99話
アイカが再び公爵邸別邸を訪れるようになってからは、以前のように穏やかな日々が戻って来た。
庭師のトマスが運んでくれた朝食を取ったのち、彼女は温室から出て庭園を散歩しながら屋敷に向かう。そのあとは、マリーナの話し相手になったり、厨房で料理を教えたり、洗濯物がはためく音を子守歌がわりにお昼寝したりと、平和に過ごしていた。
以前と少しだけ違うのは、オルトランとレイザックが公爵家の本邸から生活拠点を別邸に移した事だ。
オルトランは旅から戻った事を国王に報告すると、引き続き病状がかんばしくないマリーナを看病するために屋敷に引きこもると周囲に宣言し、その言葉通り、日々のほとんどを別邸で過ごしている。たまに外出する時は、精霊教会と聖女の企みを暴くため、各方面に調整や指示出しをしているらしい。
宰相であるレイザックも、マリーナの看病と自身も過労気味である事を理由にして、別邸で仕事をする事が多くなった。彼が登城するのは、急に彼自身の決裁が必要になった時や会議の時くらいで、自分以外の者でもこなせるような案件は全て部下に振り分けている。
もちろん、大臣たちの中には毎日登城しないレイザックを批判する者もいたが、彼の仕事ぶりは以前と全く変わらず完璧であったため、すぐに文句を言う者はいなくなった。
マリーナの話では、レイザックが別邸に留まったままでも公務ができるよう、こっそりオルトランが大臣たちの屋敷に足を運んで根回ししていたらしい。
「あの人ったら、いつもニコニコ笑って対立する相手の敵対心を削ぎ落して味方につけてしまうのよ。だからついたあだ名は〈陽だまりの宰相〉。ふふ、〈氷の宰相〉の異名をもつ息子と正反対なのが面白いわよねえ」
ころころと笑うマリーナを見て、向かいに座ってカップに口をつけていたレイザックが苦笑している。
(陽だまりって──ふふ、確かにオルトランさんにぴったりの異名かも)
近くのソファの下で話を聞いていたアイカも、思わず納得して笑みをこぼす。
「まあおかげで、こうしてそばでアイカを守る事が出来るので、父上には感謝しています」
自他ともに認める猫嫌いだったレイザックは、アイカとの対話によって過去と向き合えた事により、今では完全に猫嫌いを克服していた。
元々は猫好きであったのにもかかわらず、事件のせいで長い間猫を避けていた反動からか、以前にもまして猫大好き人間になってしまった彼は、今ではアイカの姿が見えないと心配のあまり仕事が手につかなくなっていた。
レイザック本人は、保護対象であるからには常に視界に入れておく必要がある、ともっともらしい事を言っているが、彼が子猫姿のアイカを見つめる目は、明らかに保護対象ではなく愛玩動物を見る時のそれなので、屋敷の者は誰一人として彼の主張を信じていない。
一方アイカはというと、以前公爵家の本邸で保護されていた時の塩対応が嘘だったかのように、あからさまに好意を寄せてくるようになったレイザックを警戒し、当初は同じ部屋に彼が入ってくると、即座に物陰に姿を隠したまま出てこようとしなかった。
(私を見るたびに、宰相様が興奮して落ち着きが無くなるのは何故なのかしら?あの様子を見ていると何だかこちらまで落ち着かなくなって、つい反射的に逃げてしまいたくなる‥‥‥)
それは単に、大の猫好きに戻ったレイザックが、彼女の子猫姿の可愛らしさに喜びを抑えられなくなっているだけなのだが、それがわからないアイカにとっては、彼の挙動が突然おかしくなったようにしか見えなかった。
しかも以前までは、〈氷の宰相〉という異名に違わぬ冷徹な姿を見ていただけに、彼のあまりの変貌ぶりは彼女の戸惑いに拍車をかけていた。
『僕の契約者が気持ち悪くてごめんなさいなの』
『ほんと、それなー』
『ねこまっしぐらー』
『残念男子ー』
『群がってくる令嬢たちに、あの真実の姿を見せればいいと思うよー』
『だよねー。きっと幻滅されること間違いなしー』
『そしたら言い寄られなくなるー』
自分の契約精霊のキールだけでなく、周囲に漂う精霊たちからも散々な言われようのレイザックは、屋敷にいる者たちの中で自分だけが出会い頭にアイカから逃げられている事を知ると、だんだん萎れていった。
(´・ω・`)




