≪二章≫衝動 ②
冬弥はようやく治まってきた頭痛と心拍を深呼吸しながら整えつつ、肌が粟だつほどの殺気を放つ義兄の背中を眺めた。
闇よりも濃いコートの裾はヤスリで削ったように擦り切れ、一部には何かに貫かれたかのような穴が開いている。
そして、月光を弾く銀の刃が、目に映える。
「秋兄……それ、は?」
「クソッ、間に合わないか」
そう吐き捨てると同時に、目の前にあったはずの背中が霞んだ。
瞬間、
ガッ ギギンッ
鋼のぶつかり合う擦過音が遅れて届く。
「ほお、それが貴様の子飼いか」
続いて現れたのは、小学生とも見違える小柄な少年。
その少年を認識した刹那、冬弥は自分の血が凍ったのではないかと錯覚するほどの怖気を覚えた。
これまでに経験したことのないおぞましさに、冬弥の感覚は塗りつぶされていく。
それは先ほどまで“誰か”に干渉されていたものとも異なる、原始的な恐怖だった。
「――――ァッ」
「ヤツの眼を見るな」
厳然とした口調で話しかける秋夜にも、同様の圧力があるのだろう。
冬弥は信頼している兄の言葉にではなく、生存本能に従って目線を下るしかない。
「まさか貴様が弟子をとるとは思わなかったぞ。天枷秋夜」
「……」
秋夜は答えず、冷静に戦況を見定める。
ここで冬弥と組んで波状攻撃にうって出れば勝率も上がるかもしれない。しかし目の前の魔術師は現代最強の誉れも高い。
初めて実践を経験する冬弥と共闘するより、自分ひとりのほうが効率的だと解を得る。
魔術師の常識なら、自分が生き残るために他者を犠牲にして逃走するべきであろう。
だが、他者のために生きようとする天枷の魔術師は、誰かを見捨ててまで延命しようという生き汚さを持ち合わせてはいない。
身動きのとれない冬弥を背に、秋夜は意思を固めた。
旧知の間柄であるカエデは、そんな秋夜の愚かさを見透かしている。
「自己犠牲の精神は感動を与えるだけの価値あるものだ。
だがな、オレと貴様の戦力差を考えたとき、それが如何に無駄な行動かくらいは判るだろう?
圧倒的な暴力の前で理想や信念など無価値な徒労だ。
ましてや足手まといを守るなど愚の骨頂!
どうだ、たまには信念を曲げてみてもいいのではないかな?
クククッ、ハハハハハハハ!」
大仰に両腕を広げ、王に逆らう無力な民を嘲笑うかのように、嗤う。
「あぁ、それも無理な話か。ならば一つ提示してやろう。このまま『転生体』を差し出せば、貴様だけは見逃してやってもいいぞ。クククッ」
そもそも彼は秋夜と戦うためにこの地へ参じたのではない。
カエデも魔術師である以上、最終的な目的は世界が始まった場所――“原初”へと到るための探求である。
その目的を達するために、カエデは魔術師の中でも特に希少な、神代の『神』の“魂”を身の内に宿した『転生体』と呼ばれる者を探し、その者らから『神』の“魂”を蒐集するためにこの地へやってきたのだ。
大抵の魔術師たちは“原初”へ到達することを至上命題とするがために、必要以外の行動をとることはない。
ただ、カエデは他の魔術師とは似て非なる者であった。
数百年と生きている魔術師には、人間が一生で楽しめる娯楽など残っていまい。
それはつまるところ、単調な日々の繰り返しに精神が磨耗し、生きている実感を得られないのと同意。
ゆえに、あえて死の気配が漂う戦地へとおもむき、生と死の極地を味わって生を実感しようとする。
さらにタチの悪いことに、カエデは現代最凶の称号を得た魔術師だ。
いつの世も絶対者として君臨している者は刺激に飢えている。
そのストレスを解消する手段が刹那のスリルか他者の苦しむさまを嘲るか、人格によって違いはあれど、どれも似偏る。
カエデの場合は嗜虐嗜好。
弱者をいたぶり、適度な反抗をさせることで己の不利すらも楽しむ、歪んだ恐悦者。
秋夜と一対一の状況は単純に生死を賭すに値する殺し合いではあったが、嗜虐の域には及んでいなかった。
だが、ここに冬弥が混じったことによって、その趣向を実行に移す機会が用意されたのだ。
「オレに従うか。抗うか。選ぶがいい」
三日月に歪んだ口唇が無慈悲な選択を口ずさむ。
当然殺されるつもりはない。だが、冬弥を守りながら死合ったところで勝ち目はゼロだ。
それでも、秋夜は、
「寝言はあの世でほざけ」
“原初”へ至るために誰かの犠牲のうえで醜く生き長らえるくらいなら、人間としてここで死を選ぶ。
魔術師でありながらも矛盾した精神構造を、カエデはこれより愉快なことはないと、心の底から嘲笑う。
幼い少年の笑みが、壊れるほどの嗜虐に歪む。
「ならばここで死ね」
そして、呪言とともに指を一度弾いた。
次回は11/19
22:00投稿予定です。




