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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第二章 巨門星 壱 「清」その名において

「清! しゃんとしろ! そんなんじゃ、取れる客も逃げちまう! 前を向け! そして、しゃんとしろ!」

 うるせぇ。今日だけで何回目でありますか。私だって、好きでこんなことをやっているんじゃあない。


 私の名前は「(せい)」。

 今年、数えで14歳になります。

 江戸川のほとりの家に長男として生を受けこの歳になるまで将来、家長となるべく育てられてきました。

 だが、それはちょっとしたことで壊れてまいります。

 私の下には、二人の弟と妹が一人。何よりも大切な兄弟でございます。


 私の家はこの地では比較的大きく、町中は私と同じ苗字が並んでおります。

 正月や盆には私の家に多くの人が訪れ、果物やコメなどさまざまなものがあつまる次第。

 私たちはそんな生活が当たり前だと思っていたわけです。

 そんな集まりでは、お互いを屋号で呼びます。

 当たり前のように思っておりましたが、今となってはこの習慣すら懐かしいものです。


***


 昨年の雪の深い冬の日のことです。

 いつもであれば、深夜の静寂に恐怖を感じながら寒さで眠れない自分を無理やり抑え込み、眠ろうとするのでありますが、その日は違っておりました。

 深夜の大通りを大勢の足音が響いていたのでございます。

 一定の間隔で響く足音。草履ではありません。靴音でございます。それもかなり固い靴底の音。

 その足音がいつまでも鳴りやまず、ずっと続いていくんです。

 大勢が歩いているにも関わらず、まったく人の話す声が聞こえないことがよりその異常性を強調しておりました。


ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ、ザッ……


 深夜に響く大勢の足音。

 まるで夜の闇が歩き、近づいてきているようでいつも以上に、恐怖感が増していったのをよく覚えております。


「にいちゃん…、これ、なんの音……? こわいよお……」

 弟の「(きゅう)」が私の着物の袖を引っ張ります。


「大丈夫だ、久。にいちゃんが一緒だから大丈夫。ゆっくりおやすみなさい……」

 そういうと私は、久をきつく抱きしめ、その温かさを感じながら眠りの溝に落ちて行ったのでございます。


***


 昨日の足音は軍隊の足跡であったことが昼過ぎにわかりました。

 「()()」のところに出入りする酒屋からの話でありました。「寝馬」とは、寝具屋を営む叔父さんのところの屋号でございます。

 どうやら日本陸軍の青年将校たちが決起し、永田町や霞が関を占拠したとのはなしです。

 そこに向かう陸軍の青年将校たちが深夜に行進をする足音だったわけです。


 なんと日本の陸軍は、政治をチカラでひっくり返そうとしているらしいと、幾許ながらの恐怖を覚えました。

 かといって、私たちの生活はそんなに変化するモノではないだろうと幼心で感じておりました。

 そのときの私は、まだ幼く、そして自分にこれから起きるであろうことなんてこれっぽっちも考えておりませんでした。


 翌日の夕餉の時間に親父様が固い顔を更に固くされて、子どもたちに突き放すように言い放たれました。


「久、お前は明後日から、九品の『早馬(はやめ)』のところの子になるんだ」

 九品の「早馬」とは、今では世田谷区と呼ばれる場所にある親類の屋号です。

 つまり久は、養子に出されることになったわけです。

 九品の「早馬」は、親父様の妹の嫁ぎ先。つまり私たちにとっては、叔母さんにあたる人です。


 叔母の家には子がおらず、商いを行っているため、どうしても早く世継ぎが欲しいと願っておりました。

 一昨日の陸軍青年将校の決起こともあり、世間が慌ただしくなったことに恐怖を覚えた「早馬」の人たちが世継ぎとして、養子を求めるのも、今となっては私にもわかります。


 当時は、世継ぎの居ない親類に養子を出すことは当たり前に行われておりましたから、四人も子がいる我が家は「養子に出す側」だったのでしょう。

 嫡男として育った私は、なんともいえない気持ちでありましたが、親父様に逆らうことなんて、できようはずがありません。

 その夜は、久を強く抱きしめ、お互い泣きながら眠ったのを覚えております。


「あぁ、九品ならそんなに遠くはない。すぐに会いに行くからなぁ」

 などといいながら身体を寄せ合い、眠りに落ちていったのであります。


(つづく)

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