第十八話 テオフィルスの脅威
「正直に言え、お前は女だろ? 言わないと、服を剥いで確かめるぞ!」
僕をベッドに押さえ付けるテオフィルスが、顔を近付け容赦ない言葉で脅しをかける。
「何の事か、解らない。君は、誰と勘違いしている? 僕は、男だ! 放せ、無礼者!」
僕は怒りの表情を浮かべ、彼を押しのけようともがいたが、長身で鍛え上げられた身体はビクともしない。左手を掴ませて、魔力が無い事を認識させれば、別人と思うだろう。それなのに暴れる両手は、いとも簡単に頭上に押さえつけられ、彼の手が身体をまさぐり始めた。
厚手の服に阻まれて、体形が露わになる事は無い。胸は晒できつく巻き、股は男子を装う為の股袋があり、触れたぐらいで気付かれる事はない。だが、服を剥ぎ取られれば成す術がない。
仮にも婚約者かもしれない相手に、よくこんな事出来るな!
嫌ってやるぞ!
自分で招いた事態だが、本能的な恐怖と憤りを覚える。この危機を回避出来るものなら……、そんな勢いで精一杯睨み付け、虚勢を張る。
「別にお前を陵辱する訳じゃない、確かめたいだけだ。お前とエアリス姫は同一人物だろう? お前は……、俺を惹き付ける、その理由が知りたい。オリアンナ姫なのか?」
僕の表情を読み取ろうとするテオフィルスの瞳には、不思議な熱が垣間見える。まるで愛の告白のような彼の言葉に、僕の鼓動が大きく脈打つ。その熱に呑まれないように、冷静になろうと必死に歯を食いしばる。
彼の手が腰のベルトに手を掛けた。簡単には剥ぎ取れない服を着ているが、僕は恐怖と憤りに声を荒げる。
「別人だって、言っているだろう! それは、エアリスだ。僕に変装して城を脱け出し、僕の名を語る。昔から彼女の悪ふざけだよ!」
テオフィルスは息がかかる程顔を近づけ、脅すように笑う。
「嘘をつくな! オリアンナ姫が死んだというのも嘘だ。ただの領主の養子が、国王軍の何重もの警備の中にいるのはなぜだ? お前がオリアンナ姫だからだ!」
彼の手がベルトを外し始めた。国王軍に追い詰められているのが、目に見えて解る。危険を冒してここまで来たのだ、見付け出すまで、どんな事でもするだろう。肩を掴む手に力が入り、僕は痛みに顔を歪める。
「そんな事をしたら、間違いなく王に殺されるぞ!」
「構うものか、嘘つきめ! アルマレーク人の体型は、誤魔化せないぞ」
彼は完全に僕のベルトを外してしまった。
僕はあからさまに嫌悪の表情を浮かべながら、別人を装い叫んだ。
「知らないのか、異国人! 僕のような体型は、普通に国民の中にもいる。君は今の行為で、完全に処刑される。王太子に対する不敬罪だ、覚悟しろ!」
「王太子?」
テオフィルスが一瞬手を止め、焦燥感を滲ませながら疑念に僕の外見を再確認する。訝しむ彼の顔に、隙を衝くように頭付きを食らわせ、押さえられた両手が自由になり、左手で拳を突き出す。咄嗟に避けた彼は、右手で僕の左手を掴み、反撃の拳を振り上げた。
だが、拳は振り下ろされなかった。
気が付いたのだ、僕の左手に魔力を感じ取れない事に。
「お前は、誰だ?」
それでもまだ、僕の身体の上から退こうとしない。
「僕は、オーリン・トゥール・ブライディン。この国の王太子だ!」
テオフィルスは驚愕に青ざめ、僕から離れた。
完全に別人だと、信じたのだ。
次期国王では、警備の厳重さも意味が通る。エステラーン王国の根幹を大いに揺るがした事に、王の容赦無い怒りを受け止める覚悟を、彼は必死に心の中でかき集めている。
「エステラーン王国の《王族》は、純血を貴ぶと聞いている。でも、お前にはアルマレーク人の血が入っている。本当に王太子なのか?」
「純血は、ほとんど殺された。父は《王族》で、母はエステラーン人だ。なぜ僕にアルマレーク人の姿が現れたのかは判らない。でも、セルジン王から王太子として扱われているのは確かだ!」
王太子オーリンとして与えられた設定を、もっともらしく伝える。父が《王族》であれば、アルマレークと関わりはなくなる。テオフィルスは目に見えるほど失望を露わにし、ベッドから離れた。
僕は恐怖の余波で、身体が小刻みに震えるのを悟られないようにしながら、乱された服を整えベルトを締め直した。ベッドから起き上がり、床に飛ばされた短剣を取り、彼を警戒して鞘から抜き構える。
「アルマレークへ、今すぐ帰れ! この状況は、僕がもみ消す」
「……俺に恩を売っても、何も出ないぜ」
「君はエアリスを助けた。だから、見逃してやる」
そう言う僕を、彼は無表情で見つめている。
引き込まれそうな青い瞳には、救国と情念の炎が宿り、暗く揺らめく。
「エアリス姫は、何処にいる?」
「知らない。陛下が何処かで治療させているはずだ。命に係わる大怪我で、死んでしまうかもしれない」
「……俺なら治せる、会わせてくれ」
僕は呆れた素振りで、首を横に振り否定する。
「そんな事をすると思うのか? 僕を人質に取っても、陛下はエアリスを優先する。二人は愛し合っているんだ、君は近寄る事さえ許されないよ」
「そうなりたい」という願望の入った発言だが、テオフィルスには打撃だったらしく、苦しみの表情で僕から視線を逸らした。
本気で僕を、連れ帰るつもりなんだ。
彼は素早く剣を抜き、僕の持つ短剣を簡単に剣先で跳ね飛ばし、悲しむような顔つきで切っ先を僕の喉元に突きつける。ここで竜の指輪で確認されたら、元の木阿弥だ。僕は左手を彼から遠ざけた。
「エドウィンの館を知りたい。竜騎士の住まいは特殊だ、たとえ他人が住んでいようと行先は必ず残していく、俺達はそういう習慣だ。お前に危害を及ぼす気はないが、一緒に来てもらおう」
望み通りの展開だが、僕の身体は恐怖に総毛立った。
父の館へ、行かなければならない、《ソムレキアの宝剣》を見つけ出すために。
「俺はアルマレークの為なら、どんな事でもする。命がけなんだ、これでもね。案内してもらおう、エドウィンの館へ」
テオフィルスは僕に剣を突き付けながら、左手の指輪を頭上にかざしアルマレーク語で命じた。
[リンクル、安全な道を示せ]
竜の指輪が光り、その光が暖炉の上の燭台を右回りに二回まわり、その後、壁に飾ってある大きな肖像画の中に消えた。テオフィルスは光の後を追うように、僕を引き摺りながら、燭台を右に二回まわす。すると、光が吸い込まれるように消えた肖像画が、下の腰板と共に扉のように開いた。
隠し通路の入口だ。
テオフィルスは、竜の魔法を使って城に出入りしていたんだ。
絶望的な気持ちで僕は、剣を突きつけるテオフィルスに、部屋の外へと連れ出された。床に倒れるエランが、意識を取り戻す気配はない。部屋の外にいるはずの護衛も、中の異変に気付かないのか、とても静かだ。
騒ぐべきじゃない、これは僕が望んだ事だ。
そう思いながらも、徐々に恐怖が心を蝕んでいった。
物々しい警備をすり抜け、月明かりの中を城から離れ、第一城門内で最も人の近寄らない場所へ、僕は悪夢に引きずり込まれるように進まされる。
父の館は第一城壁内の、レント城から南に少し離れた所にある。元はレント城の南の小宮だったが、領主が提供し、母オアイーヴが気に入り、父エドウィンと二人で住み始めたのだ。《王族》が住むにはとても質素であったため、後に一部増築され侍従や侍女達が不都合なく住めるまでとなり、美しい庭園と日当たりの良い環境は、平和そのものの暖かさがあった。
今―――、荒れ果てた庭園の木々に囲まれた館は、幽霊屋敷として人々から避けられている。八年前、ここで大勢の人が惨殺された。内部はもちろん綺麗に片づけられているが、人々に刻まれた恐怖心が、この場所を歪ませていた。
《王族》オアイーヴがレント領にいた事は、絶対的な秘密とされたため、ここで《王族狩り》が行われた事を、知る人は少ない。それでも、セルジン王の結界が無くても、この館には誰も近寄らない。重く暗い空気が、レント領に残る重石のように、僕の行く先に存在していた。
僕は恐怖心に足が震え、息も上がり気分が悪くなる。まるで死にかけているように、周りの景色が回り始める。館に近づくたび、生気が吸い取られ動けなくなった。
「早く歩け!」
彼に引きずられ、無理やり歩かされる。
「嫌だっ……、あそこへ行きたくない! 離せ!」
僕は《ソムレキアの宝剣》を捜す目的も、父の館には王の結界が張ってありアルマレーク人達が入れない事も、恐怖心から思い出す事さえ出来なくなっていた。
[若君、守備兵がいます。……気付かれた!]
守備兵達の松明が、こちらに向かう。途中で合流したアルマレーク人の随行者は、剣を抜き迎え撃つ姿勢を取った。
[待てマシーナ、戦うな! 眠らせる]
テオフィルスは近づく数名の守備兵に向かい、左手を突き出す。
[リンクル、眠らせろ!]
黒い影が指輪から飛び出し、守備兵達の松明が地面に落ちた。兵達が眠らされた事に、僕は失望する。
助けて、誰か……。
[若君、魔力の使い過ぎです! 寿命が縮みますよ]
[エステラーン人を傷つけるよりマシさ。縮むのは俺の寿命だから、気にするな]
[若君を失ったら、アルマレークは終わりです!]
[判った、使わない]
マシーナという随行者は、鼻息を荒げ忠告する。僕は隙をついてテオフィルスの手を振り払い逃げようとしたが、長身で運動神経の優れた男に敵うはずもなく、すぐに捕えられる。
「離せ! 嫌だ、こんな……、こんな怖い所は…………」
「おいっ、騒ぐな!」
テオフィルスは暴れる僕の首筋に、拳を振り降ろす。悪夢に吸い込まれるように、僕は意識を失った。
倒れた相手を抱き抱えながら、彼の心に一抹の不安が過ぎる。
怖い所、……どういう事だ?
夜気と共に言い知れぬ何かの気配が、一陣の風に乗って通り過ぎる。
月明りの中に建つ、暗く沈む荒れ果てた館が不気味さを増した。