≪五章≫幕間 ~とおい再会~ ①
夢の中の衝撃はそのまま現実となって脳を揺さぶった。
地面と同化したと錯覚するほどの倦怠感。
鉛のように重たいまぶたを開いて、ようやく俺は倒れていることに気がついた。
仰向けのまま見上げた空は暗い。
すでに月も真中に昇っている。
夏姉が心配している。
早く……帰らなくちゃ……。
「――――――ぃ」
「…………?」
ぼうっとした頭が、弱い風にもかき消されてしまいそうな、か細い声をひろった。
「――――なさい」
意識すると、声は徐々にはっきりとしてくる。
女の子の声だ。
そういえば、夢をみていた気がする。
どこだったかは覚えていない。
けれど間違いなくアレは、俺の記憶だ。
白い施設の白い部屋。
幾度となく血に染まる、殺戮と実験を繰り返すためだけの場所。
そこに独りきりの女の子が幽閉された黒い部屋があった。
保護と研究の名目でとらわれていた幼い彼女。
それが誰だったかなんていちいち思い返す必要もないくらい、大切な思い出だ。
初めて会った時のことも……
どんな関係だったのかも……
女の子が何を求めていたのかも……
男の子が何を願っていたのかも……
女の子がどれだけ苦しんでいたのかも……
男の子がどれだけ悲しんでいたのかも……
あぁ、なにもかも覚えている。
一秒たりも忘れたことなどなかった。
だからずっと夢を視続けていた。
忘れたくない記憶だったから、苦しくて……悲しくて……逃げられなくて……怖くて……それでも、二人が共有していた時間がかけがえのないものだったから。
絶対に忘れてなんかやらない。
どれだけの年月がかかっても迎えに行くと約束したから。
何よりも代えがたい……大切な想い出だったから。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
初めて見る司の涙は、実は初めてなんかじゃなくて。
謝らなければいけないのは俺のほうなのだと伝えたくて。
「ごめんなさい……ごめんなさい……」
両手で覆った瞳から、雨粒のように落ちる涙が、俺の頬に伝ってくる。
このか弱い少女は、いつから泣き続けていたのか。
私と出会ったせいで不幸にしてしまって、ごめんなさい。
私がアナタを求めたせいで苦しめてしまって、ごめんなさい。
私なんかのためにアナタの人生を狂わせてしまって、ごめんなさい。
ごめんなさい。
ゴメンナサイ。
ごめんなさい。
ゴメンナサイ。
ゴメンナサイ。
言葉にならない懺悔が涙と落ちる。
司はずっと泣いていたんだ。
声にならない苦しみを、言葉にできない悲しみを、ずっと。
無表情の奥に隠されていたのはどうしようもない負の念だ。
この子は感情がなかったんじゃない。
あまりに苛烈すぎる人生の中で、精神が磨耗してしまった。疲れてしまったんだ。
だから蘇りそうになる感情を抑え続けてきた。
人並みの生などいらない。
幸せになんかならなくてもいい。
その代わりに、私と関わった人々が不幸にならないように、と。
自分の幸せも願えないくせに他人の幸せについては人一倍願って、俺が死んだのは自分のせいだと決めつけて、煉獄のような痛みにずっと耐えてきた。
けれどもう、ダメになってしまった。
無表情という仮面は剥がれてしまった。
二度も目の前で、いや……何度も何度も目の前で誰かが殺されて、ようやく得られたと思えた平穏さえも壊されて、耐え切れなくなって、泣いている。
救いようのないくらい弱いくせに強がって、
誰よりも優しいくせに冷たいフリをして、
そのくせ誰にも助けを求めないで、
それが楽しいわけがない。
面白いわけがない。
幸せなはずがない。
「……大馬鹿野郎」
再生したばかりの心臓がまた破れそうだ。
でもこれ以上、寝てなんかいられない。
肉体は休息を求めている。
黄泉返ったばかりの体は動作を拒んでいる。
けど今は、そんなことよりも……
「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」
ずっと、こんな大切なことを思い出さなかった俺自身に腹が立つ。
ずっとそばで泣いていた女の子ひとり救えなかった自分が憎い。
いまさらこれまでの清算ができるとは思わない。思いたくもない。
たしかに、カエデは司を傷つけた。
たしかに、司は己を傷つけ続けた。
けれど、司をいちばん傷つけていたのは他でもない、俺だったんだ。
まだ休息したがっている身体に鞭打って起きあがる。
骨が軋む。
血管が破れる。
筋肉が千切れる。
痛い……でも、これまで苦しんでいた司のほうが、何千倍も何万倍も痛かったはずだ!
「ごめん、なさい……」
座ったままずっと泣いていたのだろう。
雨に打たれる身体は冷え切っていた。
でも心は温かかった。
きつくきつく、これまでの悔いを晴らすように強く、司を抱きしめる。
「大丈夫だから。”ボク”は大丈夫だからさ」
再会してから初めて抱きしめた司の身体は小さくて。
加減を間違えれば折れてしまいそうなほどに細くて。
それでも俺は強く抱きしめる。
「ごめん……なさい……」
すがるようにシャツが握られた。
シャツが破れるくらいに強く握り締められて、より強く抱き返す。
「大丈夫。司のせいじゃないんだ」
「ッ……ごめんなさい……」
「遅くなってごめん。ずっと待っていてくれて、ありがとう」
本当に遅すぎる。
言い訳なんてできない。
この抱擁がどれだけ司の心を慰めてあげられるのか、それすらも知れない。
意味なんて感じてくれていないのかも知れない。
でも司は、ようやく感情を吐き出せた。子供のようにずっと泣き続けた。
「ごめんなさい……ごめん、なさい……ごめッ……」
だから俺はずっと、強く強く、抱きしめ続けた。
次回は12/14
22:00投稿予定です。




