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子猫になった気弱魔導士は猫嫌いの氷の宰相に愛される  作者: はんぺん


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60/200

60話

 その不可解な出来事は何の前触れもなく起こった。


 まだ夜が明けてから間もない頃、朝食を終えた執事のクラウスが、書類仕事を片付けるために執務室に向かっていた時、一階の廊下の奥から、何かがぶつかるような音と共に金切り声が聞こえてきた。


(マリーナ様の部屋の方から悲鳴が?!)


 驚いた彼が音のした方に駆けつけるとそこには、朝食を載せたトレイをぶちまけて、放心したまま壁を背にして座り込むドロレスの姿があった。


「ドロレス、これは一体どうしたのですか?」

「わ、わかりません。マリーナ様にお食事をお持ちしようと、扉を開けて部屋に入ろうとしたら、急に体が弾かれて──」

「あなたは何を言っているのです?」


 開け放たれたままの扉に目を向けたが、特に異常は見受けられない。


「なにもおかしな所はないようだが‥‥‥」

「でも、本当なんです!私が部屋に入ろうとしたら、何か壁のようなものがあって、ぶつかった弾みで後ろに倒れ込んだんですっ!」

「ふむ。では私が試してみましょう」


 クラウスはおもむろに部屋に近づくと、阻むものがあるかどうかを確かめるべく、室内に手を伸ばす。だが、何かに弾かれるような感覚はない。


(特に変わった事は何もないようだが)


 念のため、ゆっくりと室内に足を踏み入れてみたが、何の問題もなく入室できた。ベッドに目を向けると、静かに眠っているマリーナの姿が見え、この騒ぎで彼女の眠りが妨げられなかった事に安堵する。


 彼は女主人を起こさぬよう、静かに部屋を出ると、(いぶか)し気にドロレスを見た。


「見ての通り、何も変わった事はないようですが。あなたが寝ぼけていたのではないですか?」

「そ、そんなはずは‥‥‥!」


 その後、遅れて駆けつけた若い侍従やメイドたちにも試させたが、彼らもクラウスと同様に何の問題もなくマリーナの部屋に出入りする事ができた。


「嘘よ!だって、さっきは確かに──」

「ふむ。納得がいかないのなら、もう一度試してみたらどうだね?」

「わかりました‥‥‥」


 ドロレスは、のろのろと立ち上がると、おそるおそる震える右手を部屋の中へと伸ばそうとして――


「ぎゃっ!」


 途端に醜い悲鳴を上げ、よろめいた拍子に、放置されていたワゴンのそばで尻もちをついた。


「い、いたいぃぃぃ‥‥‥わたしの手がぁ‥‥‥」


 周りにいた者が急いで彼女を助け起こすと、醜く泣きじゃくる彼女の右手はやけどを負ったように真っ赤になっていた。


「これは一体どういう事なのだ?」


 すぐそばにいたクラウスの目には、室内に伸ばしたドロレスの手は、まるで電流に触れて弾かれたように見えた。


 医者を呼んでドロレスを治療させるようメイドに命じた後、彼は屋敷中の使用人たちを全員集めて、マリーナの部屋に出入りできるかどうかを試させた。その結果、部屋に入れなくなったのは、マリーナ付の侍女であるドロレスだけである事が分かった。


(旦那様の留守中に、まさかこのような異常事態が起こるとは)


 クラウスは緊急措置として、つい最近メイド長に昇格したシェリーをマリーナ付にして世話を任せることにした。


(細かい気配りができて、真面目な彼女ならきっと大丈夫だろう)


 果たしてシェリーは、そんな彼の期待にしっかりと応えてくれた。


「マリーナ様が、久しぶりにスープ以外のお料理も口にして下さいました!」


 朝食の給仕を終えた彼女が嬉し涙を流しながら報告してきた時、クラウスは自分の判断が間違っていなかった事に安堵した。

ご覧いただきありがとうございます!

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