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20歳(2):この後側近に叱られた

 マーカスは仕事の休憩時間にぼんやりと机の上に置いた便箋を見つめていた。

 薄い水色の地に花模様を透かした手の込んだ美しい便箋で、マーカスが休日に街で買い求めてきた高級品だ。

 侯爵家で働くようになってからマーカスはすっかり高給取りとなり、以前なら手の届かなかったこんなお洒落な品も買えるようになった。

 その便箋を前に、マーカスは先ほどからペンを置いたきり何も書こうとはしなかった。いや、本当は書きたいことがあるのだが、ちっとも手が動かないのだ。頭の中で書きたい事がぐるぐると回るのに、それ以外の余計な事も一緒に回っていて、書きたいことが外に出てくるのをしきりに邪魔している。

 分不相応な事を書こうとしているとか、平凡で不細工なのに滑稽だとか、迷惑なだけだろうとか、釣り合わないからやめとけ、とか。

 そんなことをぐるぐると考えては、結局またせっかく買った便箋は引出しにしまわれるのだ。

 そんなことをもうマーカスは随分と長い間繰り返していた。


 そんな彼の休憩時間の悩みが途切れたのは、彼の雇い主に不意に声を掛けられたからだった。

「マーカス、ちょっといいかな」

「え、あ、はい!」

 手招かれて慌てて立ち上がり、便箋はそのままにレイルの執務机に走り寄る。

「何でしょう」

「ちょっと話があるから、隣の部屋に来てくれるか?」

「は、はい」

 レイルはどこか神妙な顔をして隣の部屋に向かい、常と違うその雰囲気にマーカスは内心でちょっとびくびくしながらその後を追った。

 小さな応接室となっている隣の部屋に入り、レイルに勧められてソファに掛ける。

 レイルも向かい側に座り、そしてしばらくの沈黙が部屋に落ちた。呼び出したものの一向に口を開こうとしないレイルにマーカスは首を傾げ、少し待ってから恐る恐る声を掛けた。


「……あの、レイル様?」

「ああ、うん……あのな、マーカス」

 レイルはいつになくそわそわと落ち着かない様子で、どこか困ったように、言い辛そうに口ごもる。

 マーカスが黙って待っていると、彼はやがてはぁと深い溜息を吐き、ぐしゃぐしゃと普段の姿に似合わぬ乱雑さで自分の頭をかき回すと、キッと顔を上げた。


「その、マーカス、君は私の妹のマリエラの事を、どう思っているだろう?」

「……うえ!?」

 今度はマーカスがおかしな声を出して固まる番だった。

 つい今さっきまで抱えていた自分の悩みを見透かされたようで、マーカスはひどく狼狽した。

「あ、あの、どうとは、その」

「いや、まぁそのまんまなんだが……そのな、ええと、まず前提として、私は別に行き遅れになりつつある妹を君に押し付けようとか、そういう事を考えている訳じゃない。それだけは、まずわかってほしい」

「いきお……」

 自分の妹に対して何気にひどい事をさらっというレイルに、マーカスは思わずぽかんと口を開けた。


「いや、まだそう呼ばれるほどの歳でもない。まだ一応適齢期の範囲内だ。それはわかっている。相手が決まっていないのだって、こちらが却下してきたからだし、本人にも少々その気が薄かっただけだ。それにマリエラは美人だし頭もいいし刺繍や編み物も売り物になるほど上手い。性格も穏やかで控えめだから、その気になれば引く手あまただろうことは間違いない。実際今も縁談は相変わらず鬱陶しいほど来ているんだ。ただそれのほとんどが家目当てのろくでもないものばかりなだけで、ほんとにこの世にはまともな男が少なくて困る、だからマリエラが行き遅れるんだ。いやいやまてまだそう呼ばれるほどの歳では……」

 かと思えば今度はいきなりの妹自慢だ。マーカスが止めないのを良い事に、レイルはぶつぶつと独り言を続けていく。しかも何気にループしている。

「あの……レイル様?」

「はっ、すまん、いやこういうのは実は苦手で……というか、妹の売り込みなんて一体どうしたらいいんだ? 普通父がやるものだと思うんだが……しかし父上にやらせたら更に圧力をかけることになるしなぁ」

 いつも完璧な貴公子に見えるレイルにも苦手なものはあったのか、とマーカスは何だかちょっと親しみを感じた。

 しかしふと気が付いてみれば何かすごい事を言われた気がする。


「妹の、売り込み……?」

「ああ、いや違うぞ! ええとな、その……こういうのを私から言うと、侯爵家の立場を使って強要するようで言い辛かったのだが……あのな、マリエラは、多分君の事が好きなのではないかと思うんだ。で、君の方は妹をどう思っているのか、結婚相手とかそういう風に見られるのかどうかを聞きたくてな」

「けっ……!?」

 ずばりと切り込まれた言葉にマーカスは瞬時に真っ赤になった。ぼふんと煙さえ出そうな赤面ぶりだ。その顔を見れば彼がマリエラの事をどう思っているのかは一目瞭然だ。その姿にレイルはほっと息を吐いた。

「うん、そうか、まぁ憎からず思っていてくれているらしいことはわかったよ」

「す、すみません、すみません!」

「謝るようなことじゃないだろう。別にいいんだ。マリエラは明らかに君の事が気に入っているしな」

 その言葉にマーカスは更に顔を赤くした。

「謝るのはこちらの方だ。私から切り出せば、君が困るだろうことも、断れないと悩むかもしれない事もわかっていた。ただ、マリエラが一向にはっきりしないし、勝手に進めれば怒られそうだし……仕方ないからもし気持ちがあるのなら、ちょっと君に頑張ってもらえないかと思ってな」

「ええと、それは一体どういう意味なんでしょう?」


 レイルの言いたいことが良くわからず、マーカスは恐る恐る問いかけた。

 レイルは立ち上がると、飾り棚の上に置いてあった革張りの冊子を手に取ってマーカスに渡した。マーカスが受け取って中を開くと、そこにはマリエラの絵姿と経歴が書いてある。要するにそれは釣り書きだった。

「これは……え、縁談ということですよね?」

「まぁ、そうだな。だが、これを渡したら君は立場上断れないだろう? だから悩んでいたんだ」

「ぼ、僕は……確かに、断れなかったと思います、けど……でも、僕は領地も持たない子爵家の三男で、侯爵家で雇って頂いている身分で、見た目が良いわけでもないし、とてもマリエラ様と釣り合うような男じゃなくて……あの、本当に僕でいいんでしょうか」

 彼女を想っても叶わないだろう、伝えても困らせるだけだろうとマーカスはずっと思っていたのだ。マリエラが自分をキラキラした瞳で見つめてくる気がするのも、きっと何かの勘違いなのだろうと。

 それでも湧いてくる気持ちをせめて紙に綴ったなら楽になるかとあの便箋を買ってみたものの、未だに何も書くことはできていない。

 レイルはそんなマーカスの悩みもわかると頷き、それから少し考え、また口を開いた。


「あのな、正直に言うと、君はマリエラが自ら興味を示した初めての男なんだよ」

「え?」

「マリエラは実はちょっと変わっていてな……興味のない人間は、顔も名前も憶えないようなところがある。どんなに相手の顔が良かろうが評判が良かろうが、そんな事は関係なくだ。そのマリエラが強い興味を示して、かつあんなに自分から寄っていく初めての男だったんだ、君は。正直、私もとても驚いた」

 レイルはそこまで語るとまた立ち上がって棚に歩み寄った。今度は何かと思えば、グラスを二つと酒瓶を持ってくる。ぎょっと目を剥くマーカスには構わず、レイルは酒を注ぐと片方のグラスを彼の前にトンと置き、自分の分をぐいと煽った。


「知っての通りマリエラは体がとにかく弱い。虚弱で、すぐに寝込むし、今でも年に一度くらいは死にかけている。だから、もともと外には嫁に出さないつもりだったんだ、父上も私も」

「はい……」

「幸いうちはずっと上り調子で、今さら余所と縁を結ばなくても充分やっていける。妹たちを駒にする必要はないし、そうなるように努力してきた。だから、できれば好きな相手と添わせてやりたいと、そう思ってきたんだ」

 そう言ってレイルは自分のグラスにまた酒を注いだ。

「君は仕事も出来るし、何より真っ直ぐで誠実な男だ。私にとってもなくてはならない側近になりつつある。安心して妹を任せられると思う。けどそれを父や私の方から直接言うと絶対マリエラに怒られると思うんだよな。権力を笠に着てこんな病弱な行き遅れを押し付けるなんて! って詰られるのが目に見えるようだ。もし泣かれたりしたらと思うとほんと辛い」

 もう酔ってきたようだ。


「だからとりあえずまず君がマリエラをどう思っているのか聞きたかったんだ。あんなにしょっちゅう傍に来られて嬉しそうに見つめられて何にも感じていないとか言ったらちょっと殴りたくなるんじゃないかなとは思ったんだけど、でもやっぱり確かめておかなければと思ってな」

 大分酔ってきている。


「そういう訳だから、君がマリエラを憎からず思っているなら、できれば君の方からマリエラにそれを一度伝えてみてくれないかなーと思って。そしたらマリエラも素直になる気が湧くかなぁとか。マリエラも絶対好きだと思うんだよなマーカスの事。何度それとなく聞いてもいっつもかわされるし、全然認めないんだけど。まぁ素直に認められてもやっぱりなんか寂しいけど、でも妹たちには幸せになってほしいし、ほんと兄って複雑だよな。でも父上の方がもっと複雑なのかな。最近マリエラと君の話をしようとすると両手で耳を塞ぐんだよあの人。子供か! って腹立つんだけどそう思わないか?」

 完全に酔っている。


「レイル様、あの、大丈夫ですか?」

 マーカスが意を決してレイルの語りを遮ると、レイルはハッとグラスから顔を上げた。

「いや、すまん。ええと……とりあえず言いたいことは伝わっただろうか。だがこれは決して強制ではないから、君が嫌なら別に何もしなくてもいいんだ」

「いえ……あの、本当に僕は、伝えてもいいんでしょうか」

 マーカスが真剣な顔でそう問うと、レイルは頷いた。

「もし君に伝えたい言葉があるなら、ぜひ伝えてやってくれ。それについて私たちは何も言わないと約束する」

「……ありがとうございます」

「ただ、一つだけ心に留めておいてほしい事がある……マリエラは、自分の体の弱さを負い目に思っている。君の言葉を受けても、それを理由に断るかもしれない。結婚しても子も望めないだろうからとか言ってな」

 マーカスは黙って聞いていた。マリエラの身体が弱い事を、ここに勤めてからの短い時間の中で何度も見聞きしてきた。見舞いの本を送ったことももう片手の指の数に届くほどだ。

「子供はな、一応産めるだろうとは医者に聞いている。だがあの虚弱さでは、どうなるかはわからない」

「はい」

「それでも良ければ……もしそれでもあの子の人生に寄り添ってやりたいと思ってくれるのなら……どうか、考えてやってくれ」

「はい……ありがとうございます」

 そう言って深々と頭を下げると、マーカスは手つかずだった自分の酒を手に取ってぐっと煽った。

 苦手な酒精で喉が焼けるようだったが、それでもむせながらどうにか飲み干す。昼間だとか仕事がまだあるとかそんなことはもう頭になかった。ただ伝えたい事のために、今は酒の勢いすら借りたいと、そう思ったのだ。



 マリエラが眠ったまま目覚めない、と連絡が入ったのは、マーカスが徹夜で一通の手紙を書きあげた次の日の朝の事だった。


思ったより兄バカに仕上がってしまった。

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