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或る物語  作者: 柚木
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11/12

<9>

 高らかにラッパ音が鳴り響く。帝都中の家が王太子と巫女姫を模ったレリーフを吊るし、直に見んと帝国を訪れた各国民が自国の伝統衣装で身を飾り、人々の目を楽しませた。後世に伝えられることになる誓いの儀が始まろうとしていた。


 まだ薄暗い早朝に巫女姫は鴉の厳重警護のもと別室に連れられ、代わりに影が姫の部屋で待機する。

 そしてメイドたちによって身を清めて身支度を進めていく。ときおりメイドを気遣うように微笑む姿に、誰もそれが偽物だとは思わなかった。


 これまで姫は聖都の様式に則った恰好であったが、誓いの儀は帝国様式の花嫁衣装と化粧を施される。純白の衣装に身を包み、シルクグローブをはめ、アシンメトリーの刺繍が施されたレースが息をのむ美貌を薄く隠す。最後に帝国花嫁が代々受け継いできたティアラを結い上げた墨色の頭上にのせれば、まさしく女神の再来と錯覚する神々しい花嫁の出来上がりである。

 影は鏡の向こうで微笑む花嫁を、そして背後で感動のあまり涙ぐむメイドたちを、凪いだ瞳に写していた。今までにない豪華な衣装も、帝国の重みを受けて光るティアラも、ただの小道具にしか写らなかった。これから起こる全世界を欺く喜劇を成功させるための。


*


 音楽隊や旗振り隊が新郎新婦に素晴らしい演出を披露したあとは教皇から祝福を受け、そして待ちに待った主役二人による結婚の宣誓である。

 王族や教皇から直接祝福を受けることが許された貴族のみが利用することが許される塔に上り、下の民衆はもちろん世界中にも映像が届けられる前で、それぞれ誓いの祝詞を唱えて女神に捧げるのである。

 

 空を突き抜けるファンファーレが一際大きく鳴り響き、ざわついでいた場に完全な静寂が訪れる。花婿花嫁が腕を組んで搭の階段を登る間、誰一人として言葉を発さず固唾を呑んで見守っていた。

 そして最上部に到達し、二人が向き合う。まず影が誓いの祝詞を口にする。次いで、王太子が口を開き……


 聞こえた音の意味を考える前に、影はほとんど反射で王太子の肩を押した。そして王太子がたたらを踏んで二三歩離れたとき、二人の間に白い塊が落ちてきた。その塊の中から硬質な光が伸びて、影の胸に沈んだ。


 それは劇的で、それでいてひどくあっけなかった。


 何か、分厚いものを突き抜ける鈍い音を聞いた。

 押し出されたように空気の塊を吐き出す。血の混じったそれはこぽりと喉の奥で鳴った。

 一拍遅れて悲鳴をあげる民衆。

 怒声をあげる近衛隊士。

 鴉たちは親衛隊の一斉検挙を始めた。

 

 影の耳はそれら全てを余さず拾った。ただ、近くにいるはずの王太子からだけは何の音も聞こえなかった。

 目の前で狂った愛情に顔を歪める青年を見つめる。巫女姫への盲信が、その瞳と思考を曇らせていた。


 静かに、あまりにも自然に。影は猛毒の針を青年の喉に埋めてやった。その何気なさに、青年は何をされたかすぐには分からなかったようだ。首を傾げて喉元に手をやり、それからやっと驚愕の表情でこちらを見上げる。

 影はといえば刺されているとは思えないほど落ち着いた眼差しで見返した。その凪いだ瞳を、何よりも深い青を見て気づいたのだろう。震える口が何かを言おうと開かれるが、そのまま何も言えずに青年は絶命した。こちらに崩れ落ちてきたが、影は王太子に腕を引かれ寸でのところで避けた。鷹の目が細められ、片頬だけがひきつるような笑みで歪められる。


「貴様になど、どちらの巫女姫だってくれてやらん」


 影は、もう何も聞こえていなかった。視界が黒くぼやけていく中、影はずっと自分とともにあった深い深い海の底へと沈んでいくのを感じた。何もかもを抱く闇に沈む途中で、誰かに呼ばれたように感じて意識を上に向ける。


 海の向こう、空の向こう。己には届かない遥か彼方を行く、誰よりも気高いただ一人の主。鷹の人。至高の存在にして世界そのもの。


 ――殿下。


 深い海に沈めよう、何もかも。意識は再び暗いところへと沈んでいく。何も恐れることなどない。

 お役目を果たし、枷は消え、ようやく無音の安らぎを得た少女は、広がる闇に己のすべてを委ねた。


**


 純白の花嫁衣装が赤く染まっていく。青い瞳は固く閉ざされていた。王太子は温度を無くした指先を温めるように手を握り、どこか穏やかな表情を浮かべる従者をずっと眺めていた。

 下で見ていた者たちは、あの時の二人ほど神聖で美しいものはなかったと言う。その後も王太子と巫女姫は並べば絵になると評されたが、どの絵師も当時の二人の姿を最も描きたがった。けれど王太子が描くことを禁じたので、この世に深海の青を宿す巫女姫と王太子が寄り添う姿は一枚も残らなかった。


*


 殺害を企てた親衛隊は鴉によって一人残らず捕まった。巫女姫の亡骸は聖都の禊の泉に安置されたとのことだった。巫女姫の死は世界中が見ていた。誰もがこの世の終わりのように嘆いた。しかし衝撃的な事件の二日後、更に驚かせる事態が起こった。


 帝国が、誓いの儀のやり直しを発表したのだ。

 どういうことなのかと、再び帝国に入りきらないほどの人が押し寄せた。そして世界中が注目する中、王太子と手を取り合って現れたのは亡くなられたはずの巫女姫だった。顔色は化粧でも誤魔化せないほど悪かったが、それでも生きてそこに立っていた。聖都の女王陛下が前に進み出る。


 事件当日の夜、姫を眠らせた禊の泉から眩い光が溢れ、自分は女神の声を聞いた。そして光の中から傷一つ無い姫が出てきたのだ。

 これは、女神の奇跡。神々からの祝福である。此度の結婚、全ては女神の御心なり。


 そう、猊下は高らかに締めくくった。

 静寂が降り、聴衆が呆けていたのはほんの僅かで、すぐに大歓声が帝国を包み込んだ。世界中が歓喜した。女神様は、やはり私たちを見守ってくださっていた。なんて素晴らしいことだろう。歴史上唯一の神々の祝福を受けた誓いが成されたのだ。

 反対派の信者たちも誰もが、認めざるを得なかった。この結婚を歓迎した。その日は至るところで鷹の王子と奇跡の巫女姫のために祝杯が挙げられた。


 そうして聖都と帝国が手を結び、世界は統一への大きな一歩を進んだ。獅子王と鷹の王子は平和の為に尽力し、よく治めた。世界はより多くの幸福に満たされることとなった。



 全ては事実であり、神々が起こした奇跡の結婚話はこれで終わる。

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