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15-2:香に青ざむハヤテ

 入り組んだ路地を歩いていると、毛色の一風変わった怪しげな小路にいき当たった。建物の影が落ちて暗いのに加え、建物の外観や軒先に出ている人の雰囲気が陰にこもっていて、立ち寄りがたい空気が漂っている。


「競技場や遊郭にかすんでしまいがちじゃが」リャムが引きつづき案内する。「密かに有名なのがここ、通称『別世界通り』。占い、託宣、催眠術、まじない等々、目に見えん超自然的な商売が集結しとる」


 やっぱりそういう特殊な区域か。


「インチキくせえ通りか」ハヤテが直言した。


「インチキもいるでしょうけど高名な専門家もそろってるみたいですき。どうです。兄貴らが神に会えるかどうか占ってみては」


「くだらねえ。カネのむだだ」()()()拒み方をするハヤテ。


「おれはちょっとやりたい気持ちもあるな。おれたちの正体を見抜けるのかどうか試してみるのもおもしろいし」


 ハヤテの目線が少し下に落ちた。何かを考えている様子に、おれはハッとした。正体といえば、ハヤテは本体が明らかになってない。仮に、もし仮に占い師が有能だとして。おれたちが化体族であると見破った上でハヤテの本体がどっちなのか言明したら……危険だ。本当に合ってるかどうかもわからないのにハヤテの心をいたずらに乱してしまう。そんな可能性があるなら占いなんて避けるべきだ。


「出身地が見破られたら見破られたで面倒だからやめとこう」


「いや、いく」おれの提案をハヤテが退けた。


 いく気になってしまったか……。おれが今思いついたような可能性は、ハヤテ本人だって当然思いついているはずだ。それでいくっていうなら……「知る」ことにびびりたくないっていう、ハヤテの負けず嫌いな部分が出ちゃったのかもしれないな。


「いってもいい……のかな」おれは独りごちた。


「こんなのは遊びじゃ、気楽にいったらいいんじゃ。有名な占い師は奥のほうですけえ」


 リャムを先頭に妖しい小路へと入り込む。大丈夫だよな。そんな都合よくハヤテの本体に言及する人なんかに出会わないよな。


 小路に足を踏み入れて早々、向こう側から歩いてくる若い男と中年の女性が目についた。おそらくは母と子。おれと母さんぐらいの年齢だろう。母親らしき女性は息子らしき男の体に腕を回し、男を支えるようにして歩いている。男は一点を見つめてぶつぶつと何かつぶやいている。目を合わせないようにしてすれちがった。彼らが通り過ぎるときに「俺はできる俺はできる俺はできる」と呪文のごとく繰り返していると知った。


「こういう場所でインチキな店をつかみたくなければ」リャムが異常な男など見なかったような体でしゃべる。「看板や貼り紙を指標にするといいですけえ。本当にいいところは客が客を呼ぶから、でかでかと存在を目立たせる必要がない」


「なるほどね。……貼り紙だらけの店が多いな」


 たまに食堂や宿屋が場ちがいのように交じっているけれど、ほとんどが実用性のない超自然的なものを商売にしている。特に占いの店が多い。


 お。少し先に看板も貼り紙もない平屋を発見した。人気の店なのかな。でも看板すらないんじゃなんの商売してるのか、そもそも商売してるのかすらもわからないな。――窓が開いている。通りがけにおれはちらっとのぞいた。机と椅子とベッドが見えたのと同時に、甘ったるさの中にすんと()く刺激が混じってるような今まで嗅いだことのないにおいが鼻に届いた。


「何か独特な香りがするなあ」


「ああ。これは(こう)の一種で、――じゃ」


 リャムの発言が流れ出ていった。ハヤテが手で口を押さえているのが視界に入り、そっちに意識を奪われてしまったからだ。


「ハヤテ? どうかしたか」


 ハヤテは身をひるがえして走りだした。


「おいハヤテ!」


 脇目も振らずに引き返していく。おれは追いかける。何が起きたんだ。


 ハヤテは小路から出たところで足を止めた。右手を頭に、左手を腹部にあてている。


「急にどうした。どこか痛いのか」


「気分がわりい」


 どきりとした。顔の血の気が引いている。おれはハヤテの背中をさすった。


「兄貴はあの香りがだめなようじゃね」少し遅れてやってきたリャムがいった。「好みがあるけえね。こういう商売ではテンメコウを使うことがよくあるけえ、別世界通りには入らんほうがいいみたいじゃね」


 そういえばさっき聞き流したのはテンメコウとかいう単語だった。


「リャム。テンメコウって?」


「人を惑わす作用があるとされとる香じゃ。催淫剤のように使う色好みもおる。どっちみち表で味わう香ではないけえ。()()()でも使ったように人の心を操るから天目香(てんめこう)っちゅう名前だとか」


 ハヤテは深呼吸をしたのち、両手を頭と腹から離して肩の力を抜いた。


「大丈夫か」


「ああ」


「あの香りで具合が悪くなったのか?」


「たぶんな」


 家の中からふわっと漂ってきただけなのに逃げ出すほど不快に感じるなんて。


「あの香り、毒性でもあるのか」おれはリャムに尋ねた。


「そんなことはないけえ。雰囲気を高めるだけの香であって、害があるなんて話は聞いたためしがないっちゃね。やっぱり好みの問題じゃろうね」


「そうなのか……」


 今までハヤテが何かのにおいを取り分け嫌うことってなかったのにな。紅茶と甘い物がそんなに好きじゃないハヤテだけど、それらのにおいだって嗅いだところで気分が悪くなることはないし、ましてや逃げだすほどに取り乱すなんてことは今まで一度もなかった。でもさっきの場所を離れたらよくなったみたいだから「天目香」の香り以外に原因は考えられないよな。


「一休みしたほうがいいですけえ。冷えた飲み物が飲めるところにでもいきましょう」


 リャムの提案におれたち二人は乗った。




 表通りの茶房に入った。


 店の中では複数の弦楽器の演奏がおこなわれている。テーブルが二十脚ほどあり、一つ一つのテーブルの間隔が広い。


「ほかの客の声は音楽にかき消されて聞こえん。他人に話を聞かれたくないときにこういう店を使うんじゃ」リャムが若干声を張って教えてくれた。


 効果はあるようだ。隣のテーブルで楽しそうにおしゃべりしている男女がいるが、何について話しているのかはさっぱりわからない。


「くせ者の多いハーメットならではだな」おれの隣に座るハヤテは片肘をテーブルにつき、体を横に向けた状態で足を組んでいる。


 ハヤテはすっかり調子を取り戻した。結局占いには立ち寄らずに終わった。つまりこれは今はハヤテの本体について知ろうとする時機ではないってことなのかもしれない。うん、そういうことだろう。ハヤテの本体がどっちなのかは、人間になるその日まで知らないほうがいいんだ。


 注文していた飲み物が運ばれてきた。おれとハヤテはレモン水、リャムは数種類の果物を絞った液体の中に果物の実が入っているという見た目が派手な飲み物。


「リャムはハーメット出身ではないんだろ」おれは一口飲んでから話題を振った。


「よくわかったの」


「その方言を耳にすりゃだれでも予想がつくよ」


「いかにも。うらの故郷は西南部にあるラズ領じゃ」


「どうしてハーメットにやってきたんだ?」


 リャムは濃い橙色の液体を飲みながら「ん」と返事をし、グラスを口から離してぺろりと唇を舐めた。女の人がやれば色っぽい仕草だな。


「ラズ領は一部の金持ちを除いては貧苦に喘ぐ地域が多い。うらも貧しい村で生まれ育った。領内にいたって夢も希望もないけえ。うらと一緒に行動していた髪の長い男がおるじゃろ」といって、リャムはつむじのあたりに握り拳を置いた。福耳団の総髪男のことだ。「ソドキっちゅう名前なんじゃが、あいつは三つ年上の幼馴染での。功を成し遂げようってんで五年前に一緒にラズ領を飛び出したんじゃ。最初は大公の御殿まで仕事を求めにいったがまったく相手にされんかった。都やその周辺の領に逗留したこともあったがどうも反りが合わんくての。流れ流れてハーメット領にいき着き、福耳団に加入することになったっちゅうわけじゃ」


「他人からカネを巻き上げるのがお前が成し遂げたかったことなのか」ハヤテがずばりと切り込んだ。


「耳が痛いですき」と、リャムは耳ではなく頭を両手で押さえた。「福耳団は儲け主義のところがあって、一ヶ月にいくら稼げという割り当てがありました。そいつを達成するために人の道を外れる行動にも抵抗がなくなってました。でも兄貴たちの心意気に触れて、自分たちがいかにしょうもないことをしていたか実感しましたけえ。故郷を発ったときの熱い気持ちを思い出して、悪名ではなく勇名を馳せよう。って、おとついの晩にソドキと誓いました。総裁も部下たちが手荒な真似をせんよう稼ぎの割り当てをなくしましたし、まあそれは改心したというよりは兄貴と龍獣におびえての窮余の策でしょうが、しかし風向きは変わりました」


 たしかになんとなく福耳団の雰囲気が変わったかなって、昨日、本部を再び訪れてみて思った。おれたちに対して敵意を示さなくなったし、嫌な顔せずに部屋を貸してくれたし、ちょっと毒気が抜けたかなって印象を持った。まあ怖気もあるかもしれないけれど。総裁はハヤテとエデンにずっとびくびくしていた。昨日再会したときは腰を抜かしそうになっていた。一度失神させられてるんだから無理はないけどさ。


「化体族のことを訊いてもよろしいかいね」陽気で軽快な音楽が流れている中、リャムが周囲を気にしながら断りを入れてきた。


 おれは「いいよ」と返した。


「レイル島ではなんの化体が一番多いんかえ」


「なんの化体か。そうだな。ヒトの化体が一番多いってことになるのかな。島民の半分くらいがヒトの異性になり変わる。残り半分はヒト以外の動物になるんだけど、それは多種多様だ。比較的多いのは、犬、猫、馬、豚、牛あたりかな。ほかにも猿とか鹿とかウサギ、熊なんかもいる」


「じゃあ一番珍しい化体は?」


「翼竜だろ」ハヤテが即答した。


「翼竜だな」おれは同意した。


「翼竜かえ……」リャムは決まりが悪そうにいった。その翼竜を仲間が襲ったからだ。


「絶滅種の翼竜が誕生したのはすごいことだ。さらに大人にまで成長したのは奇跡みたいなものだ。一般的でない動物は育て方がわからくて、何を食すのか、逆に何を口にしちゃいけないのか、いろいろ模索しているうちにたいてい命を落としてしまうから。――翼竜以外にも、過去には研究者が目を輝かせるような珍しい動物の化体がレイル島で誕生してる。でもその動物について島民が無知だったり、島の環境に適さなかったりで、いずれも短命のうちに終わってしまったって話だ」


「なるほどのう。なんの動物を飼うにしても多少の苦労はあるのに、珍種が生まれてきてものう。ヒトが一番楽じゃの。ヒトを化体に持つ奴らは、化体族の中じゃ恵まれてるほうじゃの」


 うん。とはさすがに口に出していえないけど、そういう気持ちは正直なところある。


「化体も遺伝するんかえ」リャムは次の質問に移った。


「いや。全然関係ない。なんの化体を持った子が生まれるのか、生まれてみてからのお楽しみだ。化体族はみんな人間の姿で生まれるから、正確には次の日になってみてからのお楽しみだ」


「究極のバクチじゃの」


 おれはバクチなんて感覚はないけど、島民の中にはもしかしたらそういうふうに感じている人もいるかもしれないから否定はしなかった。


 ハヤテは体を横に向けたままレモン水をゆっくりと口に運んだ。

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