を打った。わざと打たせたのだ。
「あなたなんか、大嫌いよ!」
ベラは涙を浮かべながら、走り去った。怒りに満ちた彼女も可愛いと思える、外見に魅力があるというのは得な事だ。叩かれた頬を撫でながら、ベラに少し罪悪感を覚えた。一番罪深いのは、後ろで震えているこの男女だ。そして彼女をこんな風に育ててしまった、領主ハルビィンだ。溜息を吐きながら、オリアンナに向き直った。
「護衛は? いるんだろ?」
「……遠ざけた」
彼女の震えはまだ止まらない、よっぽど怖かったのだろう。頭をクシャクシャと撫でてやった。
「……じゃ、僕は仕事だから。服を正せ! 護衛を呼んで城に帰るんだ」
「……うん」
頬に涙が伝っていた。本当にベラの事が好きだったのかもしれない。僕は彼女を抱きしめて慰めてやりたい気持ちをグッと堪えた。
良い薬だ。
これで女と付き合うのも懲りただろう。
彼女の側を離れて、後ろを気にしつつ第二城門へ向かった。
「これ、本当にお館様からの辞令なの?」
キース・オルトスは第二城門内で、上半身裸の状態で指令書を読んだ。厚い胸板に汗が流れ、男臭さが部屋中に充満している。筋肉を鍛えていたのは明らかで、僕はあまり彼を見ないようにした。「絶対に関わらない!」そう心に決めて、この質実剛健な隊長部屋に入ったのだ。
「そのようです。お館様から私指定で隊長に届けるように、ベルン長官からお預かりしました」
僕は極力、事務的に話す。キースは汗を綺麗な刺繍付の布で拭き取り、香水を自分の身体に吹きかける。今度は異常に甘い香りが部屋中を満たし、思わず手で鼻を覆った。
「あなたが取り成してくれたの? お館様に?」
「え? いいえ、お館様が勝手に……!」
いつの間にかキースが、目の前に立っている。後退しようとした時、彼の腕が力強く僕を抱きしめてきた。
「ありがとう、願いを叶えてくれたのね。嬉しいわ」
「ちょっ、離してください! 僕は知りません! 何の事ですか?」
必死にキースの腕から抜け出そうとするが、未成年の従騎士より二十代半ばの隊長の方が腕力は上だ。どう足掻いても、身動き一つ出来ない。彼の裸の胸の、甘すぎる香りにむせそうになる。
「オーリン様の護衛隊長を任されたの、これでお近づきになれるわ」
オリアンナの護衛隊長?
キース・オルトスが?
僕は頭が真っ白の状態で、彼からお礼のキスをたくさん頬に受けていた。
「やあ、エラン・クリスベイン。来ると思っていたよ」
豪華な書斎で領主ハルビィンは、麦酒を片手に上機嫌で貴重な本を開き眺めている。対する僕は食事もせずに、仕事帰りの従騎士姿のまま面会を要求。当然、領主は食事を理由に長時間待たせ、ようやく僕と対面した。
「どういう事ですか? なぜオルトス隊長を、オリアンナの護衛にしたんですか! 彼女を男として好いているのが、判らないんですか!」
僕の剣幕を鼻で笑いながら、領主は楽しげに本を眺める。
「だから良いのだよ。キースは地獄の拷問官の異名を持つ、皆から恐れられる存在だ。オリアンナの護衛に相応しいと思わないか?」
「襲われたら、どうするんですか!」
「それは無い、女だからね」
「そうは思っていませんよ!」
領主は杯を置き、別の杯にお茶を注いだ。それを僕の前に置き、余裕で微笑む。
「最近、オリアンナは綺麗になってきた、そう思わないか? もう、周りから隠せない。男も女も彼女の心を得ようと、群がっているように私には見える」
「……」
「実際、ベラ・ゼノスが彼女に迫ったそうじゃないか」
領主の情報収集能力に、内心驚く。
「偶然、君が通りかかったから良かったものの、そのまま襲われていたら女と知れ渡ってしまう」
「……本当に偶然なのか?」
ボソッと呟く。それには答えず、領主は鼻で笑った。
「キース・オルトスは護衛には打って付けだ。男も女も皆が恐れて、オリアンナに簡単に近づけなくなる」
「でも……」
「君も、近づけなくなる」
ハッとした。領主が鋭い目で、睨みつけている。
「今後、オリアンナに近づくのは止めてもらいたい! 彼女は《王族》だ、高嶺の花と思ってあきらめろ!」
「何を言っている? 僕は……」
「単なる幼なじみと、言い切れるのか?」
「……」
領主の狙いは、僕を彼女から遠ざける事だ。それだけは嫌という程理解出来る。
「もっとも君が姫君の幼なじみとして、この先も存在していける唯一の方法がある」
「え?」
「婚約者を持つ事だ。丁度先日ゼノス伯爵家の次女が、婚約破棄されたという連絡を受けた」
ゼノス伯爵?
僕は茫然と領主を見た。ベラ・ゼノスが伯爵令嬢とは、知らなかった。レント領に避難してきた貴族の大部分は、身分を明かす事を禁じられている。領内に無用な混乱が起きるのを恐れた領主がそう決めたのだ。
「私はベラのように上昇志向の強い気位の高い女性は、公爵家にこそ相応しいと思っている」
「まさか! 僕の好みじゃありませんよ。大体、オリアンナが黙ってない!」
「ふん、彼女なら大丈夫だ、問題は君だよ。ベラと会ってみないか? 正式なお見合いは初めてだろう?」
「……それは、そうですが」
領主の意図に顔を顰めた。どうあっても、僕をオリアンナから引き離すつもりだ。
「婚約者が決まればオリアンナ姫と、今まで通りの関係が続けられる。君にとっても素晴らしい事じゃないのか?」
言葉に詰まった。ベラ・ゼノス……、外見は確かに魅力的だ。伯爵家という身分も、悪くはない。
《あなたなんか、大嫌いよ!》
あの言葉……、ベラは領主の思惑を知っていたのだろうか?
オリアンナの姿が心に浮かんだ。
彼女と引き離されるのは、絶対に嫌だ!
「しばらく、……考えさせて下さい」