41話
(やっぱり、まだ猫のままなのね‥‥‥)
ロイスレント公爵家に連れてこられた日の翌朝。
眠りから目覚めてすぐアイカの視界に入って来たのは、自分が入れられていた籠と、黒いふわふわの毛と桃色の肉球がついた小さな前足だった。
彼女は小さくため息をつくと、ふかふかの天蓋付きベッドの上で、のろのろと体を起こした。
(子猫一匹が過ごすにしては、ずいぶんと広すぎる部屋ね)
彼女にあてがわれたのはレイザックの居室がある三階の客室で、クリーム色の壁紙とカーテンの他に、素朴だが質の良い調度品が備え付けられており、ベッドのそばにある大きな窓の外からは、絶え間なく小鳥たちのさえずりが聞こえている。
(これからどうしようかしら)
この屋敷の主であるレイザックからは、部屋で大人しくしていろとクギを刺されてしまったが、聖女が襲撃事件に関わっている事や、フシュメルリの杖を使っている事を知るのは自分だけなのだ。やはり何とかしてこの国の宰相であるレイザックにその事を知らせたい。
(でも、不用意に近づくなと言われてしまったし‥‥‥。一体どうしたらいいのかしら)
しばらくの間悩んでいたが結局良い方法は思いつかず、アイカは深いため息をついた。
(こうしていても仕方がないわ。とりあえずベッドから降りましょう)
慣れない感覚に戸惑いながらも、なんとか四つ足で立ち上がると、きゅるると腹の虫が鳴いた。
(そういえば、昨日は夕食もとらずに寝てしまったのだわ)
この部屋のベッドの枕元の上に籠を下ろしてくれた家令が、夕食をお持ちします、と言い残して部屋を出て行った後、少しだけ休もうと籠から出てベッドの上で横になった事までは覚えている。だが、そこからの記憶が全く無かった。
禁忌魔法をかけられた事で消耗していた上、緊張と疲れも重なって既に体は限界だったのだろう。アイカは意識を刈り取られたように、ぐっすりと眠り込んでしまったのだ。
(きっと夕食を届けてくださった方は呆れたでしょうね。これからお世話になるというのに、ご挨拶もせずに遠慮もなく眠り込んでしまうだなんて)
恥ずかしさのあまり、小さな前足で顔を覆って大きなベッドの上で伏せていると、コンコンと扉が叩かれる音がした。
『はい、どうぞ』
慌てて声を上げると、開いた扉から家政婦長のイライザが入ってきた。
「アイカ様、もうお目覚めでいらっしゃいましたか?」
『はい。昨日はご挨拶もせずに眠り込んでしまい、申し訳ありませんでした』
みゃうみゃうと律儀に返事をしてくる子猫に、彼女は一瞬とまどったような視線を向けた。
「空腹でいらっしゃるかと思い、朝食をお持ちいたしました」
だが、すぐに何事もなかったかのように平静な顔に戻ったイライザは、アイカがベッドから飛び移りやすいようにと、すぐ近くに設置された一枚板のテーブルの上に、次々に料理を並べていった。
『ありがとうございます』
「ではごゆっくりお召し上がりください」
『あ、あの!私、どうしてもお話したい事があって、宰相様にお会いしたいのですが』
食事の支度を終えて立ち去ろうとしたイライザを、アイカは慌てて呼び止めた。鳴き声に気づいて彼女は振り返ってくれたが、その表情には、はっきりと困惑の色が浮かんでいた。
「申し訳ございません、アイカ様。私にはあなた様が何をおっしゃっているのか、わかりかねます。どうかご容赦くださいませ」
イライザはそう言って深くお辞儀をすると、逃げる様に部屋から出て行ってしまった。
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