【二十四】虹色の未来へ
拓都が受け入れてくれた。
そのことが嬉しくて、すぐにあいつと拓都のご両親に「ありがとうございます」と頭を下げた。心の中で『これからも見守っていてください』と呟く。
そして、やっと緊張から解き放たれた俺は、あいつに向き直って微笑んだ。
「美緒、ありがとう。拓都が受け入れてくれたのは、美緒が先に拓都に話してくれたおかげだよ」
あいつは俺の言葉を聞いて、少し誇らしそうに、少し照れ臭そうに笑った。
あいつはまだまだ結婚に対して覚悟ができていないんじゃないか、俺一人先走っているんじゃないかという不安に蓋をしたまま、ここまで強引に押し進めて来たことは自覚があったから、あいつが先に拓都に話してくれていたことは、とても嬉しかった。
あいつもあいつなりに覚悟を決めてくれたのだと、そして、拓都も受け入れてくれたのだから、俺は次なる結婚計画に向けて行動を移すことにした。
「さあ、次は俺の家族に会いに行くぞ」
「え? 今から?」
「そうだよ。クリスマスに話してから、ずっと待っていてくれたんだ。それから、泊まりの用意もな」
「え? 泊まりの用意?」
「ああ、皆がお祝いしてくれるらしいから。さあさあ、急いで用意して」
やっとあいつと拓都を実家へ連れて行ける嬉しさで、あいつの戸惑いまで気が回らなかった。それでもあいつは俺の言葉に従い泊まりの用意をし、車に乗り込んだ。
「ママ、どこへ行くの?」
車の後ろの座席にあいつと一緒に乗った拓都が、少し心細そうに尋ねた。
「今からね、守谷先生のお父さんとお母さんがいるお家へ行くのよ」
「え? 守谷先生の?」
「そうだぞー。拓都の従兄弟になる葵と奏もいるぞ」
まだ現状が理解できていない拓都に、少しでも興味を持って欲しくて、同じ年頃の姪と甥の話を出した。あの二人にとって拓都は従兄弟第一号だ。
「従兄弟?」
「あのね、守谷先生のお兄さんの子供でね、葵ちゃんっていう女の子と奏君っていう男の子がいるの。拓都の方がお兄ちゃんだけどね」
「僕がお兄ちゃん?」
「そうだよ。拓都より小さな子だけど、いっしょに遊べるといいね」
俺はバックミラーで二人の様子を伺いながら会話を聞く。拓都はあいつの言葉にコクンと頷いた後、少し思案して、再びあいつに問いかけた。
「ママは今から行く所へ行ったことがあるの?」
「そうね、四年ぐらい前かな」
そうだった。あいつが社会人になった年の秋に実家へ連れて行って、家族に紹介したっけ。
俺とあいつの間に、本当はもっと長い歴史があるのだと、拓都に知っておいてほしいと思った。
「拓都、俺と美緒は七年前に大学で出会ったんだよ。その時に一歳の拓都とも出会っているんだよ」
「ホント?」
「そう、拓都のお父さんとお母さんにも会っているんだ。その頃から俺と美緒はお互いに好きだったんだよ。でも、いろいろあって、拓都が小学校へ入学するまで離れ離れだったんだ。でも、こうしてもう一度出会って、今度こそずっと一緒にいられる家族になろうって決めたんだよ。拓都、仲間に入れてくれて、ありがとう」
神妙な顔をして聞いていた拓都が、恥ずかしそうに俯きながらコクンと頷いた。
*****
「慧君、おかえりなさい。わー、美緒ちゃん、拓都君、いらっしゃい。来てくれるの、ずっと待っていたのよ」
ただいまと言いながら実家の玄関に入ると、義姉の詩乃さんが迎えてくれた。あまりの笑顔の歓迎振りに、あいつは少々気後れしたようだったが、すぐにいつもの調子を取り戻し挨拶した。
「お久しぶりです。突然お邪魔してすみません。宜しくお願いします」
あいつは頭を下げると拓都にも挨拶を促した。
「こんにちは」
拓都は意外と物怖じしないのか、元気な挨拶ができた。
「親父達、いる?」
「みんな揃っているわよ。もう首を長くして待っていたんだから」
少々ハイテンション気味な義姉とは対照的に、あいつの表情は緊張気味だ。もしかすると俺との別れに対する罪悪感を、俺の家族に対しても感じているのか。
「美緒、何も心配すること無いから。美緒の事情はみんな分かっているよ。美緒がそんな顔をしていると、拓都が心配するだろ」
俺があいつの耳元でそっと囁くと、あいつはハッとして拓都に笑顔を見せていた。
リビングに入って行くと、皆が笑顔で迎えてくれた。両親に兄、そして子供達が、応接セットに座っていた。あいつは緊張しながらも挨拶をして、拓都を紹介した。母も家族全員を嬉しそうに紹介している。
義姉が出してくれた紅茶を飲んで雑談した後、葵と奏が遊ぼうと拓都を誘った。拓都は少し気後れしていたけれど、葵がとても積極的に誘うので、引っ張られるように付いて行った。その様子を見て、皆が笑う。あいつが笑っているのを見て、俺はやっと安堵の息を吐いた。
子供たちが出て行ってドアが閉まると、あいつが急に立ち上がった。そして、真ん中に置かれたローテーブルを避けて、皆の方を向いて床に正座をした。
「美緒、なにを……」
あいつの突然の行動に唖然としていた俺は、我に返るとあいつに声をかけた。しかしあいつは俺を無視して、皆に向かって話し始めた。
「皆さん。こんな風に温かく迎えてくださって、本当にありがとうございます。四年前、こちらの一方的な都合で別れを告げ、慧さんを傷つけたことは、慧さんにも皆さんにも恨まれても仕方ないと思ってきました。慧さんと再会してからも、私は彼に対する罪悪感から本当のことが言えず、彼をずいぶん苦しめたと思います。現在私は、亡くなった姉夫婦の子供である拓都の母親として過ごしています。こんな私ですが、これからの人生を慧さんと歩いていきたいと思っています。どうか、慧さんと結婚させてください」
ああそうか。俺が拓都に向かって頭を下げてお願いしたように、今度はあいつが俺の家族にお願いしてくれているんだ。
俺はすぐにあいつの隣に座り、一緒に頭を下げた。
母は驚いてあいつを止めようとしたが、父がそれを制した。
「美緒さん、頭を上げてください。私達家族は皆、美緒さんと拓都君を歓迎しています。今まで大変だったね。慧が美緒さんの大変なことに気付かずにいたから、一人で苦労させてしまったね。本当に私達も申し訳なく思っているんだよ」
父は俺が後悔していたことまで言及し、謝ってくれている。でも、そんな風に言うと、あいつは反対に気にしてしまうんだ。
「とんでもないです。私が慧さんに何も言わずに突き放して傷つけたんです。慧さんは悪くないんです」
「親父、そんなこと言ったら、美緒が余計に負い目を感じるだろ。もうそのことは解決しているんだから、もう言わないでやってほしいんだよ」
思ったとおり、あいつは自分を責める。だから俺は父に釘を刺す。
「慧、お父さんを責めないで。私のために言ってくださったのに」
父への苦言は、あいつには不評だったようだ。
「いや、いいんだよ、美緒さん。私の気が回らないせいなんだから、すまなかったね。でも、慧も一人前なことを言うようになったなぁ」
「そうよねぇ、慧も結婚を考えるような歳だものねぇ。それに、過去がどうあれ、今こうして二人が一緒にいてくれるのなら、私達は何も言うことが無いのよ」
やはり両親には頭が上がらない。一人意気込んでいたことも親の前では子供の成長ということらしい。なんだか拍子抜けしてしまったが、あいつは両親言葉に感動しているようだった。
「それにしても、やっぱり婿に行く時は、女性の方から息子さんをくださいって来るものなんだな」
俺達の様子を見ていた兄が、ポツリと言った。
「いや、それは違うよ。美緒はそんなつもりで言った訳じゃないから……」
俺が篠崎姓を名乗る件について、まだあいつに話していなかったことを思い出し、言葉が続かない。その上、兄の言葉に驚いたあいつが、説明を求めるような眼差しで俺を見つめている。
「なんだおまえ、美緒さんに言ってないのか?」
内心慌てていた俺に気づいた父が、呆れた様に問いかけてきた。
「拓都のことがあったから、言えなかったんだ。ごめん美緒。早く美緒と拓都を守りたくて結婚って言い出したけど、それに付随するいろいろなことを考えてなかったんだ。それで親父に、篠崎家の跡取りである拓都をどうするつもりだって言われて……。それなら俺が篠崎家に入れば問題ないと思って、親父達にはそう言っていたんだけど、美緒の方には拓都にOK貰うまでは、何も言えなくて。でも、いいだろ? 俺が篠崎になってあの家に一緒に住んでも……」
俺は言い訳のようにつらつらと言い募った。けれど、あいつは驚いたまま絶句している。そんな俺たちの様子を見て、母が溜息を吐いた。
「慧も肝心な所で詰めが甘いわね。もうこれは我が家の男達の伝統かしらね」
そう言って苦笑する母に、義姉も「伝統だと思います」と言ってクスクス笑っている。
「まあ、そういうことで、我が家の方は長男が継いでくれているからね、心配は要らないよ。だから、どうだろうね? ちょっと頼りない息子だけど……」
父が空気を読んで、母親たちの苦情を挽回するかのごとく、話をまとめる。
頼りない息子は無いだろと心の中で突っ込むが、今の俺はことごとく後手に回り、情けない。
「ありがとうございます。もったいないお話です。でも、慧は姓が変わってもいいの?」
あいつは驚きながらも、両親に向かって神妙に頭を下げた。そして俺の方を向いて問いかけてきた。 「そんなこと、美緒と結婚できるなら、たいしたことないよ。ちょうど学校も変わるから、始めから篠崎姓なら、違和感無いだろ。だから、今月中に籍だけでも入れたいんだ。結婚式は落ち着いてからでもいいから……」
俺はあいつが受け入れてくれたと舞い上がり、自分の中で考えていた計画を言い募った。けれどあいつは、再び驚きで目が見開き、完全に固まってしまった。
「慧、おまえ、一人暴走し過ぎだぞ。美緒さんともっと話し合わなきゃ」
さっきまで傍で様子を見ていた兄が、咎めるように言う。
ごもっともです。痛いところを突かれて、俺は反論も出来ない。
「美緒、ごめん。拓都に話すまでは美緒を追い詰めたくなくて、結婚の話は拓都が受け入れてくれてからと思っていたんだ。それでも一応、自分の中ではある程度計画立てていたんだけど、拓都にOK貰った途端、美緒と話さなくちゃいけないって思っていたこと、全部吹っ飛んでしまって。舞い上がっていたみたいで、申し訳ない」
まったく自分が情けない。ずっと冷静でいたつもりだったのに、自分がこんなに浮かれるとは思わなかった。
「慧君、ずっと想い続けた美緒ちゃんと結婚できるからって、舞い上がり過ぎだよ。美緒ちゃんの意見も聞かなきゃ」
義姉がクスクスと笑いながらも苦言を呈してくれたお陰で、俺はようやく自分が独りよがりだったことに気付いた。
「そうだな。美緒はどうしたい? 俺が篠崎姓になるのはいいのか?」
「あなたは、本当にそれでいいの? 私の方の事情をすべて受け入れて、我慢していることは無いの?」
あいつは俺の問いかけに、少々気持ちが高ぶったのか、潤んだ瞳で問い返した。そして、鞄からハンカチを出して握り締めている。
「我慢なんてする訳ないだろ? 俺がそうしたいんだよ」
「ありがとう……嬉しい」
とうとうあいつは感極まったのか、ハンカチで目元を押さえた。あのクリスマスの日から、すっかり泣き虫になったあいつ。でも全て嬉涙なんだ。
俺は慰める様にあいつの肩を抱き寄せた。
「慧、美緒さん、おめでとう」
やっと気持ちを合わせた俺達に、両親と兄夫婦は祝福の言葉をくれた。
再会した時には宇宙の果てよりも遠いと感じていたあいつとの心の距離は、クリスマスに気持ちを確かめ合ってもまだゼロにはならなかった。それは、あいつが俺に対する負い目から遠慮していたこともあるし、俺が再び失うのが怖くて不安になっていたせいもあるのだろう。お互いに空回りして微妙にすれ違っていたことは、どこかで感じてはいたけど、それに目を向けるのが怖かった。だから結婚へ向けて独りよがりに暴走することで見ない様にしていたのかもしれない。
あいつ、……いや、美緒と俺は、ようやく心の距離がゼロになり、二人で歩む人生のスタートラインに立てたのだと思う。
その後、舞い上がってすっかり忘れていた婚姻届を取り出し、皆の前で署名することにした。もちろん何も知らなかった美緒は、婚姻届を見てとても驚いていたし、両親や兄夫婦も呆れ返っていたけれど、皆が嬉しそうに笑ってくれた。
そして、両親が証人欄にサインをして、三月三十一日の仕事の後、提出しに行くことになった。俺が篠崎を名乗ることも、籍を入れた日から美緒の家に住むことも、彼女が了承してくれて決まった。結婚式はこれから式場探しをするけれど、出来るだけ早くしたいと思っている。
全てがクリスマスの日に自分が願っていたように進んでいく。それはまるで運命のように。けれど、たとえ再会したことが運命だったとしても、それを幸せへと導いたのは二人の想いゆえの努力だと思っている。
拓都はすっかり葵と奏に懐かれ、弟か妹のできる予行練習になったようだ。二人が拓都のことを「拓都お兄ちゃん」と呼ぶのが嬉しかったらしい。
その夜は、お祝いだからと予約してあった中華料理のお店に全員で出かけた。個室の丸テーブルの上には幾種類もの料理が並び、皆で乾杯することになった。
「慧と美緒さんの結婚と、慧と拓都君の親子縁組を祝って、乾杯」
父の音頭で乾杯をする。皆が嬉しそうに口々に「おめでとう」とグラスを合わせた。
「拓都、もう俺のことは守谷先生って呼んだらダメだぞ。パパだからな。それに篠崎になるんだし。それから、俺の両親は拓都のお祖父ちゃんとお祖母ちゃんだからな、それと、俺の兄さんとお義姉さんは、伯父さん伯母さんで、今日一緒に遊んだ葵と奏は拓都の従兄弟いとこだぞ」
俺は酔って上機嫌でこんなことを拓都に話したらしい。拓都は少し驚いているようだったけれど、皆の笑顔につられるように笑っていたらしい。
後から美緒に聞かされ恥ずかしかったが、彼女が笑っているから良しとしよう。
『運命の人』を捜し求めていたけれど、結局俺達が見つけた答えはシンプルなもので、お互いを想い続ける気持ちだけだった。
それでも二人がこれからもお互いを想い続けるなら、きっと未来は虹色に輝いているのだろう。
俺はそんなことを考えながら、幸せそうに笑う美緒と、恥ずかしそうに笑う拓都を見つめていた。
完結
これにて『あの虹の向こう側へ』は完結しました。
長い間お付き合いくださり、ありがとうございました。




