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7 恋はゆっくりと

 ともかくそういうことで!…と、逃げるように電話を切って、30分。

 もがいて転がってと、結局告白する前と同じ行動をとっているわたしがいる。

 だって、恥ずかしかったのよ。あんな、うっかりミスみたいな状態で自分の気持ちがばれちゃうし、その後ちゃんと言おうと思ったら噛んで笑われるし。

 大事な場面であれだけやらかしたら、恥ずかしいでしょう?普通!

 なのでころころと、狭いソファーで転がってるんだけどね。


『トゥルルルルル』


 無機質な着信音に変えてある携帯が、鳴った。

 さっき切った時点で用ナシになったはずのものが盛大に音を上げたものだから、びっくりして固まったわけだけど、そのままにしておくわけにもいかなくて着信相手を確かめるべく、テーブルを覗き込む。


『ヒューバートさん』


 液晶が壊れているか怪奇現象でない限り、めでたく両想い、になったらしい人、だと思うんだけど。話は終わって、また明日って言った気がするんだけど…。

 どうしよう、まさかもうふられるとか?からかっただけとか言われちゃうとか?!

 怯えつつ、そのままにしておくわけにもいかないんで恐る恐るとってみると、意外に陽気なヒューバートさんの声がする。


『もう寝ていましたか、都さん』

「い、え…起きてますけど」

『よかった。では、ドアを開けて頂けませんか?』

「は?」

『今、都さんのお家にいるんです。お願いします』

「はぁぁ?!」


 なんだそれ!声だけじゃなくて、行動が陽気すぎやしない?!

 あまりの衝撃にまさかと玄関口に飛び出して、魚眼レンズの向こうで携帯を持つ長身に冗談じゃなかったのかと脱力した。

 現在、時刻は11時55分。あと数分でめでたく日が変わるという頃である。

 来ないでしょう?来ないよね、普通。明日平日だし、何より人の家を訪ねる時間じゃないし!


『都さん?開けてくれないんですか?』


 びっくりしたまま耳に当てていた携帯から、多分に情けない嘆願を含んだ声が漏れてくる。

 開けていいんだろうか?いやいやまずいでしょう。

 っていう葛藤は一瞬で、来ちゃったら開けなきゃならないでしょう、と溜息と共に鍵とチェーンを外す。


「どうぞ」

「ありがとうございます」

 

 蝶番を軋ませてドアを開けたヒューバートさんは、携帯を閉じながらその長身をするりと室内に滑り込ませる。

 すぐにわたしを見つけた彼は、嬉しそうに微笑むと軽くハグして頬に唇を落としてきた。


「こんばんわ、都さん。どうしても逢いたくて、タクシーに乗って来てしまいました」

「はあ…お気持ちは嬉しいんですけど、TPOを考えると素直に喜ぶのもどうかと思える行動ですね」

「都さんは逢いたくなかったんですか?」

「いえ、そんなことはないですけど…お化粧もしてないし髪もぼさぼさだしパジャマだし、色々あるんですよ女には用意とか準備とか」

「大丈夫です。そのままでも綺麗です」

「そうですか…?」


 とても信じられないですけどね、そんなこと。

 洗いざらしで乾かさないまま転がったせいで、長い髪はもつれているだろうし、よれよれのパジャマやすっぴんが大丈夫だとは、絶対思えない。

 それよりむしろ、ヒューバートさんの方がこの背景に嵌まりすぎで、引け目が増すってものだ。

 なにしろこの住居スペースは、お祖母ちゃんの趣味が全開に突っ走っている場所である。小さなバラの描かれた壁紙に磨き込まれたアンティークの家具、ドライフラワーやら鏡、食器や小物類に至るまでまるで赤毛のアンが住んでるんじゃないかと勘違いしそうになるほど乙女チックで日本からかけ離れているのだ。


 そこに現れた金髪の外国人…似合いすぎるでしょう?しかもよく見たら私服の筈のヒューバートさん、ジャケット着用です。ドレスシャツにさすがにネクタイはぶら下がっていないけれど、代わりに落ち着いた柄のマフラーをして、仕立てがいいと一目でわかるコートを羽織っている。当然、ジーンズなんて穿いていない。ちゃんとしたツイードのおズボンをお召しである。靴も革靴だし。

 ビバ・トラディショナルなわけですね。頭の中で彼のスティングの名曲が流れてますよ。

 こんな人物に綺麗だって言われるとか、どんなイジメ?!ねえ、どんな?!


「入っても、いいでしょうか?」

「ああ、どうぞ。そっちのソファーへ」


 早まったかなぁ、やっぱり信念は曲げずにいるのが正解だったかなぁと、自分とヒューバートさんの不釣り合いに嘆いていたものだから問いかけに適当な返事をして、おかげで何故かソファーでべったりひっついて座っているというこの現状。


「ち、近すぎませんかっ」

「遠いくらいです。ずっと私は都さんに近づかないよう我慢していたんですよ?本当はずっと、抱きしめていたいのに」


 手を繋いで横に座っているだけで我慢しているんだと主張するものだから、これ以上しないならとうっかりそれを許してしまう。

 いえ、基本は恋人同士、です。くっついたばっかりとはいえ、きちんとお付き合いしている男女です。抱き合おうがそれ以上のことをしようがおかしくないって事はわかってる。わかっているけれど、馴れない自分がそれを許せない。

 そんなわけで自分を抑えてくれているらしいヒューバートさんに心の中で感謝しつつ、それにしたってこの人、来はいいけどその後どうする気なんだろうと心配になってしまう。

 まさかまたタクシーで帰るとか?それしかないよね、電車動いてないんだし。

 そう聞くと、彼は少しだけ眉間に皺を寄せて不機嫌を表して見せた。


「やっと会えたのに、都さんは私が帰る心配しかしないんですか?逢えて嬉しいと、抱いてはくれないんですか」

「え、やぁ、抱くって表現は違う気がします。抱きしめるが正しいんじゃないでしょうか。どっちにしろ初心者には酷く難しい事です。なにしろいきなり来られた時点で、心の準備が不十分なので」


 嬉しくないわけじゃない。しばらく会話らしい会話のできなかった相手が隣にいて、しかもそれが好きな人なら尚更。

 でも、だからこそ翌日には完璧に綺麗に着飾った自分で逢いたかったというか、少しは体裁を整えたかったというか。

 ともかく、こんなオフです!って仕様はもっと深いお付き合いをし始めた頃に見せるものじゃないかと、思うんだけど。

 けれどわたしのつたない説明ではそんな細かい気持ちまで伝わるわけがなく、ますます不機嫌に顔を歪めたヒューバートさんは、早速約束を破ってぎゅっとわたしを抱きしめる。


「言葉の間違いなど、どうでもいいのです。好きなら、逢いたいでしょう?好きなら、抱きしめたいでしょう?好きなら、キスしたいでしょう?」

「ず…んっ」


 随分、性急ですねと、恋愛スキルが低すぎるわたしが抗議しようと思った唇は、キスでふさがれた。

 押しつけ、啄む、それ以上は進まないとても軽いキスだったけれど、わたしの頭が逆上せるには十分な効力があって、直ぐに離れていく緑の瞳から目が離せなくなる。


「私の気持ちの方が、都さんより大きい気がします」


 ぽつりと零された苦笑交じりの呟きに、反論しようとしてできなかった。

 きっとそうなのだろうと、気付かされたから。

 偏見にも人種差別にも取れるわたしの態度にもめげず、好きだと言い続けてくれたヒューバートさんの好きは重い。

 つい最近自分の気持ちに気付いて、戸惑いながら恋を始めたばかりのわたしなんかより、ずっとずっと重い。

 でも、それでも。


「ゆっくり追いつくので、待っていてくれますか?」


 知らぬ間に気持ちは育っていくのだと、もう覚えてしまったから。

 お願いすると微笑んだヒューバートさんは、できるだけ早くお願いしますと、再びキスをくれた。





お付き合い、ありがとうございました。

できるなら後1話、ヒューバートサイドを書けたらと思いますが、いったん完結とさせていただきます。

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