≪五章≫破滅への序章 ③
残りわずかな理性をありったけかき集めてつぶやいたその名は……神代の王を喰らった魔狼の名。
別称『フェンリル』と呼ばれる神の半身。
彼の邪神『ロキ』の息子にして、神殺しと謳われた、最強の獣。
「ウアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
“魂”の器たる肉体が、覚醒に歓喜する魔力の渦に壊れていく。
肉は裂け、
血管は千切れ、
骨は砕け、
臓腑は酸素を拒み、
心臓は破けんばかりに暴れ狂う。
喉が張りつき息も吸えず、酸素の足りなくなった脳は思考を否定する。
理性などとうに廃れた。
野性による蹂躙も、瀕死の現状では苦痛にもならない。
そこにもはや石動冬弥という人格は存在できまい。
彼の者は運命と“原初”に翻弄される哀れな人形。
『神』の“魂”を受け入れるべくして造られた空虚な器。
それに宿る人格など初めから、世界という名の摂理に赦されてなどいなかった。
されど――ソレは哂う。
「ハッ。アハハ……ハハハハハ!」
満足に息もできていないのに、哂う不吉。
全身を己の血に濡らしながらも、哂う獣。
皮肉な運命と己の矛盾と愛しき人を守れなかった弱さと、敵の愚かさを嘲晒う。
肉体は満身創痍――精神はすでに瓦解――世界から存在を剥奪されたような空虚感。
此処に在ること自体が矛盾している。
なのに、この胸の高鳴りはどこからくるのか……。
「…………」
事のなりゆきを見守るしかできない秋夜には対処のしようもない。
絶対者たるカエデですら、突然の威容に驚きを隠せない。
狩人はカエデ。
獲物は冬弥。
配役に間違いはない。
彼は常に“魂”を蒐集し、弱者の命を狩ってきた強者。
その彼をして、冬弥からあふれる魔力に戦意を削がれていた。
かつて争った『転生体』――№108の覚醒とでは比にならぬほどの魔力。
当たり前だ。
この冬弥はカエデが創りあげた最高傑作。
完全なる人造魔道師なのだから。
「ハハッ、ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
夜の帳に狂った念が響きわたる。
雲に隠れた星を紅く染め、天上の月さえも禍々しさに呼応する。
魔力暴発によって霧散された暗雲から顔をのぞかせた満月が、赫い光を地上に降らす。
傷ついた“ヒト”の心は戦いを嫌悪する。
しかし数千年来の目覚めに高揚する“魂”は、この世の善悪を謳歌する。
これが闘争の喜びだと、世界が創られる以前の“原初”からささやく。
『転生体』であるがゆえに聴きとれる声なきコエに歓喜はさらに高鳴り、ついに、己が成すべき事象を識った。
「ハハハハハハハッ! ハッ……――――」
哄笑が消え、暴走していた魔力も消える。
静まり返った空間にとり残された者共に、次に起こる災厄を予想しうる手段はない。
弛緩した体は……血色が抜けて土色に。
崩壊した心は……無垢な白から漆黒へ。
はた目に映るその姿は、糸の切れた操り人形のようで、すでに死亡していると判断しても詮なきことだ。
されど、それは希望的観測でしかない。
敵であるカエデにとっても、味方である秋夜にとっても。
間違いなく、冬弥は覚醒した。
“魂”に飲まれた者は目に映るものすべてを破壊しつくす。
敵味方の概念など当てはまらない。
油断など微塵も許される状況ではない。
魔力の暴発により冬弥が絶命しているのなら、両者はまだ助かる。
だが、冬弥の命はまだ、脈動を続けている!
「――――オオオオオオオオオオオオォォォォォ!」
大気を貫き、大地を揺らし、天までも衝く。
それは神代に生きた神喰らい――魔狼フェンリルの咆哮。
現代においていかなる奇跡か、ここに、生ける神話が再誕する。
「「!」」
カエデと秋夜が同時に動く。
咆哮とともに全方位無差別の魔力が放出された。
属性付加もなしに物理衝撃を発生させる魔術としては破格としか言い様がない。
その神性、威容、衝動、怨嗟、魔力量・質。
すべてにおいて人知に収まらない。
幾度も強敵を屠ってきたカエデでさえ、これほどの規格外を相手にした経験はない。
ゆえにカエデが先手として放った呪弾は、殺傷を狙ったわけでも、威嚇としての布石でもない。
純粋な恐れ。
数百年の時を経て忘却していた負の感情に突き動かされた、生存本能だった。
(畏れるだと? このオレが!?)
必死に否定してみせても、絶対的な脅威から本能は生き延びようと逃げに徹する。
必殺を約束された十六発の弾幕はしかし、魔狼のいななきにも届かない。
次回は12/23
22:00投稿予定です。




