逃げないという選択
沈黙は、思った以上に長く続いていた。
歩く距離。
並ぶ肩。
影だけが、夕暮れの石畳に伸びていく。
何も変わっていないようで、
確実に、何かがずれている。
(……このままじゃ、だめ)
胸の奥が、じん、と鈍く痛む。
ベルンハルトの沈黙を思い出すたび、
何も言わなかった自分を、何度も責めた。
足を止めたのは、
学園の外れ、低い塀の影に夕陽が落ち始めた頃だった。
「……ベルンハルト」
呼ぶと、彼はすぐに足を止めた。
振り返る動作は静かで、慎重で。
でも、逃げる気配はない。
「どうした」
声は落ち着いている。
けれど、その奥に張りつめたものがあるのが分かる。
私は、深く息を吸った。
逃げない。
今日は、逃げない。
「……私、ちゃんと話したい」
喉が震える。
それでも、目を逸らさない。
「黙るのも、誤魔化すのも……もう、しない」
彼の視線が、私に定まる。
瞳の奥が、わずかに揺れた。
一歩、近づく。
体温が、伝わる距離。
「私、ベルンハルトが好き」
言葉にすると、胸が熱くなる。
怖さと一緒に、確かなものが湧いてくる。
「怖いの。
近づくのも、触れられるのも……時々、逃げたくなる」
正直に言った。
取り繕わない。
「でも、それでも……逃げたくない」
彼の息が、わずかに詰まるのが分かった。
「あなたの前から、消えたくない」
指先が、ぎゅっと握られる。
自分の手が震えているのが分かる。
「触れていい。
離れなくていい」
言い切るのは、勇気が要った。
それでも、言わなきゃ伝わらない。
「ただ……優しくして。
壊れるくらい、強くじゃなくて……」
ベルンハルトの手が、ゆっくりと伸びた。
髪に触れる。
頬に触れる。
指先が、確かめるように額をなぞる。
逃げない。
目を閉じない。
彼の体温が近づき、
影が、私の影に重なる。
「……カレン」
名前を呼ばれただけで、胸がきゅっと縮む。
抱き締められる。
両腕が、背中と腰を包み込む。
強すぎない。
でも、離す気もない。
吐息が、首筋にかかる。
それだけで、心臓が早鐘を打つ。
(……ああ)
怖い。
でも、嫌じゃない。
むしろ――
ここにいると、はっきり分かる。
私は、彼の胸元に額を預けた。
「……逃げないって、決めたから」
小さな声。
でも、嘘じゃない。
ベルンハルトの腕に、力がこもる。
一瞬、ためらいが伝わって、
それから――離さない、と分かる力に変わった。
夕暮れの中、
二人の影は、ぴたりと重なったまま、動かなかった。




