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第十五話 竜の指輪 

 何かにぶつかった衝撃で、僕は意識を取り戻した。顔面と胸の痛みが酷い。落下しても、一瞬では死ねない。残酷な痛みに苦しめられ、弱り果てて死ぬ。そう思うと、絶望感が増した。


 [リンクル、城の上空で待機]


 低い男の声が、すぐ側で聞こえる。僕の身体を抱き(かか)え、落とさないように必死に位置を変えている。動かされる度に痛みが増した。強風が(かつら)の髪をはためかせ顔に当たり、それだけで痛い。生温かい何かが、首筋と胸に流れ、髪が張り付く。


「あああ……」


 顔面に柔らかい何かが当てられ、激しい痛みで悲鳴を上げた。


「我慢しろ、出血が酷い。すぐに手当てをしないと、お前は死ぬ」

「あ……」


 僕を抱き抱えているのがテオフィルスだと、ようやく気付いた。移動する何かは、きっと竜だ。翼を緩やかに動かし空中で停止し、上空の風に妙な熱気が入り混じる。


「今、降ろしてやるが、その前に聞きたい」


 僕は痛みの無い方の片目を開け、彼を確認する。いつの間にか左手を待たれ、握りしめる彼の左手にはまる指輪が、柔らかい光を放っている。セルジン王が気にしていた、アルマレークの七領主家の、次期領主だけが持つ竜の指輪だ。 


「この国には、七領主家の人間が二人もいるのか? 竜の指輪に触れて平気でいられるのは、七領主家の人間だけだ。お前とオーリン。でも、エドウィンの子が双子とは聞いていない。お前はオリアンナ姫だな」

「違う……」


 苦しい状態の中で思考が回らず、それだけ言うのが精一杯だ。

 僕はあの指輪に、触れた事があったのか?

 秘密の抜け道で彼に捕まった時、何かが光ったのを思い出した。あれは竜の指輪だったのだ。七領主家の人間と確認されていた。もう、完全に同一人物と見抜かれている。

 でも、死に瀕している今、全ての意識が痛みに薄れる。

 テオフィルスは容赦がない。


「俺の婚約者だ、必ずアルマレークに連れ帰る。これは避ける事が出来ない、お前は俺の花嫁になるんだ」


 勝手な彼の言葉に、嫌と伝える気力もない。


「左手に《聖なる泉の精》との契約の魔力を持っているが、七竜の許可を出したのはオーリンにだけだ。お前はもう魔力を使える状態にある。その魔力が、お前を救うだろう」


 全てを見抜く彼の観察眼に怯えながら、小さく首を横に振る。死が間近に迫っている今は、どうでもいいようにも思えた。僕は弱弱しく彼の手を振り払い、痛みに堪えながら朦朧(もうろう)とした意識で呟く。


「陛下……」


 もう会えないかもしれないと思うと、再び涙が出てきた。そんな様子を愛おしむように、テオフィルスの唇が優しく額に触れ、アルマレーク語の(ささや)きが聞こえた。


 [必ずお前を、迎え入れる]




 風を切り裂いて、何かが二人の側を通り過ぎる。城の上空にいる竜を狙って、城壁の兵士達が、次々と矢を放つ。


「攻撃を止めろ! 姫君が乗っておられるぞ!」


 窓から身を乗り出し大声で叫ぶトキの言葉に、兵士達は攻撃を止めた。別の部屋の窓からつながる広い空中庭園に、怒りを身にまとったセルジン王が姿を現した。王は竜に向かって、両手を広げる。


「私の婚約者を返してもらおう、テオフィルス殿」


 彼は王の言葉に従い、素直に空中庭園の石畳の道に竜を舞い降りさせた。強風に芽吹いた花の子葉が、根こそぎ吹き飛ばされる。テオフィルスが負傷した僕を横抱きにして、器用に竜から降り立つ。周りを国王軍の兵と王の近衛騎士達が囲み剣を向ける。それを気にもしないで彼は、腕の中の僕を大事そうに王に渡した。


「酷い怪我です。早く手当てを……」

「分かっている。助けてくれた事には感謝するが、なぜ城にいる? 無断の侵入は、罪を犯した者と見做す!」


 兵達がテオフィルスを拘束し、七竜リンクルが怒りの唸り声を上げる。


[リンクル、止せ!]


 竜を制しながら、彼は不敵な笑顔で答える。 


「忘れ物を取りに戻りました。オーリン殿に、貸した物です」


 混濁する意識の中で、魔法の(あぶみ)の事だと分かったが、それは口実に過ぎない。彼が何を目当てに入り込んだのか、左手を握りしめられた事でよく解る。僕がオリアンナである事は、完全に知られている。でも王にその事を伝える気になれない。言えば父の国人達は、確実に殺される。それが僕には、耐えられない。


「苦しい……」


 緊迫した空気の中、まるで人々の気を逸らすように小さく呟く。王は怪我の状態を冷静に確認し、傷の無い額にくちづけを落とす。横にいるマールに預けられそうになり、離れたくない気持ちから王にしがみ付く。


 王は微笑み、抱き上げた状態のまま、傷に触れないように、今度は僕の唇に優しく唇を重ねた。驚きと喜びに、朦朧とした意識がはっきりしてくる。温かい形の無い何かが、傷を癒すように入り込み、痛みが薄れていく。《王族》の癒しの魔法だと気付いた。


 陛下……。


 優しい時間は短い。


「痛みは少し薄れただろうが、傷が(ふさ)がった訳ではない。早く手当てした方が良い」


 頷きはしたものの、それでも王にしがみ付く。王は苦笑いしながら、捕らえられているテオフィルスに向き直った。


「貴殿の持つ、竜の指輪を外してもらおう」

「お断りします」


 テオフィルスは少し不貞腐れたように、視線を外しながら拒否する。王に逆らう彼に対し、捕らえている兵達が憤り、彼の頭を激しく地面に押しつける。苦しい体勢でも、魔法を使い逃げようとしないのは、自分に非が無いと知らしめるためか。


 あの竜の指輪は、真実を白日の下に曝す危険な代物、セルジン王の警戒と疑念が、僕には嫌というほど良く解る。城の上空で二人だけになった理由を、王は知りたいはずだ。


 僕の身体から急に力が抜け、抱き上げられた状態で眩暈がした。痛みは薄らいだが、出血しているのだから当然だろう。王は僕の様子を見て、交渉ではなく決着を求めた。


「アレイン! 討って構わぬ」


 いつの間にか空中庭園内は、国王軍の赤い長衣で埋め尽くされていた。大盾の間から、防護用の槍を長く伸ばす槍兵と、その後ろに弓兵が矢を番えて七竜リンクルを狙っている。


「目を狙い、放て!」


 中央に立ったアレインが、采配を振った瞬間、無数の矢が竜目掛けて放たれた。

 リンクルは威嚇し大きく翼を広げ、棘状鱗を広げて叫んだ。その振動で矢は(ことごと)く落ち、人々は吹き飛ばされそうになる。想像以上の間近での竜の威嚇に、屈する事なく兵達は新たな矢を番え放つ。皆、魔物との戦いに慣れているのだ。


「止めて……」


 竜が攻撃されている事に僕の神経は耐えられなくなり、再び意識が遠のきそうになる。


「マール!」


 僕は地面に敷かれた柔らかい毛布の上に下ろされ、王の薬師が的確に傷の手当を施していく。


 テオフィルスは、自分を捕らえている兵士が、剣を取ろうと片手を放した瞬間に、掴んだ土を顔に投げつけ、怯んで力が緩んだ隙を突いて、上体を起こし顔面に肘鉄を食らわした。意識を失った兵の身体を、下半身を押さえつける兵に投げつけ、拘束から逃れた。

 幅広の刀剣で切り殺そうとする騎士達の間をすり抜け、三階にある空中庭園の胸壁から飛び降りる。


「アルマレーク人が、逃げたぞ!」  


 人々が胸壁から身を乗り出して下を見た時には、彼の姿はどこにもなく、七竜リンクルの影も掻き消えていた。


「捜せ! まだ城の中にいるはずだ」


 アレインの冷静な声が響き渡る。

 人々が慌しく移動する中、僕は安堵しながら意識を失った。






 ―――水の音が聞こえる。それは波紋のように響き、僕の全身に広がる。安らかな音色に、なんの抵抗もなく身を任せた。音はしるべを受けた左手から流れ出している。泉の精の言葉が、音色に絡む。


『私達が、あなたを助けます』






「凄いですね。出血が止まって、傷口が塞がってゆく。〈生命の水〉の魔力で、傷痕も残らないでしょう」

「そうか、良かった。痕が残れば、エアリス姫とオーリンが同一人物という証拠になるところだ。《聖なる泉の精》と、エドウィン・ルーザ・フィンゼルに感謝しよう」


 意識を取り戻した時、セルジン王とマールの会話がすぐ側で聞こえた。あれからどのくらいの時間が経っているのか、部屋の燭台の灯りから夜なのだと分かる。会話の内容で、聖なる泉で見た父の姿を思い出した。


「陛下……、父上の計画を知っていたの?」

「気が付いたか、オリアンナ。そう、直接エドウィンから聞いた。危険過ぎるから私は反対したが、彼の意志は変えられなかった。結果的には、彼が正しかったのかもしれない」


 王は少し悲しい表情をしながら、優しく僕の頬を撫でた。透き通る王の向こうに、燭台の灯りが揺らめいて見える。父はブライデインの《聖なる泉》で、僕を待ち続けている。普通の人間が、聖域で長年生きていられるのだろうか。 


「……父上は、生きているの?」

「それは、分からない。私に《聖なる泉》を見る事は出来ない」

「国王軍は父上の計画通り、王都へ進軍する?」

「そうなるが……、あのアルマレーク人が邪魔をしそうだ。そなたはあの竜の指輪に、触れたか?」


 予想通りの質問をされ、僕は一瞬押し黙った。


「触れたのだな」

「分からない……、憶えてません」


 そう言っておくのが、アルマレーク人にも僕自身にも、一番安全に思えた。セルジン王は最高権力者、迂闊な発言は無用な死をもたらす。マールが助け船を出してくれた。


「このような酷い怪我なら、記憶が無くなるのも当然です。でも、アルマレーク人に知られたとして対処した方が良いでしょう」

「そうだな。少し危険だが、その腕輪を使うしかない」


 王が視線を向けた先に、小卓に置かれた見慣れない腕輪があった。優美な装飾が施された薄い金属に、六角柱状の水晶が一つ、光り輝くようにはまっている。溜息が出得るような美しさだ。


「泉の精の魔法を抑制する腕輪だ。マールの妻の所有物だが、今のそなたには必要だろう」

「そんな物があるんですか……」


 マールが微笑みながら、腕輪を取り上げた。


「相手は魔法使い、エアリス姫の泉の精の魔力を感知したはずです。オーリン殿下の泉の精の魔力を抑制してしまえば、別人と思うはず」


 僕は驚きながら、〈抑制の腕輪〉を受け取った。もう知られている場合でも、これでいつわれるのか大いに興味が湧いたのだ。強気な発言を繰り返すテオフィルスの驚く顔を、別人の振りをして見てやりたいと思った。

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