20話
(いけない、ここから早く逃げなくては)
本能的に身の危険を感じたアイカは、すぐさま身をひるがえすと、図書館の出口へと向かって走り出した。
(早く誰かにこの事を知らせて、助けを――)
だが、長い通路は自分が走る足音が響くだけで、人の気配が全くしない。モルドが一時的に図書館を立ち入り禁止にした事が、今は完全に裏目に出ていた。
そばにいる精霊たちはしきりに後ろを気にしているが、杖の効果によって意識を支配されている様子はなく、今のところは無事であるようだ。
その事に安堵しながらなおも逃げる彼女の脳裏に、不意に疑問が湧き上がる。
(そういえば、この建物は立ち入り禁止になっていたのに、あの人はどうして入れたの?)
モルドやレイザックたちが出て行った時に、入れ替わりで入館したのだろうか。だとしても、館内には持ち出しが禁止されている貴重な蔵書もあるため、部外者を入れる際は必ず学院の者が付き添っているはずである。
(やっぱりおかしいわ。彼女は案内の人とはぐれたと言っていたけれど、学院の人なら部外者から目を離して一人にするわけがないもの。でも、それなら誰かが入口をあけて彼女をこの建物に入れたということに――)
それはつまり、この学院内にエリアナを手引きした者がいるという事だ。
(まさか、彼女に味方する魔導士がこの学院に?それなら、なおさら早く誰かに――学院長に知らせないと!)
通路の突き当たりの角を曲がり、ようやく一階へ下りる大階段に辿り着いたアイカは、そのまま急いで階段を駆け下りようとした。
だがその時、精霊が彼女に警告を発した。
『あいか、追いつかれた!』
「逃がさないわ」
背後から冷たい声が聞こえたのと、風魔法による突風が彼女の背中に叩きつけられたのは、ほとんど同時だった。
「あっ‥‥‥!」
階段の上から大きく押し出されるようにして、小柄な体が宙に浮く。まだ階下まではかなりの高さがある。このまま受け身をとれずに床に叩きつけられれば、間違いなく無事では済まない。
アイカを風魔法で突き落とした聖女エリアナは、憎い相手が床に叩きつけられて息絶える姿を想像して、醜悪な笑みを浮かべていた。
「わたくしのものを奪おうとしたのだから、報いを受けるのは当然の――キャアッ!!」
だが次の瞬間、通路の壁に叩きつけられて悲鳴をあげたのは、エリアナのほうだった。
『あいつ、あいかのこと、殺そうとしたー』
『許さないー』
「みんな!」
それは、アイカを害そうとした彼女に怒った精霊たちの仕業だった。杖に意識を支配されるかもしれない危険を冒してまで、アイカを守るために助力してくれたのだ。
エリアナが床に倒れ込んで呻いている間に、アイカは精霊たちが起こした風に運ばれて、少しもケガすることなく図書館の入口の前に着地していた
『今のうちに逃げるー』
「みんな、ありがとう!」
エリアナに襲われた時に宙に投げ出された恐怖で、体は酷く震えていたが、どうにか図書館の外へ逃げ出せたアイカは、学院長室のある研究棟を目指して駆け出した。
(聖女に捕まったら、殺される!)
先程からずっと走り通しであるため、息が切れて心臓が破裂しそうだったが、それでも彼女は立ち止まらなかった。
やっとの事で研究棟に着いてからも、彼女はよろめきながら走り続けた。その姿を見て訝しんだ魔導士たちから何度も呼び止められたが、決して助けは求めなかった。
(もしかしたら、彼らも自分を襲ってきた聖女の仲間かもしれない)
そう思うと、怖くて立ち止まれなかったのだ。
(早く、早く学院長を見つけないと)
焦りつつ魔導学院長のモルドを探すが、とうとう見つからないまま、最上階まで来てしまう。
すでに体力は限界で足元もおぼつかない。もし精霊たちが魔法で体を支えていてくれなければ、とっくに倒れていただろう。
彼女は荒い息のまま、モルドにもらった許可証を扉にかざして中に足を踏み入れた。




