十六話 日記
宗久はさゆを見た。
「お前の持っている日記について話してほしいんだ」
さゆは宗久を見ると、頷いた。他の者たちは一斉にさゆを見た。
「父親の遺した日記に、炎鬼のことが事細かく書かれているんです」
宗久は頷いた。
すると、部屋に一頭の犬が入ってきた。北の猟犬らしい出立ちの犬であった。
知幸が顔を上げる。猟犬はその小麦色の毛皮を震わせると、蛍石のような色の目でさゆたちを見た。ぼんやりしているように見えるが、その目には微かな覇気が籠もっている。
犬は尾を振りながら、わんと鳴いてその場に伏せた。
「鈴だ。兄弟はモモヒコ」
「よろしくお願いしますね、鈴さん、モモヒコさん」
鈴は嬉しそうに口を開けると、さゆに強い頬擦りをした。カガシが鈴を慣れたように撫でた。鈴は尾を勢いよく振る。
「幕府の内部か浪士隊に、炎鬼の件に関わっている奴がいる可能性がある。手がかりはないか? 奉行所に先日の火事の件について、何の報も入っていなかったんだ」
全員が宗久を見た。矩幸は黙って頷くと、あと花街にいる遊女もだな、と言った。
さゆは日記を開いた。
「一個だけ……一個だけ、よく分からない箇所があったんです。もしかしたらそこに何かあるのかも」
――松の下なる鹿や伊芽の海なる魚、店で売らるることはあらず。いずれのもの、焼けばこそあしきものになれ。
松の下にいる鹿や伊芽の海で捕れる魚はまずいため店で売られることはない、というような意味である。
今までの話題とは打って変わった、詩的な部分である。
宗久は言いながら文を見た。伊芽の辺りの出身者は、と矩幸が尋ねても全員、首を縦にも横に振らない。
さゆは日記を見る。
魚が好きな人とか、とさゆが尋ねると誰もが首を捻った。そんな趣向のことを載せるのだろうか。
しかし、質問は質問である。答えられるなら答えるべきだろうが、浪士隊隊士の趣味趣向を知っている者はここにはいない。
「さゆ。もしも俺がこの日記にそれらの特徴の人を載せるなら、もっと遠回しな表現にする。……この松と鹿なら、名前にそれが入っている者がいなかったか?」
「ああ、それでしたら、鹿松とかいう芸姑が栄屋という店にいます」
九郎は言った。
九郎曰く、その鹿松とかいう芸妓の評判はすこぶる悪く、とにかく出癖が悪いことで有名だった。店の金を盗んだことも一度や二度ではなく、酷い時には店の着物を質屋に入れたこともあった。
ただ――それはあくまでも疑惑の話に過ぎなかった。他にも同じような性質を持つ芸妓はいる。
さらに鹿松は店でもかなり評判の芸妓だった。そのため、店側は鹿松を辞めさせる気はなかった。
「魚にも何かあるのでは?」
清の言葉にさゆは魚、と呟いた。何度か呟いてから、さゆは顔を上げる。
「坂山殿のことでは?」
さゆの提案に、宗久は違うと思うが、と言いつつ何かを考えていた。
さゆはもう一度日記を見た。父親の思惑が分からない。役人に連れて行かれた父。どうして彼は捕まったのだろう。
「父は役人に連れて行かれました。……だから、おそらく幕府の方に何かがいると思います」
さゆは言った。九郎も頷いた。
「僕の兄も連行されて処刑されたんだ。だから、やっぱり幕府に何かいるのかもね」
宗久は九郎を見た。九郎は頷くと、今宵から行ってきますと笑った。
さゆは顎を触る。
焼く……火を連想させる言葉だ。火……ヒシュのことか? それともこの日記があった竈? 思えばこの前の火事の発火源も竈だった。もしかすると、トモシの父でありさゆの父の兄弟だった竜のことか?
なぜとどはこの日記を隠した?
この日記を狙う者たちがいるからだろう。では、その者たちの狙いは何だ?
彼らの考えはこの日記のどの記述に絡んでくる?
この日記があることで何が起きる?
焼く……火事のことか? 待てよ。ヒシュの悪用を示す隠語だと考えれば辻褄が合う。
さゆは顔を上げる。そして今思ったことを説明すると、宗久はなるほどなと何度も頷いた。
「焼けばあしきものになる――それはつまり、炎鬼が生まれることの暗喩か?」
矩幸の声がさゆの耳に届く。
「かもしれない。そうだとしたら……さゆたちの父親と九郎たちの兄は、炎鬼に関わる何かをしていた、ということになる」
九郎は顔を上げた。
「僕の兄は炎鬼の性質を調べていたと思う……。死んでからそのことを知ったんだ」
恐ろしいことが起きている、とさゆは思った。
数日後、九郎は宗久たちに偵察の結果を話した。宗久はカガシと話をしていた。
「あの……実はですね。鹿松という芸妓が浪士隊屯所に出入りしているのを確認しまして……」
宗久は瞠目した。
コガネが噛んでいた丸太から口を離した。そして九郎を見た。オロチマルも落ち着かなさそうに舌を出し入れしている。カゲマルは手を見つめると、ほんとだよと言うようににぃと鳴いた。
宗久は眉間を押さえると、口を開いた。
「関連のある隊士がいるだろう? 誰だ?」
「文屋重義という隊士です。この隊士、浪士隊の勘定吟味役なんです」
宗久は目を見開いた。カガシは口を開いた。
「浪士隊で横領が起きている、みたいな話はあるの?」
九郎は頷くと、幹部内で密かに問題になっているようです、と呟いた。
また、元兼も不自然な金の流れがあるとして、先日、浪士隊に決算書をもう一度書き直すように指示をしたという。二度目でも同じになってしまったら、横領や着服の証拠を探せとも言ったらしい。
そのため、浪士隊では幹部が横領している者を血眼で探しているという。
「鹿松が一気に怪しくなったな」
「ええ。ですがこの不自然なところは、実は鹿松、高い着物を一着も持っていないんです。それに、高い所で飲食をすることもなくて」
宗久は九郎を見た。カガシも不思議そうに瞬いた。
自分が使うための金ではない――?
「誰かに寄付しているのか? 寄付先を調べてくれ」
すると九郎は首を横に振った。
「申し訳ございません。寄付先を調べようと思ったのですが、上手くいきませんでした。……もしかすると、気づかれてしまったかもしれないので、これ以上はできないと判断し、先日戻った次第です」
「お前が気づかれた?」
鹿松にではありません、と九郎は言った。
「彼女と話していた男に、です。あの女……女自体は大したことはないでしょうが、その関わりがある者がかなり勘が鋭いと思われます」
普段、女性と呼ぶ男が女呼ばわりするとは、気づかれたという事実が腹に据えかねているのだろう。
監察として優秀な彼は、仕事に対する思いも強い。目標に気づかれたら失敗だという覚悟でいる彼にとって、この事実が侮辱的なものであるのは間違いない。
「そうだな。お前が気づかれるなんて、獣よりも勘が鋭いんじゃないか?……だが、横領の事実を知れただけでもかなりの功績だぞ」
九郎は頭を下げた。
この男は一を知ったら、やってほしいことの十を言わなくてもやってくれる。
「このままだとまずいと思うわ。浪士隊が今瓦解するなんて……」
カガシは呟いた。
「炎鬼に異変が起きている中で、浪士隊という一つの柱が消えるのはあまりにもまずいな。どうにか対処しなければ……」
宗久は呟いた。
すると風で横に置いてあった紙が舞う。宗久は落ちた紙を拾い集めると、ふと机の上にある紙を見た。
それは――数百年前に書かれた絵を写したものだった。
「百炎夜行」と呼ばれたできごとを描いたものである。炎鬼が突如として大量に町に現れ、人々を食らったのだ。
宗久は紙を見て眉を顰めた。
――百炎夜行の再来は絶対に起こさないようにしなければ。
宗久は外を見た。
名前 カゲマル
年齢 26
得意なこと 駆けっこ、かくれんぼ
好きな食べ物 水飴
ミニエピソード及び補足
意外と厚かましい部分があり、何かをした際、見返りに甘味を求めることもある。




