後編
市街を拡張中の地区へ向けて路地を進んでいくと、ふたりは明らかに途中で空気が変わったことに気が付いた。
「人払いの結界ですわね」
「魔術に疎い俺でもこれは良く経験してるからわかるな」
結界といっても壁があるわけではなく、気分を悪くしたり、ここに居たくないと思わせる魔法のことである。これで結界の存在を知らないような人間はほとんど立ち去らせることが出来る。逆に荒事が好きな連中を呼び寄せてしまうこともあるが。
そして、建材などが置かれた少し開けた場所にその男は立っていた。四肢再生魔法のような高度治癒術は使っていないようで、切り落とされた右手には硬く包帯が巻きつけられているだけであった。
「待っていたぞ」
以外にも伏兵などは居ない様子で、それがまた不気味でもある。
「折角のお招きを袖にする訳にはまいりませんもの。でも、おひとりなんですの?」
「すまんがこっちはふたりだぜ」
「なに、こっちも援軍を呼ぶから問題ない」
男は一度負けた相手を目の前にして、しかも右手を失っているにもかかわらず余裕の表情を崩さない。
そして残された左手に握った小さな杖を一振りする。
「クラウス様!」
魔力の高まりを感じたのか、セラが警告を発する。言われるまでも無く鞘に手をかけて警戒を強めるクラウス。
そして、ふたりの目の前で地面が不思議な文様を描くように光りだす。
「召喚魔法ですわ!」
セラの叫びに反応したかのように地面から大きな人影がせり出してくる。身長3リート(約3メートル)はあろうかと言う鋼の巨人だ。
「アイアンゴーレムですわ!」
「ああ、しかもこいつはただのゴーレムじゃない。シャウムブルクのゴーレム兵団採用してる乙種装甲ゴーレムだ!」
乙種ゴーレムは重装備の騎士一個小隊、およそ30人と互角と言われている強力な兵器だ。
完全にゴーレムが姿を現すと男の持っていたワンドが砕け散る。ゴーレムを呼び出すような高度な召喚魔法を封じた杖だ、売れば庶民なら一生暮らせるほどの金額になるだろう。
「うわ、もったいない」
思わずといった感じで砕けて地面にちらばった杖の残骸を眺めるクラウス。
「そんなことを言ってる場合じゃありませんわ!」
つまらないことを言うクラウスを叱り付けながら距離を取るセラ。
「わかってるよ。しかし逃げるってのは難しくなったな」
「ええ、こんなものを街中で呼び出すような男ですもの。人目を気にせず追わせる可能性が高いですわ」
「とは言ったものの、せいっ!」
クラウスがゴーレムに抜き打ちをかけるが表面に僅かに傷を付けるだけに留まる。サーベルはそもそもこのような相手には向いていない上に、恐らくゴーレムには何かしらの防御魔法も付与されているのだろう。
「ならば――。紫電よ疾く走れ!」
セラの短句魔法が完成し、その指先より流れ出した一条の紫電がゴーレムに命中して火花を散らす。
しかし命中した箇所が僅かに凹んで変色した程度で効いている様子はあまりない。
「……魔術耐性も高いですのね」
「はっはっはどうした。そんな攻撃じゃこいつは倒せんぞ」
勝利を確信したように笑い声を上げる男。ゴーレムの背後に隠れるようにしているため攻撃することは難しい。しかも下手に殺してしまうとゴーレムがどのような行動をとるか予想不能になるという危険性もあり迂闊に手が出せない。
「まったく、良く吼える犬ですこと」
「とは言ったもののこのままじゃやられるだけだ。まさか街中で打撃武器が必要とは思ってなかったからなぁ」
唸りを上げて襲ってくるゴーレムの腕をかわしつつ、何度か切り付けるが焼け石に水といったところだろう。
「……わたしくに考えがあります。申し訳ありませんがしばらく時間を稼いでくださいませ」
「それはいいが、今は遊んでるだけだが、アレが本気で攻撃してきたらそうは持たないぞ」
「魔力でクラウス様を強化いたします。それでなんとかわたくしを守ってくださいませ」
「お姫様の頼みとあっては聞かないわけにはいかないな。必ず守るよ」
思いつめた様子のセラに無理にでも余裕の表情を浮かべて笑いかけるクラウス。
それを見てセラも肩の力が抜けたのか、微笑を返す。
「信頼しておりますわ、では――。彼の者とその牙に力を与えん!」
並みの強化魔法の倍ではきかないほどの魔力がクラウスに流れ込み、身体能力と共にサーベルの切れ味をも押し上げる。
「なるほど、これならリボンで人の首が落とせるってもんだ」
ひとりごちるクラウス。そして地面を踏みしめると矢のような勢いでゴーレムに向かっていく。
「強化魔法程度でこいつが倒せるものか。そろそろ本気で叩き潰せ!」
男の指示でゴーレムの目が一瞬赤黒く輝く、すると今までとは一線を画した速さで動き出す。
ゴーレムは武器を持っていないが、鋼でできたその腕は両手持ちのハンマーの攻撃にも匹敵する脅威だ。強力な加護がかけられた板金鎧ならいざ知らず、ただの服では直撃されれば命に関わる。
そんな腕の振り回される、鉄の嵐とも言うべき状態の只中にクラウスは居た。
上からの突き下ろしてくる右拳を横移動でかわし、なぎ払うような左腕を伏せるようにしてやりすごす。
そして僅かな隙をついてゴーレムの伸びた左腕にサーベルを振るうと、今度は刃の半ば程度まで食い込ませることに成功した。
「大した強化魔法だな」
クラウスは手元に引き戻したサーベルに目をやり、つぶやく。
しかし痛みの感じぬゴーレムでは決定打にはなり得ない。
と、そこにゴーレムが両拳を組んで振り下ろしてくる。恐ろしい速度のソレを後ろに飛びのいてぎりぎりでかわすが、そのまま地面に激突した拳はまるで爆発を起こしたかのように石畳を叩き割り、その破片を撒き散らす。
「くそっ!」
クラウスは詠唱を続けるセラを守るために破片を体で受ける。とがった石のつぶてが容赦なく体を傷つける。ダメージを負いながらも地面にめり込んで一瞬動きの止まったゴーレムの左腕に、先ほど付けた傷を広げるように切り付ける。
その後もゴーレムはクラウスにダメージを蓄積させる戦術に転換したのか、似たような攻撃を続ける。対するクラウスも攻撃直後の隙をついて僅かずつ傷を広げていく。
状況が膠着したように見えたそのときに、男が何かに気がつく。
「その呪文は……。やめろ!」
男はセラの呪文が何なのかを理解したのか慌てる。そして阻止すべく、ゴーレムに任せきりなのをやめて自分自身で呪文を紡ぐ。
「光弾よ、我が敵を打て!」
男の残された左手から飛び出した光の弾丸が、クラウスが防ぐよりも早くセラに叩きつけられる。
しかし、セラは一度命中した勢いでのけぞるようにして体勢を崩したものの、集中を切らさず詠唱を続ける。何らかの魔法に対する加護があるにしても無傷のはずはない。それでも耐えられるのは魔法学校の生徒に言ったように十分に鍛えているからだろう。
「化け物め!」
「セラッ!」
クラウスは思わず振り返り魔法を受けたセラを確認する。しかしゴーレムはまるで熟練の兵士のようにその僅かな隙を見逃さずに右拳を突き出してくる。
「……しまった!」
気がついたクラウスが後ろに飛ぶが、かわしきれずに腹部を殴りつけられる。後ろに飛んだために致命的なダメージは負わなかったが、恐らくあばらの2、3本は折れているだろう。
吹き飛ばされたような形になるが空中で体勢を整えてなんとか着地する。しかし大きなダメージを負ったクラウスは膝を突いて血を吐いてしまう。
「ぐはっ」
その様子を見た男がついにゴーレムに命じる。
「その男は放っておいて、女を潰せ!」
恐らくは連れて帰れという指示があったはずだが、頭に血の上った男はそれを忘れたかのようにゴーレムを命令を下す。
ゴーレムは攻撃対象をセラに変えると、接近しつつ左手を振り上げる。
しかしセラはそんな様子が目に入っていないのか、静かに詠唱を続けている。
「ちくしょう! 守るって言っておいてこれじゃ格好つかねーだろうが!!」
クラウスは体の痛みを無視してゴーレムへ飛び掛る。今まで片手で振っていたサーベルを両手で構え、攻撃を重ねた左腕の傷口に叩きつける。
ぱきん、と乾いた音と共にサーベルが砕け散る。しかしそれと同時にゴーレムの左腕も切断される。切断された腕は慣性に従って飛んで行き、セラの髪を揺らすほどの近くを通り抜ける。
そして、その瞬間にセラの呪文が完成する。
「……彼の者を捕らえて、この世界より消し去れ!」
「ゴ、ゴーレム俺を守れ!」
呪文の終句に重なるように叫んだ主の命に、ゴーレムは従い男を守るように後ろに下がる。その直後に黒い膜のようなものがどこからとも無く湧き出し、球状に男とゴーレムを包み込む。
球体は徐々に小さくなっていく。ゴーレムはそれに必死に抗い、男もなにやら魔法を使っているが球体の縮小は止まらない。そして球体がゴーレムの大きさよりも小さくなったときに、酷く硬いものが折り砕かれるような音が響く。その直後に男の悲鳴も聞こえるが一瞬で消えていく。
やがて球体は握りこぶしほどの大きさになり、そして泡のように消える。
後には球体に一緒に捕らわれたために、擂鉢状にえぐられた石畳だけが残っていた。
両腕を突き出した格好のままのセラが力尽きたように、ふらりと後ろに倒れそうになるが、半分以下の長さになってしまったサーベルを投げ捨てたクラウスが慌てて抱きとめる。
「ぐお、痛てぇ」
折れたあばらに衝撃が伝わったのか、痛みに呻く。
「も、申し訳ありません」
クラウスの呻きで気がついたのか、セラが慌てて離れようとするがクラウスは抱きしめた手を離さない。
「慌てるとまた倒れるぞ、しばらくじっとしてな」
「はい……」
クラウスのやせ我慢が限界に達しようかという時、
「もう大丈夫ですクラウス様。それよりも傷をお見せくださいませ」
「お前も一発もらってたが大丈夫なのか?」
「服や装身具に加護がかけてありますし、なによりあの程度で動じないくらいには鍛えてありますわ」
そういってセラはそっとクラウスから体を離すと、体の向きを変えてクラウスの傷の様子を窺う。
「全身傷だらけ……。それにあばらも折れていますわね。今、癒しをおかけいたしますわ」
「あれだけの術を使ってまだ魔力が残っているのか?」
「いえ、流石に空っぽですので魔力石を使いますわ」
そう言って右耳から魔力石のはまったイヤリングを外すとその魔力を解放する。
「その身を癒し、あるべき姿へ戻せ」
セラの手のひらから暖かい光が発せられ、それに撫でられるようにした箇所の傷が癒えてく。
「治癒魔法も使えるとは大したものだな」
「恥ずかしながらこのような繊細な魔法は苦手でしたの。でもわたくしの夢の実現には必要と思って必死に練習いたしましたわ」
「お姫様にも苦手なものがあったんだな」
「お母様なんて『貴女の魔法の使い方は壊れた噴水のようにただ吹きだすばかりね』なんておっしゃるのよ!」
セラは母親の物言いを真似するように言う。
「それは酷いな」
「そう思いますわよね」
「ああ、そんな暴れ馬のような魔術師は怖すぎる」
クラウスはそう言って楽しそうに笑う。
「ええっ、わたくしがですの!?」
セラはいかにも不本意ですといった表情でクラウスを睨み付けるが、すぐに一緒になって笑い出す。
やがてふたりに影が落ちる、何時の間にか日が大分傾いていたようだ。
「さて、日も暮れてきたし、そろそろ約束の時間だな」
「……そうですわね。もっと色々ご案内をして頂きたかったのですが、いたしかたありませんわ」
クラウスは癒しを受けたとはいえ未だに痛む体を起こすと、折れたサーベルの剣先と根元を鞘の中に落とし込む。
「こいつとも長い付き合いだったなぁ」
「申し訳ありませんわ。大切な武器を折ってしまって」
「壊れるまで使い込めばそれはそれでこいつも本望だろうさ。それになによりセラを守る事が出来たしな……。それでは姫様、お手をどうぞ」
クラウスはいとおしげに鞘を撫でた後にセラに慇懃な態度で手を差し伸べる。
「お手をお借りしますわ」
限界まで魔力をつかって足元がおぼつかないのか、クラウスの差し出した手ではなく腕にしがみつくようにするセラ。
「それじゃどこへ向かえばいい?」
「北東地区へお願いいたしますわ」
北東地区は貴族や平民でも富裕層が居を構える地区である。
歳も背も大きく違うが、どこか似ているように見えるふたりは夕日を背に戦いの場を後にした。
「もうすぐ貴族街だな」
北東地区の深部にある貴族街へもう少しでたどり着くと言うところまで来たふたり。
「そうですわね、あれは……」
そう言ってセラが顔を向けた先のかなり遠くの方から、執事然とした初老の男がその落ち着いた装いに似合わぬ勢いで駆けて来るのが見える。
「家の人間か?」
「ええ、爺や……、我が家の家令ですわ」
家令と言えば主人家族に次ぐ地位の人間である。それがあの取り乱しようということはセラの外出は密かに行われたものなのだろう。
「どうやらここでお別れだな」
「そうですわね。あ、そうでしたわ報酬をお渡ししないといけませんわ」
「お姫様が銀貨なんて持ち歩いているのか?」
セラはクラウスの軽口には答えず、左手の親指にはめていた指輪を外して差し出す。
ミスリルの土台に巧みにカットされた魔力石がはめらている。魔法に疎いものでさ魔法具であることは一目瞭然だろう。
「この指輪のお陰で先ほどの方の魔法も耐えられたのですわ」
「おいおい、そんな加護のかかった指輪なんて馬鹿高いだろうに。こんな行きずりに男に渡すもんじゃないぜ」
「クラウス様はこの指輪に匹敵する。ううん、それ以上の事をしてくれましたわ。それに心配なさらずとも家に帰れば同じような物はまだありますの」
「くそっ、金持ちめ!」
「でも、この指輪が一番デザインが気に入っていますの。だから大事にしてくださいませ」
「……わかった。それじゃありがたく頂くよ。しかし俺じゃ小指にはめるのがやっとの大きさだな」
クラウスは指を受け取るとはまりそうな指を捜すが、小指以外でははまりそうなかった。
「それではクラウス様。今日は本当に楽しい一日でしたわ」
クラウスが指輪を受け取ったのを確認すると、セラは出会ったときのようにスカートつまみ上げて優雅に一礼する。
「俺もなかなか面白かったよ」
セラはクラウスの言葉ににっこりと微笑むと、燕のように身を翻して家令の元へと走り去って行く。
そしてクラウスはセラ姿が見えなくなるまで見送っていたのだった。
クラウスが軋んだ音を立てながら扉を押し開けて、ギルドの中に入る。
「よう、戻ったか。首尾はどうだった?」
クラウスに気がついたギルドの親父が声をかける。
「ああ、珍しく情報どおりレッサーヴァンパイアだったよ。まぁ情報違いで真祖が出てきてたら今頃親父の首に噛み付く羽目になってただろうがな」
そう言ってカウンターの上にヴァンパイアの牙を置く。
真祖とは生まれながらの吸血鬼のことであり、一般的にヴァンパイアといえばこちらを指す。そしてレッサーヴァンパイアとはヴァンパイアに血を吸われて吸血鬼化したもので、まがい物などと呼ばれているが人間離れした身体能力を持ち油断はできない。
「早速新調したミスリル製のサーベルが役に立ったわけか」
「ああ、殆ど全財産つっこんだからな、今回で少しでも取り戻さないと」
ヴァンパイアの類は強力な魔術か銀、特に真銀と呼ばれるミスリル製の武器で無いと致命傷が与えられない。そういった訳で今回はクラウスに仕事が回ってきたのだった。
「ほら、金貨8枚だ」
「……これはこれで大金だが、サーベル1本に金貨100枚払った後だとなぁ」
折れず、曲がらず、錆びずに、その上抜群の切れ味と魔法しか効かない敵にも有効という武器を作る上で最高の素材であるミスリルは非常に高価である。
「いい剣士にはいい武器が必要だ」
「わかってるって、ところで今日はやたら街が騒がしいが何かあったのか?」
クラウスは金貨を財布にしまうと、気になっていた事を親父に訊ねる。
「なんだ知らなかったのか、今日はエクロース公の下の娘の14歳の誕生日で、公から酒、パン、肉の振る舞いがあったのさ」
「ああ、もうそんな歳だったのか。んで進む道の発表はどうだった? 確か上の娘は宮廷魔術団だったな」
「それが聞いて驚け」
親父がもったいつける。
「なんだよ、尼にでもなったのか?」
「違うわい! 冒険者だよ、セラフィーナ様は冒険者になるという話だ」
「……公爵家の娘が冒険者とはね」
「でもまぁ、今の奥方様も元冒険者だし、影響があったのかもな……。おっとそれよりひとつ忘れてた」
そういって親父はカウンターの下から一通の封筒を取り出す。
「なんだ? 手紙なんて俺によこす奴なんて居たっけか」
「いや、違う。これはお前をご指名の依頼だ」
クラウスがしげしげと封筒を眺めるとやたらと質の良い紙であることがわかる。しかし表に『クラウス様へ』と記してあるだけで他には何も書かれていない。
「んで、誰からだ?」
「それがな、そこらの小僧が頼まれたといって持ってきたんだが差出人の名前が無いんだよ。かといっていたずらにしては使ってる紙が良すぎてな」
「まぁ、呪われることも無いだろうし開けてみてみるしかないな」
そう言ってクラウスはブーツに差していたナイフを抜くと封筒を開封する。
「なになに……。『クラウス様へお仕事をご依頼いたします。内容はわたくしの相棒となること、報酬はクラウス様の望むままに。 黒真珠より』」
「なんだ、なんかの冗談か?」
手紙を持ったまま固まってしまったクラウスに気がつかずに、無遠慮に覗き込んできた親父が言う。
そのときギルドの扉が開けられ小さな人影が滑り込んでくる。
「失礼いたしますわ。こちらにクラウス様という――」
そして冒険が始まる。