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幾千の夜と暁を越えて  作者: 白明


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第九章 北辰星 肆 継がれゆく「教え」 弐

 まったく昨日は、面倒なことを聞いてしまった。

 詩は本気で大学受験を考えているようだ。

 しかも、よりにもよって、じいちゃんの通っていた大学に行きたいとは……。


 二人の間でどんな約束が交わされたのか私にはわからないが、どうやら本気のようだ。

 人生の目標の中にじいちゃんの姿を追っているのは、私だけではないらしい。

 私も詩に負けないよう、じいちゃんの自伝を執筆しなければと気合が入る。



 今日も空いた時間に、カヲルさんとの話を文章としてまとめる。

 書きながら、じいちゃんの過ごした日常をアタマの中に描く。

 何度読み返しても、激動の人生である。


 私には、こんなにも濃密な生き方はできない。

 さまざまな障害を乗り越え、新しい道を切り拓いていく。

 それには、ばあちゃんの支えや、家族の協力があったからこそ、可能であったのではないだろうか。


 私は今、これを書きながらに思う。

 やはり人は、仕事ではなく、家族に、人との関りに、そして愛によって生きるのではないかと。

 それを伝えてくれたのは、まぎれもなくじいちゃんやばあちゃん、そして両親なのだろう。


 ふつりと自分のことを振り返ってみる。

 じいちゃんの死をきっかけに、生活や人生を見直した私は、今では家族との関係も良好。

 しかも自分らしく生きることができるようになってきている。

 これは、じいちゃんが私に託した一つの「教え」なのかもしれないとも感じる……。


「……って、聞いているの? 聞いてる? 本当に……、集中すると他のことに意識がいかなくなるんだから」

 目の前に妻の顔が迫る。突然のことに少し飛び退いてしまった。


「あ、ゴメン。ゴメン。何か言った?」

 妻がムクレ顔をする。

 妻は感情がすぐに顔に出る。

 わかりやすくていいのだが、7歳も年上とは思えない。

 まあ、そこが可愛いところでもあるのだが。


「もう。ちゃんと聞いていてよね。あのね、虎がまだ帰ってきてないのよ。もう塾は終わっている時間なのに何かあったのかしら?」

 時計を見る。

 22時30分。

 確かに遅い。

 塾は確か、21時30分までのはずだ。

 だが、虎はもう高校一年生だ。

 中学生であれば、気にしたほうがいい時間ではあるが、彼には彼なりの事情というものがあるのだ。

 必要以上に声をかけてしまうことが、高校生男子にとってどれほどウザったいものであるか、多分、妻にはわからない。


「うん? 高校生なんだし、いいんじゃない? 男なんだし、身体もデカいし。塾の後に買い食いしたりしているんじゃない? もう少ししたらスマホに連絡をいれてみるよ」

 妻は子どもたちに対してかなり神経質だ。

 その一割でもいいから、私にも気を向けてもらいたい。とは、言えず再度PCの画面に目を向ける。


「そうかなぁ。大丈夫かなぁ。最近、ほぼ毎日のように帰ってくるのが、23時近くなるのよ? ……はっ! まさか、彼女とかが出来たんじゃないわよね? そんなのダメよ! まだ早いわ! 虎は、まだ私の可愛い虎なんだから!」

 勘弁してほしい。

 16歳になる息子に溺愛する母親って、なんともイタイ。

 それに「私の可愛い虎」って、本人が聞いたら思いっきり侮蔑の目を向けられるだろう。

 その一割でもいいので、私に向けてはくれないだろうか。と、先ほどと同じことが、あたまに浮かぶ。


 玄関で扉の開く音がする。

「ただま~」

 野太い声がする。

 リビングへの扉が開くと「ヌッ」と制服姿の虎が入ってくる。

 詩よりも一歳年下であるものの、今となっては家族の中で最も背が高い。

 いまどきの男子らしくツーブロック。

 おでこを日によって出したり、隠したりするなどしてセットしている。

 それが彼なりのお洒落なのだろう。

 今日は前髪をすべて下ろし、いわゆるマッシュルームカットにしている。

 こんな髪型が流行るとは、いささか難解だ。



 血とは恐ろしいものだと時々に思う。

 虎の顔がちょうど16歳頃の私にそっくりなのだ。

 唯一違うのが、眼だ。

 私の眼は二重でどちらかというと大きいのだが、虎のそれは一重で細い。

 眼だけが妻に似ているのだ。

 それ以外の顔や体のパーツ、そして思考方法までもが私にそっくりなので、なんとも気持がワルイ。


「虎、なんともなかった? 変な人に声かけられたりしていない? 変な女に引っ掛かったりしていない? 最近ちょっと帰りが遅いけど、本当に大丈夫なの? 何か問題を抱えていたりしない?」

 これだ。

 このマシンガンのように問い詰めるのは、妻が焦っている証拠だ。

 少しは息子のことを信用してあげることも必要だと私は思うのだが……。


「うっす。ゴメン。特にない。大丈夫。今日は疲れたからもう寝る」

 反抗期真っただ中の男子らしい反応だ。

 会話というよりは単語の羅列である。

 きちんとした文章で話をすることをどこかできちんと教えなければならないだろう。


「ちょっと、虎。ちゃんと聞きなさいよ。もう。うちの男どもと言ったら……」

 妻の目前でリビングの扉が閉じる。

 妻が先ほどよりも強いムクレ顔になる。


 はあぁ……。

 こういう顔をしているときは、しっかりと愚痴を聞いてあげないと後で面倒なことになる。

 今夜も遅くまで付き合う羽目になるのだろうか……?

 妻が急いで駆け戻り、テーブルの向かいに腰を下ろす。

 と同時に乗り出し、顔を近づけてくる。


「ちょっと。どうしよう……。虎、やっぱり何かあったんじゃないかしら? あの子、なにかに巻き込まれているんじゃないかしら? ねえ、ちゃんと聞いている?」

 ノートパソコンの画面上部まで迫る勢いで顔を近づけてくる。


「なんだよ。さっきも言っただろう。大丈夫だよ。男子高校生なんだから、それなりにあるだろ? むしろ何も無いほうが心配になるよ」

 私はちょっと雑に返答する。


 その態度が気に喰わなかったのか、妻は私のノートパソコンをばたりと閉じると、さらに顔を近づけて言う。

「あの子から、煙草のニオイがしたの……」


***


 随分と遅くなってしまった。

 年末の機器トラブルは、時間も人も浪費させる。

 私は、会社の分析機器のトラブルを解決するために久しぶりの残業をしてていた。

 夕飯も口にできず、気づけば二十二時過ぎ。

 精神的にも肉体的にも既に極限まで達している。


 だが、今日は実家に寄らなければならない。

 じいちゃんの作品を書くために、幾つか調べなければならないことがあるのだ。

 今日を他にしてしまうと、忙しいこの時期ではいつ調べることができるかわからない。

 重い身体を引きずり、実家へと向かう。

 実家は、自宅から歩いて10分ほどのところにある。

 門扉を開け、階段を上ると玄関両脇の松柏が迎えてくれる。

 玄関の扉を開けると懐かしい匂いが私を包む。

 香りがヒトの心を安心させるというのは、こういうことをいうのだとごちる。


「あれ~。虎くんじゃなくて、白じゃないの。どうしたの? こっちにくるのは、久しぶりじゃない。元気していた? 仕事、大変じゃない?」

 奥から出てきてくれてのは、かあちゃんだ。

 背は小さく、大きな体を横に振るように歩くその姿は、昔から見てきたものだ。

 年を取ったと感じる。

 顔に刻まれる皺と、薄い茶色に染められた白髪がそう感じさせるのだろう。


「最近、こっちに寄れていなくてゴメン。ちょっと仕事とかも忙しくてさ。かあさんも変わりない? かなり寒くなってきたけど、体調崩してない?

 今日は、ちょっと探し物があってさ。じいちゃんの部屋でちょっと調べ物をさせてもらうよ」

 かあちゃんは、私の右腕を優しく撫で、心配そうに私の瞳を覗き込む。


「そう。ちゃんと食べているの? 少し瘦せたんじゃないかしら? 近くなんだから、夕食を食べにきなさいよ。身体は、食べた物でできているんだから、しっかり食べなきゃだめよ」

 スープの冷めない距離に住む。

 遠くの親族より近くの他人。

 という言葉があるが、近くの親族であるにも関わらず、実の親に会いに来れていない自分を悔いる。


「うん。ゴメン。かあさん。また近々、食事に来るよ。今日はちょっとだけ調べさせてもらうね」

 そういうと、私はかあちゃんの手を離し、奥のじいちゃんの部屋に向かう。

 襖を開けると、畳と太陽のニオイがふわりと香る。

 夕日が落ちる前に雨戸を締めてしまうことによって、夜にも太陽の香りはこのように残る。

 じいちゃんの部屋はいつもこんな匂いがしていた。

 懐かしさが、静かな悲しみが、こみ上げる。


 いかん、いかん。

 今日は感傷や哀愁に浸るために来たのではない。

 じいちゃんの作品のための資料を探しにきたのだ。

 揉み毬に鞄と上着を放り、じいちゃんの書棚を開く。

 なんど見ても圧倒的な本の量だ。

 幾つかの本と日記を取り出し、目的の部分をスマホでスクショしていく。

 コソコソと本棚を物色している私を傍から見れば、企業スパイのように見えるだろう。

 こんな時間にスマホで本や日記の写真を撮りまくっている姿を想像すると我ながらおかしくなってくる。


……ガタリ……。


 突然、襖が開く。


「え……? お前、なにやっているんだ……?」

 そこに立っていたのは、虎だった。


「え……? なに? パパこそ、ここで何やっているの? 実家に来ること、ほとんどないのに……」

 虎がなにか見てはいけないモノを見るかのように、私を見る。

 まさか虎が実家に来るとは。

 そして、なぜ、じいちゃんの部屋に入ってきている?


「俺は、じいちゃんの昔の資料をちょっと見にきていたんだ。仕事で使うんだよ。お前は、塾……、じゃなかったのか?」

 私も、何故か早口になる。

 作家業をしているのは、家族には実は秘密なのだ。


「じゅ、塾は終わったよ。ちょっと用事があったから寄ったんだよ。パパも自分の仕事をして。俺は俺でやることがあるからさ……」

 そういうと、虎はじいちゃんの部屋の続き間の襖を開ける。

 虎は、逃げるように隣部屋に入り込むとその襖をパシャリと閉めた。

 まさかこんな場所で、反抗期の虎と話をするとは思ってもみなかった。

 そんなことを考えながら作業を進める。

 取り敢えず、早く終わらせて、家に帰って休みたい……。




 ふと、隣の部屋から煙のニオイがする。

 それと同時に妻のコトバが想い出される。

 虎は、ここで煙草を吸っているのか?

 であれば、親として、言わなければならないことがある。

 私はおもむろに襖を開ける。


「おい。虎! なにを……」

 私はその姿を見て立ちすくむ。

 虎は仏壇に向かって手を合わせているのだ。


「と、虎……? お参りをしてくれているのか……?」

 虎が合掌と黙想から、醒める。

 その目で私をツイっと見る。


「うん……。……ちょっとね。お線香のニオイがすごく落ち着くんだ。むかし、ひいじいじの部屋でよく寝っ転がったり、遊んだりしてたからかな。ここで、英単語の勉強をしてから帰るから、先に帰っててよ。あ、ママにはここに来ていること、内緒ね」

 私は虎の横に座り、線香に火をつけ、線香差しに静かに差す。

 そして、一度目は柔らかく、二度目はちょっと強めに「りん」を鳴らす。


 丁寧に合掌をし、心の中でじいちゃんに語りかける。

 じいちゃん。虎もじいちゃんが大好きみたいだ……。


***


 玄関で靴を履いているとかあちゃんがいつの間にか背後にいた。

 手元にスーパーの袋を持っている。


「ちゃんと食べなきゃ、ダメだからね。あんたが『しゃんと』しないと、みんなが困るんだから。これ、持っていきなさい。

 虎くんはもう食べたのかしら?

 それにしても虎くんはひいじいじが好きだったのね……。毎日、この時間になるとお参りにくるのよ。ある意味、あなたよりも『しゃんと』しているわよ。ちょっとは虎くんを見習わなきゃ」

 温かくも、グサリと一言が突き刺さる。

 さすが、かあちゃんだ。

 もっと私も「しゃんと」しなければならない。

 何よりも虎が、こんなにも家族を、じいちゃんを、大切に想ってくれているとは思ってもいなかった。


 かあちゃんのいうとおり、虎のほうが「しゃんと」しているのかもしれない。


 子どもたちにもいつの間にか、じいちゃんの「教え」は継がれている……。


(つづく)

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