七話 異変の足音
都にはおよそ三十本のヒシュが植えられているが、数日に渡る調査によって、そのうちの二本に異常が発見された。
枝の先や中が黒くなっているのである。昔に流行った黒変病と一旦はされたものの、どうやらそういうわけでもないらしかった。
青年は黒ずんだヒシュを見て思わず眉を顰めた。
横で木を共に確認していた宗久と切れ長の目の男も、どこか不安そうである。
「これは……想像以上だな。黒変病にしては炭化してないし、枝先に急にできることも妙だ。……でも、ヒシュは確実に苦しんでる」
宗久はヒシュに触れながら言った。
ヒシュの表面は少しの温もりがある。温もりを手に感じながら、宗久は葉に触れた。
春の訪れを告げる緋色の葉は、まるで丸めた紙のように皺が付いていた。
宗久はヒシュの葉を触る。そこには温もりは籠っていない。
「病気になっているというよりは、何だろうな。悪霊に取り憑かれている感じに近いと思わないか?」
悪霊、と青年は呟いた。
「炎鬼という名の、か?」
切れ長の目をした男は宗久に問う。宗久は頷いた。
「そうかもしれないな、矩幸。試しに使ってみるか?」
矩幸は頷くと、影を見る。ミナワ、と呼ぶとあの狼のような姿の竜が飛び出してきた。宗久の影からもコガネが躍り出た。
二人の竜は木に触れる。
竜たちは顔を見合わせると、その木を凍らせた。
しばらくして氷を溶かすと、そこから黒い炭が水と共に地面に落ちた。
宗久は炭に触れる。ヒシュのではないな、と呟く宗久の目は落ち着いていた。
「ミナワがかなり興奮しているのを踏まえると、炎鬼の死体か?」
矩幸の言葉は落ち着いていた。青年は矩幸を見る。
「なぜヒシュに炎鬼がいるのか……」
宗久は静かな声で言うと、炭を見つめた。
火事の件から数日後、さゆは店の前で掃除をしていた。その後ろでは惣太郎がトモシと遊んでいた。さゆは一通り掃き終わると、トモシたちを見た。
惣太郎はさゆに微笑むと、笹に包んだ握り飯を見せる。さゆは惣太郎に近付くと、握り飯を受け取り、彼の横に座った。さゆはトモシに握り飯を渡す。トモシは握り飯を一口で食べると、もう無いのと聞くように舌を出した。無い、とさゆはトモシにはっきりとした口調で言う。
「兄さんのお握り、おいしいから嬉しいです」
「そりゃあ良かった」
さゆは口元に米粒を付けながら握り飯を頬張った。惣太郎はさゆの米粒を取りながら、口を開く。
「そういや、火事の被害者の方々は、浪士隊のお手伝いさんになることになったんだと」
さゆは惣太郎を見た。そして安堵の息を吐く。
彼女たちがこれからどうなるのか、さゆはかなり気がかりだったためだ。まさか乞食になることはなかろうが、それでも変な店に奉公に出たりするのではないかと心配だった。
彼女たちは見るからに優しそうな人だった。そういう人を狙って悪い大人は足元を掬おうとする。さゆは経験からそれを知っていた。
惣太郎は口を開く。
「……浪士隊で隊士募集があんだってさ」
さゆは握り飯を頬張りながら惣太郎を見た。惣太郎は何だかな、と言うと目を瞑った。
「いいじゃないですか、行きましょうよ」
惣太郎は瞠目した。さゆは微笑む。
「でもって見せつけてやるんです! 私たちの実力を!」
さゆは言うと勢いよく立ち上がった。
惣太郎はやろうぜ、と拳を強く握りしめ、さゆたちの前に出した。さゆとトモシは惣太郎に拳を当てた。
浪士隊屯所では、一人の男が静かに巻物を読んでいた。緋色の羽織は横に丁寧に置かれている。
部屋の中に青年が入ってくる。さゆたちを絶賛した青年だ。青年は男を見ると、興奮した口調で竜の兄弟を語った。男はそれを聞き流しながら、またコイツの気まぐれかと内心呆れていた。
この青年、とにかく飽きやすい。はまるのも早いが、その分飽きるのも早い。彼が長く続けているのは剣術ぐらいしか思いつかない。
部屋の真ん中で囲碁を楽しんでいた男と女も顔を上げる。女はこれは何日かしら、と囲碁の相手に言った。相手はすかさず、じゃあ半日と答える。乾いた音が部屋に響いた。
「みんな酷い! 僕が飽き性だっていうことですか!」
「あら。自覚あったの?」
青年は腕を組んだ。女は呆れたように青年を見た。その場にいた青年を除いた全員が頷き、青年は頬を膨らませる。違いますもん、と言う彼の声は不満だけしか感じない。囲碁をしている男が呆れたように言った。
料理はどれくらいだったかな、と尋ねる男の声は穏やかだった。それに女が答える。
「あら、あれは七日ですわ。それよりももっと酷いのは和歌でしょう。あれは半日も続かなかったのでは? 急に『僕は和歌の楽しさに目覚めたよ』とか言ったくせに、三個ぐらいしか作らなかったんですもの」
青年は唸ると、これは絶対長続きするもん、と叫んだ。しかし、誰も信じようとしない。巻物を持っている男は女に話しかけた。
「お前のその『長続きするよ』、これで何回目だ、これで。なあ、清」
清は顔を巻物を持っている男に向け、六十回目ね、と笑った。
青年は地団駄を踏んだ。その様子はさながら、自分の要求を泣きながら訴える子供のようである。
男たちは互いの目を見る。ってか俺は仕事中なんだよ、と巻物を持つ男は言って立ち上がった。
すると、顎髭を生やした男が中に入ってくる。男はむっつりとした表情を隠すこともなく、紙を巻物を持つ男に渡した。男は眉を顰めると、彼を見た。
「どうした、篠宮」
「何でもないです、副長」
篠宮はそう言うとふんと鼻を鳴らした。この男の悪癖だと、副長は思った。普段は仏頂面のくせに、嫌いな人間の前では嫌悪感を隠そうともしない。
青年は顔を挙げると、篠宮を見た。そして何がおかしいのか、けたけたと笑い始める。
「もしかして……先日の火事のことですか?」
青年の問いに篠宮は答えない。しかし、機嫌の悪化をその場にいた全員が感じ取った。何してんだよ、と囲碁をしている男は青年に言う。
「局長。だって本当のことなんですもん」
局長は呆れたように青年を見た。
「そうだ、千次郎。お前、この前帳簿を読んでいたようだが、何か気になるものでもあったのか?」
局長の話題転換に千次郎は顔を上げた。そして、そうですね、と悪戯が見つかった子供のような声で言った。
「入ってくるお金が少ないなあって。あれ、毎月手当みたいなのもらってますよね?」
副長は頷いた。金のことは詳しくない、と局長は零しつつもそうだなと言った。
「そうだな。毎月二百両の活動手当が支給されている。……最近俺の給料を減額したばかりだが、それでも足りないのはなぜかと思っていたが」
副長の言葉に、局長は思わず囲碁をする手を止めた。女も副長を見た。
「お前だけ減額して何で俺のを減額しない。いくら足りないんだ?」
「……いや、その前に変な金が流れてないか確認すべきだろう」
副長は言いながら巻物を見せた。そこには、最近屯所に出入りする遊女の名前が連ねてあった。
「……遊女から金回りのいい隊士を聞く方が手っ取り早い」
副長の言葉に女は頷いた。千次郎は遊女なんてここにいますっけ、と呑気な声を出した。局長と副長は互いを見る。彼の顔を見る限り、本当に知らないのだろう。つくづく都合のいい目をしていると思う。興味ないものは何も見えないのだから。
副長は局長を見た。
「それと午後から隊士募集がある。アンタの言葉で気を引き締めさせてくれ。千次郎も退屈なら付き合え。清も来てくれないか。それとミケ、そろそろ飯だ。起きろ」
副長が言うと、部屋の中に三毛猫が入ってくる。三毛猫は副長に頬擦りをした。
午後になり大広間に行くと、さゆたちと惣太郎の姿があった。千次郎は興奮し、僕あの子たちとやる、と言って騒ぎ始めた。
副長と局長はさゆとトモシを見ると、少しだけ嫌悪感を感じた。
名前 セキト
年齢 15
得意なこと 駆けっこ
好きな食べ物 とても硬いせんべい
ミニエピソード
たまに足が絡まることがある。意外と喧嘩っ早く、店に繋がれてる馬と喧嘩することも。