≪二章≫衝動 ①
美月との電話からもう三十分たっていた。
礼拝堂で時間を消費し、美月からの催促メールで我に返った冬弥は、寒風にあおられ耳を赤くしながら全速力で走っていた。
美月の家は町の南西側、繁華街にある高層マンションの一室だ。
街の東側、北東にある天枷教会とはちょうど対角線上の立地である。
(これはどやされるな)
到着したら美月から大目玉を食らうだろうとなかば覚悟を決めつつ、速度は緩めない。
街を縦断する大河を跨ぐ鉄橋がすぐ近くに迫った。
これならあと十分もかからずに美月の家へと到着できるだろう。
――来ル――
「!?」
不意に轟いた声に、心臓が跳ねた。
あまりの痛みに息が詰まり、足が止まる。
――奴ガ来ル――
運動による脈動とは明らかに違う、異様な強さで心臓が打たれる。
――我ラヲ殺シニ来ル――
「ぐっぅ……!」
ドクンッ、みずかららを破るように、収縮と破裂を繰り返す血管。
――忌マワシキ記憶ガ此処ヘ来ル――
「ぁっ、あぁ……!」
筋肉が鉄のように固まり、内臓器官を圧し潰す。
――思イ出スガイイ――
「カッ――――ふ……ぅぅ!」
気道が圧迫され酸素が吸えない。酸欠に喘ぎながら視界が白く塗りつぶされていく。
立ってなどいられない。倒れこむように膝をついてなんとか平衡感覚だけは維持し続ける。
――アノ夜ヲ――
全身の感覚すらなくなっていく。
もう痛いのかどうかもわからない。
――月夜ノ晩、我等ヲ屠ッタアノ影ヲ――
その声は直接“魂”を揺さぶるように強く吼え猛る。
そして、薄れいく意識の中で、その声をどこで聞いたのかを思い出していた。
――アノ忌マワシキ記憶ヲ思イ出セ。己ガ心ノ闇ヲ直視セヨ。“深淵ノ器”ヨ! ――
「ぐっ――――あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
暴力では生ぬるい。
激烈過ぎる意思に蹂躙される。
頭蓋を割るような頭痛に意識を失うことさえできず、冬弥は路面をのたうち回る。
――果テノ幻想ニ憑カレタ愚者ヲ! 影世ノ幻影ニトリ残サレタ亡者ヲ! “原初”ノ海ニ溺レル賢者ヲ! 我ニ仇ナス仇敵ヲ! “深淵ノ器”ヨ、今コソソノ役目ヲ担ウ刻ゾ! ――
徐々に熱を増していく痛みが、冬弥を現実に繋ぎとめる。
(やめ、ろ……やめてくれ!)
どれだけ無慈悲な痛みをともなおうとも、覚えのない謂れに蔑まされても、冬弥には“誰か”の意思に応えることなんてできないのに、“誰か”はお構いなしに喚きたてる。
このままでは、死ぬ。
もしもこの痛みに耐え切れたとしても、こんな凶暴な声が続いてしまうのなら、肉体よりも先に心が壊れてしまう。
けれどもこの声に抗えない冬弥は、まるで深い闇の底に堕ちるような絶望に覆われた。
その、臨界を越える直前に――――
「冬弥!」
今まさに蹂躙されようとしていた『石動冬弥』という精神を繋ぎ止める、凛とした声が届いた。
それきり“誰か”の声は遠のき、入れ替わりに聞きとれたのは静かな風の音と、
「すぐにここを離れろ!」
いつになく厳しく険しい、義兄・秋夜の声だった。
次回は11/18
22:00投稿予定です。




