第二十五話 オリアンナと竜
[なんだとぉ、冗談じゃない! 俺のだよ、竜に乗れなくなる。絶対に、嫌だ!]
今、装着している鎧を渡せと言われ、ルギーはテオフィルスに飛掛かり猛抗議する。テオフィルスは笑いながら、彼の振り上げた拳を軽く掴む。
[その代り、俺が十一歳の時に使っていた鎧をやる。リンクルの抜け殻で出来た一品物だ。俺が使っていたんだ、余計高値で売れるぜ]
[若君っ、何という事を! あれはアルレイド家の家宝になる代物ですよ]
[よし、乗った! 約束だぜ、忘れんなよ!]
そう言ってルギーは渋顔で睨みつけるマシーナをしり目に、自分の竜騎士の鎧を外し始めた。
僕はテオフィルスに、思いっきり嫌そうに尋ねる。
「まさか、それを着るのか?」
「当然だ。着ないと竜に振り落とされる。竜の脱皮した抜け殻で造られた鎧だから、背に乗っても警戒しない。堅くて軽い、矢も跳ね返す、これを砕けるのは竜の牙だけだ。今のお前には必要だろ」
「……」
この場で着替えるという事は、僕の体形を彼の目に晒す事になり、女だと知られてしまう危険がある。緊張で青ざめた顔色を悟られないように彼に背を向け、助けを求めてトキを見る。「それみた事か!」と言わんばかりに、トキは視線を逸らした。
助けて……。
「早く服を脱げ、俺が装着してやる」
鎧を持ったテオフィルスが、後ろから肩を掴む。緊張で鼓動が高まった。性別を確かめるために、こんな手を打ってきたのだ。彼の手を叩き落とし、僕は精一杯の虚勢を張る。
「自分で装着する!」
「それは無理だな。装備の着用は慣れた者がしないと危険だ」
そう言って鎖帷子に似た細かい薄茶色の殻が縫い合わされた上下の服を渡してくる。
「服を脱いで早く着替えろ。屍食鬼が迫っているんだ」
「《王族》の素肌を人目に晒す等、言語道断! そんな事は許さん!」
トキが仕方なく僕を庇い、割って入った。
[何、このおっさん]
[ルギー、口を慎め]
「安全のためには、胴衣の上から装備するのが通常だ」
トキが無言で睨み付ける。説明しても聞く気の無い相手に溜息を吐いて、テオフィルスは妥協した。
「それじゃあ、王太子は服の上からの着用でいい。少し危険だが、俺が後ろから支える」
[王太子って、こいつがぁ? むがっ……]
片言のエステラーン語しか解らないルギーでも、王太子という言葉は解ったようだ。マシーナが口を塞ぐ、これ以上の状況悪化を防ぐため。
トキがアルマレーク人に睨みを利かせている間に、急いで渡された鎖帷子を着る。服の上から着るには窮屈だが、仕方なく靴を脱ぎ、足を通し、頭から被る。思った以上に軽いが、独特の臭いに顔を顰めた。
彼が察して苦笑する。
「竜の臭いだ、すぐに慣れる」
そう言って、持っていた竜の抜け殻を加工した簡素な胸甲、背甲、肩甲と、籠手、肘と膝当て、拍車と思える角状の物を取り付けようとする。触られまいと、咄嗟に身を引く。
「待て、自分でやる……」
その言葉を無視してテオフィルスは、有無を言わさず腕を持ち上げ胸甲から着け始める。緊張に冷や汗が出る。悟られない事を祈りながら黙って耐えた。
「お前、もう少し太った方がいい。貧民街育ちのルギーと同じ細さなんて、《王族》なのに何を食べて生きてきたんだ? レント領の食糧需給はそんなに厳しいのか?」
「違う、余計なお世話だ! 太れない体質だから、仕方が無いだろっ」
彼が鼻で笑ったように思え、緊張も相まって僕の不機嫌さが頂点に達しかけた。太れば体形が露わになる事から、無意識に食が細くなっていったのかもしれない。今はエランの食べる量の半分も食べられない。
竜騎士の鎧は重装甲なのに信じられないくらい軽く、手足の装備は最小限に抑えられ動きも悪くはない。これなら、確かに竜に乗れる。全ての装備の装着が終わり、剣の位置を教えられ、宝剣を腰の左側に吊り下げた。これで両手の自由も利く。
[トムニ爺、竜を借りる。マシーナ、お前の竜エーダで参戦しろ]
[レクーマの竜じゃが、〈七竜の王〉には従うじゃろう。ご随意に、若君]
テオフィルスの言葉に、二人は頷いた。彼は先程ルギーが乗っていた竜の前に立つ。竜が礼を取るように頭を低く下げるのを見て、満足げに頷き振り向いた。
「オーリン、来い」
呼ばれて竜に対する恐怖心を悟られまいと、勇気をかき集めた。本当は逃げ出したいくらい竜が怖い。ゆっくりと彼の横へ行き、緊張した面持ちで竜の前に立つ。リンクルより小柄な竜は見知らぬ者に警戒し、威嚇するように頭を上げ、翼を広げた。
怒ってる!
一歩身を引こうとしたが、テオフィルスに強く腕を掴まれる。
「毅然としていろ、竜に侮られたくなければな」
斜め上から聞こえる彼の冷静な声に、不思議と心は落ち着きを取り戻す。恐怖心を追い出すために深呼吸をし、毅然と竜の金色の目を見つめた。すると、竜と心が通じあうように思えてくる。警戒していた竜の縦に細長い瞳孔は、見つめるうちに少しずつ丸みを帯び始める。
あれ……、可愛くなってきた?
心の変化を感じ取ってか、竜は増々可愛い表情を見せ始める。今や竜の瞳孔は真ん丸になり、笑っているように見える。僕は新しい友達と出会ったように嬉しくなった。そして思わず竜の口先に手を伸ばす。
「止せっ、焼かれる!」
テオフィルスは驚き、慌てて手を下ろそうとしたが竜の方が早かった。口と両方の鼻の穴を閉じ、籠手に鼻面をそっと付ける。火傷をする程の温度ではなかったが、籠手越しの右手に優しい熱をもたらした。竜が甘えてきたのだ。竜の鼻面を撫でながら、僕は満面の笑みで答えた。
「お前、可愛い」
テオフィルスは信じられないものを見るように、王太子を見つめた。竜が初対面の人間に甘えているのだ、レクーマオピオンの人間でもない異国人に。そして竜の指輪の件も含め、導き出せる答えは一つしかない。
王太子は、レクーマオピオン領主家の血を引く人間だ!
テオフィルスは高鳴る鼓動を深呼吸して抑え、冷静さを取り戻し何気無い振りを装って質問する。
「その竜は、雄に見えるか? それとも雌に見えるか? オーリン、答えろ」
「そりゃ、雌に決まってるだろ、こんなに可愛いんだから」
僕は、何も考えずに答えた。
テオフィルスは微笑む。七竜に支配された段階で、アルマレークの竜に性別はない。単為生殖で卵が産まれる事はあっても、どれも性別無く生まれてくる。そして竜騎士は初めて自分の竜に出会った時、誰もが自分の性別を投影させて竜を捉える。
故にオーリンは、女という事になる!
「ああ、まったく可愛いお姫様だ」
「えっ?」
僕の竜を撫でる手が、凍り付いたように動きを止めた。
お姫様と言わなかったか?
今の受け答えの意味が解らず、何かオリアンナである事に気付かれた気がして、恐怖を覚えつつ彼を見る。目の端に満面の笑みで僕を見つめる彼が見えたが、瞬間にいつもの無表情に戻り、冷たく言い放つ。
「いい加減、竜の鼻を撫でるのは止めろ、息が出来ない。熱を放出しないと、死ぬぞ」
「あ……」
慌てて手を引っ込める。竜は溜め込んだ熱を上空に吐き出し、木々の一部を燃やす。周囲の者は驚き、マシーナと竜エーダが燃える木の枝をその強固な翼で折落とし、兵士達が火を消す。
「危うく火事になるところだ。竜に対応する時は気を付けろ、彼等は他の生き物とは違う。来い、ヘタレ小竜!」
ヘタレ小竜という呼びかけに、やはり気付かれたのだと確信し、僕は血の気が引いたように立ち尽くす。彼は振り向き察したように、僕にだけ聞こえる小声で伝えてきた。
「安心しろ、お前の立場は守る。早く来い、屍食鬼が来るぞ」
僕は警戒しながら、竜の真横に立つ彼に並んだ。
何がいけなかったのかまったく解らないが、気付かれた事を誰にも悟られてはいけないと強く思う。特にセルジン王にだけは、知られてはいけないのだ。大好きな王に嘘を吐かなければならない苦しみを思うと、なんとしてもテオフィルスを切り離さねばならない。
協力するのは、今だけだ!
行軍参加なんて、絶対にさせちゃいけない!
テオフィルスは僕の思考などまったく気にする様子もなく、次々指示を出す。僕は考える間もなく、その指示を頭に叩き込む。
「耳栓は鎧の肩甲に取り付けてある、それを使え。さあ、乗れ」
彼の指示通りの場所に足を置いて、何とか竜によじ登る。思った以上に高く、馬の倍くらいありそうだ。胴幅も太く、馬のように跨って、扶助が出来るのか疑問に思った。竜の鱗は堅い、鎧に拍車は着いているけど、人間が足で蹴って感じ取れないと思える。それに僕の体形が竜の騎乗にどう有利なのか知りたかった。
馬のキ甲に当たる部分――首と背のつなぎ目辺りと、翼の前面部分の間に、背鰭を跨ぐ形で鞍が二つ取り付けられている。斜めに竜の首に幅広の飾り帯で繋ぎ止められた鞍は、背鰭を跨ぐ形なので馬の鞍より高く鐙が無い。
「乗れ」
先に後ろ側の鞍に跨りながら、彼が手を差し伸べる。その手を無視して、前面の鞍に跨った。
「鐙が無い。振り落とされる」
「安心しろ」
[イリ、固定!]
指示の直後、竜の鱗の間から膜状の触手が伸び、鞍から下に伸びている二人の上肢から下全体を絡め取った。
「うわああぁぁぁ――――!」
あまりの感触と恐怖から、叫び声を上げる。
「ふふふ……、初めての時は皆ここで叫ぶんだ。大丈夫、イリはお前を気に入っている、振り落としはしないさ」
面白がるようにテオフィルスが言う。顔を引き攣らせながら、僕は振り返る。
「イリ?」
「ああ、この竜の名だ。呼んでやれ、喜ぶ」
竜の後頭部の棘状鱗に向けて、僕は名を叫ぶ。
「イリ!」
竜イリは太く長い首を捩り、嬉しそうに振り返る。
可愛い!
心の底から、そう思える。僕の竜に対する恐怖心は、綺麗に消えていった。




