第二十五話:双花の通信録
——グランツェリア帝国、皇宮——
夜が来た。
マリンは執務室の机に座って、魔導通信の筆を手に取った。帝都の夜は、王都より少し早く暗くなる。窓の外に、帝都の灯りが広がっていた。
半年前、この部屋に初めて通された夜のことを思い出した。知らない場所で、知らない人たちの中で、竜の姫として、帝国の皇妃として、どうやっていけばいいのか分からなかった夜。
あの夜から、ずいぶん遠くに来た。
筆を走らせた。
——シズク。今夜も通信する。元気にしてる?——
——竜の国、王宮——
シズクは自室の窓際に座っていた。
帝都から帰ってきて、3日が経った。
宰相ユリウスは書類の山に戻っていた。
軍総司令シリウスは部隊の再編を始めていた。
そして、表向きの王であるライオスは各地の領主への書状を書いていた。
日常が、元の速度で回り始めていた。
魔導通信が、かすかに光った。
——元気にしてる。貴方は?——
——元気よ。今日はレオンと夕食を食べた。グラタンが美味しかった——
——グラタン!?——
——なんとレオン様が作ったの。意外と料理ができるのよ——
——知らなかった……——
——私も知らなかった。隠してたみたい——
◇◆◇◆◇
——竜の国、王宮・執務室——
その頃、同じ王宮の別の場所では。
「ライオス様、この書状はいつ確認していただけますか。辺境の領主への返答期限が明後日です」
「分かってる。後でやる」
「昨日も後でとおっしゃいました」
「だから、もう少し後でやる」
「ライオス様」とユリウスは言った。
「だから言いましたよね。帝都出発前に片付けておきましょうと。あの時、後でいいと——」
「うるさい!」
「……かしこまりました。では明日の朝、起きた瞬間に机の上に積んでおきます」
「やめろーーーーー!!!」
「ではいつやりますか?」
ライオスは少し間を置いた。「……今やる」
「ご英断です」とユリウスは言った。
すでに書類の束を差し出していた。
——竜の国、王宮・設計室——
ソイルが大きな紙を広げていた。設計図だった。
「ここに、ユニゾンブレスの練習ができる空間を作るのですわ!」とソイルは独り言のように言った。
「完全竜化しても大丈夫なくらい広くて、魔力を吸収する素材を使って、周囲への影響を最小限にする。次に私が抜けることはないから」
誰もいない部屋で、ソイルは設計図に線を引き続けた。
「絶対に、次は入る!! わたしはみんなのお姉さんなんだから!!」
——竜の国、シリウス邸——
「ふう、今日は早く帰れたな」とシリウスは言った。
「珍しい」とノアは言った。
「部隊の再編が思ったより早く終わったんだ」
「そう。この前から悩んでいた件ね?」
「そうそう。やっと週末はゆっくりできそうだ……」
しばらく沈黙があった。2人で、窓の外の夜を見ていた。
「ノア」
「なぁに?」
「今回、よく頑張ったな」
「当然のことをしただけ」とノアは言った。でも、少し間を置いてから続けた。「母上に近づけた気がした。ほんの少しだけ、だけどね」
シリウスは何も言わなかった。でも、ノアの手に自分の手を重ねた。
「……ほんの少しじゃない。俺はちゃんと見てたよ」
——帝国から王都への帰路——
「クロノス、ねえ、クロノス」
「……なんだよ」
「今日も無口だね」
「……ああ」
「それだけ?」
「……それだけ」
リベルは顎に手を当て少し考えた。
「じゃあ質問。今回の件で、一番大変だったことは?」
クロノスは少し間を置いた。「……礼服を着たこと」
リベルは吹き出した。「そっちかーーー!」
「……動きにくかった」
「でも、また着る機会があるよ、きっと」
「……ない方がいい」
「そうはいかないよ、竜の国の高官なんだから」とリベルは言った。
「あ、私が選んであげようか。もっと動きやすいやつ」
「……頼む」
「え、本当に頼むの!?」
「……うん」
リベルは少し嬉しそうにした。
「分かった。任せて。クロノスをもっとかっこよくしちゃうんだから!!」
——それぞれの場所で——
ミスティはどこかの街角で、見知らぬ客に占いをしていた。眼鏡の奥の目が、静かに遠くを見ていた。次に何が来るか、もう見えていた。でも、それはまだ言わなくていい。
グラウンドは辺境の外れの食堂で、地脈データの書類を片手に、名前も知らない郷土料理を食べていた。「うまい」と言って、もう一杯頼んだ。それから、書類に何かを書き込んだ。
アルテミスは神殿の屋根の上に座って、星を見ていた。あの夜明けに見た空と、今夜の星空が重なった。力がなくても祈れることを、あの夜知った。それで十分だった。
◇◆◇◆◇
——竜の国、王宮——
——ねえシズク。あの夜のこと、覚えてる? 六元ユニゾンの時——
——覚えてる——
——私ね、竜化する直前まで怖かった——
——知ってた——
——知ってたの?——
——見てたから。でも、やった——
——やったわ。レオンが見てくれてたから——
シズクはその言葉を読んで、少し息をついた。あの2秒間。レオンがマリンを見た、あの2秒間がなければ、何かが違っていたかもしれない。
——あんたのお相手、レオン様で本当によかったわね——
——……また、その話?——
——違う。本当にそう思ってる——
しばらく間があった。
——ありがとう、シズク——
——ねえシズク。父上と母様たちは、こういう通信してたと思う?——
シズクは少し考えた。
アクア母様は父様に通信したいだろうが、おそらくそれどころではない。
まず、レヴィア母様が「私が先」と割り込んでくるはずだ。で、テラ母様が「ずるい」と言う。ルーナ母様が聖女の穏やかな笑顔で「皆さん、順番に」と言いながら、実は一番乗りを狙っている。
セフィラ母様が飄々と「私は後でいいわ」と言いつつ、隙を見て送ってくる。ヴァルキリア母様が「くだらない」と言いながら、結局誰より長い通信を送ってくるだろう。
その全員の間で、父上がどこかで本を読もうとして、誰かに邪魔されている。
——してないと思う。父上が通信しようとしても、母様たちが全員割り込んでくるから——
マリンから返事が来るまで、少し間があった。
——……目に浮かぶわ。父上が気の毒すぎる——
——でも、嫌がってないと思う——
——そうね。あの人はそういう人——
2人で笑っているような気がした。場所は違うのに、同じことを思って笑っている。
——でも——
とシズクは書いた。
——父上と母様が作った世界があったから、私たちがいる——
しばらく間があった。
——そうね——とマリンから返ってきた。——受け継いだものを、ちゃんと次に渡せたかな——
——渡せた——
とシズクは書いた。迷わずに。
——あの夜、帝国の民衆が『ありがとう』と言った。それが全部よ——
◇◆◇◆◇
——帝国、皇宮——
マリンは通信の紙を見た。
「ありがとう」という声が、また耳の中に響いた。
1人の声が、2人になり、3人になり、重なっていった。恐怖ではなく、感謝だった。
——ねぇ、来月、会いに行っていい?——
——いつでもいいわよ——
——待ってる?——
——待ってる——
マリンは筆を置いた。
扉が開いた。「マリン」とレオンが言った。「遅い。何をしている」
「通信してた」
「シズク王妃か」
「そう」とマリンは言った。「大事な話をしてた」
「大事な話?」
「うん。双子にしか分からない話」
レオンは少し間を置いた。
「……そうか」
「もう寝るわ」
マリンは立ち上がって、窓の外をもう一度見た。
眼下に帝都の夜が広がっていた。
この街の日常の中に、自分はいる。
竜の姫として、帝国の皇妃として。どちらでもなく、どちらでもある。
——シズク。今夜はここまで。おやすみ——
◇◆◇◆◇
——竜の国、王宮——
——おやすみ、マリン。また明日——
シズクは筆を置いた。魔導通信の光が、静かに消えた。
窓の外に、王都の夜が広がっていた。
星が出ていた。
帝都より、王都の方が星が多い。空が広いからだ。
戴冠式の夜、母のアクアがシズクを中庭に呼んだ。
最後の責任を負うのが正妃である私だ——その覚悟を渡された夜。あの夜の星空が、今夜の星空と重なった。
扉が開いた。ライオスが入ってきた。
「まだ起きてたのか?」
「今終わった」
「マリンか?」
「そう。いつもの通信よ」
「いつも長いな」
「大事な話がたくさんあるから」
ライオスは部屋に入って、シズクの隣に座った。
そして、窓の外の星を少し見た。
「次は何が来ると思う?」
「グラウンドが何かを見つける」とシズクは言った。「それが次の課題だと思う」
「また大変なことになるかもしれないな」
「なるかもしれない。でも——」
窓の外の星を見た。
「なっても、大丈夫。全員いるから」
ライオスは何も言わなかった。
そして、シズクの肩に手を置いた。
王都の夜は、静かだった。
双花の通信録は、今夜も続いていた。この先も、ずっと——全員の物語が続く限り。
【完】
――本編『竜の姫と絆のユニゾン』第百九十九話へ続く
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本話をもって「竜の姫と絆のユニゾン」は本編と外伝すべて一段落となります。約300話の連載にお付き合いいただきありがとうございました。
実は、まだ別の作品とブリッジしていく外伝⑥が存在するのすが、公開はもう少し先になりそうです。




