二十七話 事情
試合から数日が経った。
合計で隊士が四人増えた。
通常の任務ができるほど隊士が増えた、と元兼は活動許可証をすぐに発行した。
さゆは夢乃たちを見る。短い袴の方を着ている夢乃は、慣れない着物の丈に困惑しつつもどこか嬉しそうだった。フジコマさんも黒い鉢巻と靴下を着けてどこか誇らしげである。
さゆは夢乃たちに似合ってる、というようなことを伝えた。司は夢乃を満足そうに見ると、伸びをした。
「にしても、新しい形の着物だな。初めて見た」
「〈霊国〉の着物を参考にしたらしくて。だから普通の着物よりも体の形に近いんです」
へぇ、と司は言うと影を見る。
影から大きな鷲が飛び出す。その鷲は尾が蛇になっており、鋭い竜の爪を持っていた。羽はところどころ緑色に染まっている。頭には短い飾り羽根が生えていた。
鷲は羽繕いを軽くすると司を見る。
司は鷲の首に黒い襟巻きを着けると、邪魔じゃないかと問う。鷲は頷くと、トモシを見た。
トモシは鷲の羽に興奮しており、補助具を動かしながらそれを見ている。さゆは司を見た。鈴も司に尾を振る。
「もしよければ、私たちに飛び方を教えていただけませんか?」
「いいぞ。お前ら一生懸命にやりそうだしな」
さゆはトモシにだってよと嬉しそうに報告した。
トモシはさゆの腕の中に入る。さゆはトモシの頭を何度か撫でると、顔を上げた。
浪士隊屯所。千次郎は団扇で体を仰ぎながら、饅頭を食べていた。試合から数週間が経った今。変わってしまったことといえば、局長と副長の間に見えない亀裂が入り始めていることだ。
「……あれ、正一さん?」
ふと廊下を歩く影が見え、千次郎は口を開ける。すると、正一は立ち止まって千次郎を見た。
その横には彼の妻の姿があった。
黒い髪が美しい女性である。儚い雰囲気を漂わせており、どこか守りたいと思わせる魅力があった。
「何の用だ」
「冷たいなぁ。どこか行くんですか?」
正一は頷いた。関わりたくない、と表情に出てしまっている。
「あぁ。少し買い物にな」
妻は嬉しそうに頷いた。
「ふうん。あ、竜士隊の試合見ました? 凄かったですよね」
見てない、と正一は素っ気なく返す。
「えぇ、もったいない……奥さんも見たいですよね?」
妻はそうですねと苦笑した。正一は不満そうに千次郎を見た。
「……それにしても、最近調子悪いでしょう」
正一は千次郎を見る。千次郎は欠伸をしながら伸びをすると、むにゃと言いながら正一を見る。
正一は千次郎が嫌いであった。
彼の目は常に真っ直ぐで、こちらの中を常に覗いている……ように見えるからだ。事実、彼は本心だと自覚していない本心をよく言い当てる。また見過ごしてしまいそうな異変にも彼はすぐに気が付いた。
それが不気味だった。まるで他人の心を解剖しているかのように、彼は人間の内面をよく言い当てる。
しかし、興味がないことはすぐに見過ごしてしまう。松村が芸妓を調べ始めるまで、芸妓や遊女が屯所に来ていたことすら知らなかった。
よく肌を出していた上に、不要な接触が多い者も多く、潔癖な隊士から嫌われていたのだが――。
――そんな人、いましたっけ? というか、芸妓さんも屯所で見たことがないや。
とぼけた声で彼は言う。聞いていた松村や坂山は呆れていたが、正一はそれが恐ろしかった。
これほどまでに都合のいい目を持つ男を、見たことがなかったからだ。
しかも最近――彼とよく似た少女に出会った。
さゆとかいう名前の少女である。
彼女が正一を睨む目は本物の武士のそれと何も変わらなかった。おそらく下級隊士が束になってかかっても、さゆはきっと彼らに負けないだろう。
どこか幼い言動も目立つが、さゆは普通の大人よりも揺らがない意志を持っている。
思えば、千次郎もふらついているように見えるが、揺らがないものを持っていた。幼い言動が多いのも彼女とそっくりだ。
――親と子なんてあくまでも他人でしかないんだよ!
ふと脳裏にさゆの叫んだ言葉が蘇る。
正一は思わず俯いた。横にいた妻が案じるように正一を見る。正一は大丈夫だと言って息を吐いた。相棒の竜が鼻を鳴らす。
熊によく似た竜だった。四肢の先は鱗で覆われており、尾は生きている蛇である。
「打ち合いで負けてから、何だか迷いが見えます」
正一は千次郎を睨む。
矩幸とかいう小僧に負けたあの試合の後、さゆたちに土下座をしたのは嫌な思い出だった。
さゆはそんな正一の気持ちを汲んでか、謝る気がないなら最初からやるな、と言ってまともに謝罪を聞こうともしない。
その直前に、睨んでごめんなさいと謝った夢乃の謝罪は、気にしないでと彼女に優しく言っていたのだが――。
もちろん、こちらの言動に非があったのは認める。認めるが、恥を忍んで土下座したのだから、少しは謝罪ぐらい聞くべきだと思うのだ。
「みんなの前で土下座したこと、まだ気にしてるんですか?」
「してない。……やけにしつこいぞ、お前」
千次郎は正一を見る。底冷えさせるほどの真っ直ぐな視線だった。正一は思わず両目を左に動かした。彼の目を直接見るのが怖かったのだ。
「だって……清さんが貴方のこと案じてましたもん。一層塞ぎ込んでるって。副長や局長も隊務に支障が出始めてるから、一回話を聞いてやってくれって」
「お前になど誰が話すか」
「でも、それで色んな人に迷惑をかけるのは違くないですか? 僕たち命に関わる仕事なんですよ。足手纏いが一人いれば二十人が一気に死ぬ。そんな足手纏いに貴方は隊長という立場でありながら、なりかけている」
正一は千次郎を見ると、俺が足手纏い、と繰り返した。
「貴方が動揺し始めたのは、さゆの言葉を聞いてからだった。それを踏まえると、家族についてのことなんだろうって予想はつきます」
やはり恐ろしい男だと正一は思う。その観察眼は監察に負けていない。
「で、どうなんですか?」
千次郎の問いに正一は答えることなく、妻を連れて外に出て行った。千次郎はあーあ、と子供のようにいうと、縁側に寝転んだ。
「ごめんなさい、私の父が……」
千次郎は声の主を見る。そこにいたのは長身の、灰色の髪をした女だった。女は千次郎にお詫びと称して、豆大福を渡す。千次郎は別にいいのにと言いながら大福を頬張った。甘くて美味しいや、と呑気に話す彼の顔を見て、女は密かに肩の力を抜いた。
「まつりさんも大変ですね」
いえいえ、そうまつりは言いながら息を吐いた。
「凄く頑固で面倒くさいというか……家を守るためなのは分かるんだけど」
まつりは千次郎の横に座ると、頬杖をついた。千次郎は本当にね、と子供のように屈託なく笑う。
「そういえば、弟さんって今元気なんですか?」
「……そのことなんだけど、最近、文貰ってない……元気ですの一言でもくれればいいのに!」
まつりが叫んだ瞬間、一羽の大きな鷲が彼女の足元に留まった。その鷲は足に筒を括り付けている。まつりは興奮を隠すこともなく、その筒を外して中を覗いた。
そこには大きな文字で「拝啓、まつり姉さん」と書かれている紙が入っていた。柔らかく、しかし、どこか力強さを感じさせる文字だった。
どこかで見たことのある文字だと、千次郎は首を捻った。その間にまつりは奥から干し肉を持ってくると、その鷲に与えた。鷲は頷き、大きく羽ばたいた。
まつりは紙を開いた。そこには近況が一枚に渡って長々と書かれていた。千次郎はそれを見て、思わず口を開いた。
「初めて見たけど……いつもこんなびっしりなんですか?」
「いや? いつもはこの半分くらいかな。たくさん書くことあったんだね。……会いたいなあ……」
まつりは呟きながら紙を見つめていた。
名前 雛松義輝
年齢 22
得意なこと 足跡を消すこと、整理整頓
好きな食べ物 おやき
ミニエピソード及び補足
夢乃にとっての兄的な存在。変人の妹と弟がいるが、自分は変人ではないと自称している。




