第十四話 竜騎士の呼び笛
なぜ僕は、テオフィルスの竜の指輪に手を置いたのだろう?
確信もない言葉を、なぜ口に出来たのだろう?
―――この竜の指輪は、消えたりしないよ―――
僕とテオフィルスの間には、何かしら共感出来る不思議な事柄がある。それは感情とは関係なく、精神の一部に自然と備わっている感覚。僕の中に流れるアルマレークの領主家の血が及ぼす影響、それとも竜の魔法に翻弄されているのか。一番の問題点は、この鼓動の騒ぎ。僕の気持ちとは関係なしに、彼の言動に勝手に身体が反応する。
テオフィルスが〈七竜の王〉だから?
僕は操られているのか?
反抗心が高じて、彼を遠ざけるようセルジン王の側近達に要求したが、天界から舞い降りたマルシオン王――――マール・サイレスに反対された。
「まだお分かりになってない。彼は殿下に必要な存在ですよ、遠ざけてどうするのです?」
「あれが近くにいると、調子が狂うんだ! お願いだから、少しでいいから遠ざけてくれ」
「彼が殿下を、姫君扱いし始めたからですか?」
マールが意味深に微笑む。思ってもいなかった言葉に、僕は眉根を寄せて呆然と彼を睨み付けた。
姫君扱い!
テオフィルスが僕を、姫君扱いしているだって?
憤りが沸々と沸き上がり、怒りで身体が震え始める。
「止めさせてくれ!」
「トキの後ろに隠れたりしないで、ご自分で頼んでみたらどうです? 案外、素直に応じてくれるかもしれませんよ」
マールが優しく微笑んで、彼の元へ行くよう道を譲った。テオフィルスは今、少し離れた場所で竜騎士達を集め、何か指示を出している。僕は彼から視線を外し、不貞腐れたようにマールに抗議した。
「何時から竜騎士の味方になった? 古の王は、アルマレーク人を毛嫌いしていたんじゃないのか?」
マルシオン王に対して、不敬な態度で言葉を投げつける。彼の怖さは嫌と言うほど知っているが、憤りの方が上回った。優しい外見のマール・サイレスに変身しているが、僕に対して怒りを向けてくると思っていた。暗に反して彼は少し悲しい表情を見せただけだ。
「遥か昔、私がブライディンを《王族》に仕立て挙げたのです。それ以来、影でエステラーン王国を支えてきたつもりです。私も王国を滅ぼすのは忍びないのですよ。陛下と同じように、《王族》を失う事に恐怖を感じるのです、姫君」
意外な言葉に、僕は怪訝な顔で彼を見つめた。
「マールさんに変身すると、性格まで変わるのか? 僕はマルシオン王には、嫌われていると思っていたけど」
彼は肩を竦めて、笑い始めた。
「さて、どうでしょう。殿下の対応次第では、また恐ろしい存在にもなり得ますよ」
そう言って、テオフィルスの元に行くように優しい微笑みで強要する。結局、古の王には、僕の意思など関係無いのだ。諦めの深い溜め息を付きながら、僕はマールの横を通り過ぎ、竜騎士達に近付いた。
緊張感で鼓動が騒ぎ始める。テオフィルスは僕の要求を聞き入れてくれるだろうか。変に口説かれたりしたら、どう対応して良いのか分からなくなる。それを止めてほしいが、上手く伝えられる自信は無い。彼の姿を見ないように少し下を向きながら、精一杯の虚勢を張って、彼の前に進み出る。どう切り出すか迷う間もなく、彼の方から話しかけてきた。
「良い時に来た、お前に頼みたい事がある。急ぎだ。その鎧の腰に、小さな鞄が付けてあるだろ。その中から呼び笛を取り出してみろ」
「……呼び笛?」
竜騎士の鎧に馴れてない僕は、腰鞄の中身を確認した事がない。身支度はミアに任せっきりで、ここ暫くはセルジン王を失った苦しみに溺れていたからだ。今初めて鞄を開け、中を確認する。小さな鞄には取り出すのが大変なくらい、多くの物が収納されていて、どれが呼び笛なのか戸惑う。
「左端に立ててある。収納出来る輪の中だ。いつもそこへ入れておけ」
言われた場所に細い短い笛が立っていて、他の物が飛び出ないように気を付けて取り出してみた。笛の表面に竜が絡み付いた浮き彫りが施され、とても綺麗に見える。
「イリの事を想いながら、それを梟になったつもりで、一・二・一・三の調子で吹いてみろ。音は人間には聞こえないが、竜には聴こえる。間違えずにやれ」
「……リンクルも入れないこの場所から、アルマレークにいるイリを呼び出すのか? 聞こえないだろう、どう考えても不可能だよ」
テオフィルスが、イタズラを画策しているように笑った。
「イリは今、他の竜騎士達と一緒に、イミル王国の魔法使い達と戦士達を連れながら、国王軍の後を追っているんだ」
「ええっ! そんな大事な事、会議の場で一言も……」
テオフィルスが秘密の素振りで、唇に指を当てる。他に知らせたくないのだ。僕の横にいるトキが、黙って聞けと伝えてくる。
「セルジン王がお前を俺に託す前に、指示を出した。俺達への国王軍の反発も考慮して、お前にも知らせないように配慮された。知っているのは宰相殿だけだ。王は賢い。自分がいなくなった時に、グレンフィード大将が反旗を翻す事を予測していたんだ」
トキが無表情に頷く。彼も予測はしていたのだろう。アレインは国王軍を取り仕切ってきた、能力のある人物だ。セルジン王を見失った時、彼なりに王国を守る気でいたはず。反乱を起こす前に僕が冷静に話せていれば、事態は変わっていたかもしれない。そう思うと自分の不甲斐なさに、涙が出そうになり頭を抱えた。
「…………僕に、《王族》としての能力が足りないからだ」
「そうじゃない、お前の半分がアルマレーク人だから、混乱を招くんだ。《王族》としての能力は、十分に足りているさ。でも、アルマレーク寄りと思われるのは、仕方のない事だ。だからこそ大将はお前を自分のものにしようとして、何度も俺に阻まれた。憤りはお前ではなく俺に向いて、暗殺計画も全て阻んでやった!」
まるで勝者のように、彼は不敵に笑う。一番突かれたくない点を突かれ、僕は顔をしかめた。半分敵国人である僕は、たとえ《王族》でも国王軍の信用を勝ち得るのにふさわしくはないのだ。
テオフィルスがあの日から僕に冷たく当たったのは、反乱への警戒からだ。怒りが僕に向かわないよう、彼等の憤りをわざと引き受けた。王を失った苦しみに、周りに気を配れないでいる僕を、突き放しながら守っていたのだ。涙が、頬を伝った。
「でも……、反乱は起きてしまったよ、エランまで……。僕のせいだ」
「ああ、気にするな。王が予想していたという事は、起こるべくして起きた事、誰にも止められないさ。でも、ここに導いたのは、彼等じゃない。こんな空間は、彼等には造れない。反乱だって魔王絡みなら、大将の意志だけとは限らないさ。これは緊急事態だ。リンクルも呼べない異常な空間で、七竜の加護は今の俺にもお前にもない。竜達に聞こえる保証もないが……、それでも、何もしないよりはいい! 泣いている暇はないぞ。早く笛を吹いて、イリを呼べ」
テオフィルスの真剣な要求に、僕は涙を振り払った。周りの竜騎士達は、偽物の青空を見上げながら、音の鳴らない笛を吹き鳴らしている。僕も笛の吹き口に唇を当て、イリを想う。
竜の狂暴な顔が僕を見た途端、瞳孔が丸く真っ黒になり、可愛らしく甘えた声を上げるイリ。あんなに大きな生き物を、小動物のように愛らしく感じ取れるのは、僕が彼女の竜騎士だからなのだろう。
イリに会いたい。
そう思いながら、教えられた吹き方で笛に息を吹き込む。鳴っているのかも、イリに届いているのかも、まったく分からない。それでも、必死に強く願う。
僕はここにいるよ、イリ。
君に会いたい!
竜の鳴き声は、聞こえない。不安に思って、もう一度吹こうとして、テオフィルスに止められた。
「一度でいい。しはらくしてから、もう一度吹け。それより、何か用があったんじゃないのか?」
問いかける彼の瞳は、優しさを湛えている。魔力を使えなくなったせいか、いつもの傲慢な態度が消えているように見える。僕が彼を見詰めていると、不意にいやらしいほど傲慢な表情で笑った。
「なんだ? 愛の告白なら、いつでも歓迎するぜ」
「…………誰がするか! そういう態度を止めろと言いに来たんだ。女扱いするのは、止めてくれ!」
前言は撤回する。まったく変わってない。憤りのあまり、彼に掴みかかりそうになった時、突然それまでの青空が消え去り、周りの景色が真っ暗闇に変わった。
目の前が見えない中、テオフィルスが僕の真横に立ったのを感じた。誰かの手が、僕の腕を掴み取り引き寄せる。
「竜を呼ぼうとしても、無駄だよ。ここは魔界域だ。七竜の魔力は届かないし、天界の兵達も、ここまで降りては来られない」
「エラン?」
耳元に聞こえるのは、幼馴染みの優しい声。でも、言っている言葉は、彼のものとは思えない。僕は身を守るために、心の中で〈祥華の炎〉を呼び出す。僕の周りに薄っすらと炎が揺らめき、その明りは僕の腕を掴む人物を照らし出す。
確かにエランには違いがないが、彼の背には醜い屍食鬼の翼が、悪事を求めるように怪しく蠢いていた。